特別な誕生日
秋色
特別な誕生日
ななこは、アイドルグループの紹介ページやドラマのテロップで、ついつい可愛い名前に、見入ってしまう。
――友梨菜、夏鈴、楓、冬優花……――
どれも可愛くて、そして季節感を感じる。それに比べて自分の名前は、何てヘンテコなんだろう。
ななこは自分の名前にコンプレックスを感じていた。「ななこ」は漢字で「七七子」と書く。どう考えても「なな」が一つよけいな気がするし、この名前のため、子どもの頃は「77才のおばあちゃん」とよくからかわれていた。だからこの名前を考えたお父さんをちょっとだけ恨んでしまう。
「七七子」という名前をつけた
7才の時、生まれつきの遠視のためメガネの処方せんを作ってもらいに、お母さんと大学病院へ行った。その時、受付の箱の中に自分の名前が書かれた透明なファイルを入れた。何気なく、その下にある、別の患者さんの透明ファイルを見て、ななこは目を疑った。なぜなら、そこに印刷された、前の患者さんの名前は「藤野八八香」で、「フジノヤヤカ」とフリガナが付いてあったから。自分の名前、「丘七七子」と似ている。名前の右横には77才と書かれてあってこれもゾロ目。しかもこの数字は自分の名前と縁が深い。一体どんなおばあさんなんだろう? ななこはいろいろ想像してわくわくした。その日以来、その名前がななこの中から消え去る事はなく、いつも心の何処かにあって、いろいろ想像をかき立てた。
やがて月日は流れ、十八才になったななこは、ある日、陸上部の練習中にケガを負った。靭帯という所が裂ける大ケガで、手術を受けた後、そのまま入院になった。手術後、入ったのは二人部屋。
ななこはふと隣のベッドにかけられた札を見て、あっと驚いた。そこには「岡田八八香 87才」と書かれてあったからだ。
――八八香さん、名前に年齢がもうすぐ追いつくなあ――
そう考えると何だか感動的に感じられた。でも隣のおばあさんにこちらから親しげに声をかけるのは、図々しい気がして出来なかった。お互いのベッドにはカーテンレールがあって、いつもカーテンを引いているので、どんな顔をしているのかもよく分からなかった。時々カーテンの隙間から見えるカーディガンを羽織った老婦人は、上品で優雅な雰囲気を醸し出していた。
手術後何日目かの夜、ななこが眠れず天井を見つめている時だった。隣のベッドから声がした。
「眠れないの? お嬢さん」
「はい。何だか目が冴えちゃって……」
「そんな時は目を閉じて、一番好きな風景を思い出すといいんですよ。お嬢さん、お名前は丘さんだったかしら」
「はい、丘七七子です。私は七が二つ重なるんです。岡田八八香さんって名前を見て、私の名前と似てるから驚いたんですよ」
「まあ、そうなの。ベッドに付いた名札を見たのね」
「いえ、本当は、初めて八八香さんの名前を知ったのって十一年前の、まだ7才の時だったんてすよ。大学病院の眼科で、名前を見たんです。私、その時からすごくこの岡田八八香って名前が気になって、一度お話がしたかったんです」
「まあ本当?」
「ええ。八八香さんは、なぜ八八香って名前になったのかなって?」
「それはね、八十八夜から来ているのよ。八十八夜っていうのは、夏の準備を始める季節の変わり目よ。一年で一番キレイな季節。私の誕生日のある五月の初めなの」
「そうなんだ。キレイな名前なんですね。でも子どもの頃は、イヤじゃなかったですか? 八十八才のおばあさんってからかわれませんでしたか? 私はよくイジられてました。お父さんは、ラッキーセブンが二つ並ぶんだから縁起がいい名前だって自分のセンスを自慢するばっかなんです」
「私達の子ども時代はみんなそんなに長生きじゃなかったから、88才まで生きるって発想があまり無かったのよ。だからその事で同級生からおばあちゃんみたいって、からかわれる事はなかったわね。それにゾロ目は、やっぱり縁起がいいって私達の地方では言われてたの。ななちゃんのお父さんの考え方と合ってるかもしれないわね。生まれ育った地方で言われてたのは、同じ数字が並ぶと、光と影の作用をするんだって。世の中は、どちらか一方だと良くないって大人は云ってたものよ。影に悩まされる事があってもね」
「光と影? じゃあ今、悩みがあってもそれは普通の事なのかな」
「何か、悩みがあるの?」
「その……弟や妹がいるからしっかりしようと思うのに、いつも私は怠け者だし。だけど高校ではきちっと何もかもやりたくっていい子ぶりっ子みたいに言われちゃうし」
「そうなの? 落ち込まなくていいのに。変化は誰にでも突然訪れるものよ」
「それが変化のない生活なんです。さっきの光と影っていつもあるのかな。ゾロ目の光と影」
「住んでいた地方でそう伝わっていたの。私はね、自分の名前がこんなだから、いつもゾロ目が気になったのよ。年齢でいうと、11才、22才、33才ってね。何か特別な事が起こるといつもドキドキしてた」
「じゃあ今年もですね。それも名前通りだから特別の特別」
「そうね。今年は特別の特別ね。私はずっと88才の私はどうなっているんだろうって子どもの頃から思ってきたの」
「え? 子どもの頃から?」
「初めてゾロ目の年齢になった11才の時、よく2才上の兄から言われてたの。お前は臆病で赤ちゃんみたいだから、11才の1を消して1才でちょうどいいって。失礼でしょ? 確かに幼い頃の私はピーピー泣いてばかりだったんだけど。
私の場合、同級生からはからかわれなかったけど、この兄からよくからかわれてたわね。おまえは自分の名前通りの88才になってやっと8才だなって。その時は子分として認めてやろうって。ななちゃんの言うところのイジられるってところかしら。だから私、自分はゾロ目の片方を消した年齢がちょうどいい精神年齢だって、それ以来思うようにしたの。だから他のお友達がどんなに先の道を行ってても焦らなくて済んだわ。それには兄に感謝しているの。私ね、88才になったら故郷の兄に言ってやりたかったの。やっと8才になったわよって。相変わらずしつこいって憎まれ口叩かれるでしょうけどね」
「ふふ。じゃあやっと子分になれるんですね。年をとっても仲の良い兄妹っていいな。そんな長い展望で見てたんですね。いつも将来に焦ってた自分がバカみたいです」
「でもそれはちゃんと将来を考えてるって証拠でしょう? ただ焦らなくてもいいかもね。ほら、ここにあるお湯呑の絵を見て。 山茶花の花が描かれてるでしょ? この花は冬の寒さの中でじっと耐えている強い花なのよ。この花が好きなので、このお湯呑みを買ったの」
「そうなんですね! 可愛い花」
✻✻✻✻✻✻
そんな風にして八八香さんと深夜に話した事は、二人だけの幸せな秘密になった。
けれど、ななこがその次の週末に外泊届を出してに家に帰っている間、八八香さんは、リハビリ中心の病院に転院してしまっていた。
寂しく、でもほのぼのと八八香さんの事を思い出していると、八八香さんの娘さんというおばさんが挨拶に来た。ナース・ステーションに預かってもらっている物がまだあったらしい。
「ななちゃん、いろいろ母の話し相手になってくれてありがとう。母はななちゃんと話せて楽しかったみたいよ」
「いいえ。こちらこそ話が出来てとても楽しかったです。ためになったし。えっと、それとあのお湯呑み、忘れず今日持って帰ってあげてくださいね。山茶花の花の描いてあるのを……」
ななこは、流しのある小部屋の隅の戸棚に、山茶花の絵の湯呑みが入れっ放しになっているのに気が付いていた。八八香さんが忘れていったのだと思った。
「え? それは母のじゃなくて、病院の湯呑みでしょ?」
「そんな筈は」とななこはすぐその小部屋に行って、戸棚の中の湯呑みを出してみた。それは確かに八八香さんがななこに見せてくれた物だった。山茶花が好きで買ったのだと。湯呑みの底を見てみると、そこにはペンで「前田中央病院」と書かれてあった。
おばさんは言った。
「ななちゃん、母はね、時々空想の中に入ってしまうの。そしてこうだったらいいなという事を頭の中で作り上げて自分で信じ込んてしまうのよ。だから家でも、お客さんが来たって言って、一人でおしゃべりしている事もあったの。わざと嘘をついてるわけじゃないの。分かってあげてね」
「……はい。でも一つ訊いてもいいですか?」
「なあに?」
「八八香さんは、故郷にお兄さんがいるんですか? 90才の……」
「いないわよ」おばさんは即答した。
「故郷にいる90才のお兄さんなんて何の話?」
「え……」
「でも、ずいぶん昔、母には2才年上のお兄さんがいたそうよ」
「いたんですか? それはいつ頃の事ですか?」
「母が11才の時、空襲で亡くなったそうなの。ちょうど終戦の年だったから、あともう少し早く終戦になってたらって母はずいぶん悔しがってたわ」
「最近も話をしていましたか?」
「最近はちっとも。昔は思い出しては涙をこぼしていたんだけどね。自分と違って勇気のある子どもだったんだって」
光と影という八八香さんの言葉をななこは思い出していた。
「あの、八八香さんに会ったら、ちょっと早いけどお誕生日おめでとうって伝えて下さいね。きっと今度の誕生日は特別だと思うから」
八八香さんの名前を口にした時、夏の準備を始める季節の香りが一瞬した。
〈Fin〉
特別な誕生日 秋色 @autumn-hue
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