飽和年齢
海沈生物
第1話
ある日、僕の病室に謎のおじいさんがやってきた。突然部屋にある小さな机の引き出しから出てきた姿に思わず国民的アニメを思い出したが、それよりも震える手で拳銃の引き金に指をかけている方が怖かった。安全装置も解除されているので、指を滑らせたのなら「一触即発」である。
ともかく、僕はこんなところで死にたくない。別に自分自身の人生に対して使命や目標があるわけではないが、それでも意味がなく死ぬのは避けたい。両手を上げて争う意思がないことを示すと、おじいさんは銃口を下ろした。それでも引き金には手をかけたままである。
「ふ、ふむ。戦う意思はないのか、そ、そうか……」
露骨に震える声に、思ったより小心者であることが分かる。こんな白い髭を生やすほど生きているのに、それでも性格というのは変わらないものなのか。僕は未知の事実に対する新鮮さに心が踊った。けれど、おじいさんはそんな僕に対して腰が引けているようだった。
「えっと……どうか、しましたか?」
「い、いや、なに。ついさっきまで拳銃を突き付けておったのに、そ、その、よくそんな嬉しそうな顔をできるな……と思ってな」
「いえまぁ、こう見えて色々と経験してきたので。……でも、おじいさんにはきっと負けると思いますよ?」
「ま、負ける? ……そ、そうか。88歳であるわしの方が長く生きているんだもんな、当たり前というものか……」
腰を抑えながら頭を赤べこのように縦へ振ると、床に座った。その時、彼の頭に一本だけ生えていた髪の毛が、窓から吹いて来た強風によって飛んでいってしまった。思わず「あっ」と声を漏らすと、その声に気づいたおじいさんは、宙を舞う髪の毛に目を丸くした。空中をプカプカと浮かぶ真っ白の毛はおじいさんを翻弄すると、やがて窓の隙間から広大な外へと飛んで行ってしまった。
部屋の中に言いようのない絶望が走る。ベッドの上にいた無力な僕はただ、おじいさんの顔にどんな声をかけてあげればいいのか分からなかった。
おじいさんも僕もしばらくは黙り込んでいたが、やがて、彼は立ち上がる。僕の方へ近付いてきたかと思うと、今度は拳銃の先を眉間に当ててきた。冷や汗と共に手すらも緊張から動かなくなる。
「えっと、えっと、僕を殺さないでください?」
「ど、どうして疑問形なんじゃ? ……い、いや、違う。お、お前はわしを馬鹿にしておるのだな! わしがどうしようもない馬鹿で、家族を顧みない人間の屑で、未来も考えず研究ばかりして、だから、だから、お前も!」
パンっと引き金が引かれる。さすがに死んだかと思ったが、運良く震えた指先によって銃口はズレ、床に対して大きな音が鳴る。まさに、比喩ではなく心臓が止まる瞬間かと思った。拳銃というものを映像やゲームでしか見たことがなかったので、本当にこんな乾いたような音がするのだなと驚いた。
しかし、ここからどう対応するべきか。おじいさんは今にも次の弾を撃ってきそうな顔をしており、変に動いても声を出して交渉を持ち掛けようにも、撃たれてしまう可能性がある。ただ「現状維持」をすることだけが僕の命を守る確かな行為である、という確信しかなかった。無力な自分に絶望していると、ふと、部屋の外から足音が聞こえてきた。さすがに拳銃の発砲音というのは響いたらしい。近くの階にいた先生たちが僕の部屋へ向かってきている様子だった。
その時、おじいさんはあたふたとして拳銃を落としてしまった。僕が手を伸ばせば届く位置に拳銃はあり、ここからおじいさんを撃ったとしても、正当防衛なのは確実であった。
だが、僕にはできなかった。変なおじいさんの行動は犯罪であり、社会的には許される行為ではない。とはいえ、それは今の社会という枠組みがそのように定義しているだけなのではないか。おじいさんにはおじいさんなりの考えがあってそのような行動を取っているのであって、それを一方的に「変」と偏見を持つ僕の考えは、あまり良くなかったのではないか。反省の思いが湧いてくると、なんだか、おじいさんをここで突き出すのも違う気がした。
そこで僕は慌てふためくおじいさんへベッドの下に隠れるように言う。おじいさんは意外そうな顔をしていたが、今はそんな場合じゃない。段々と近付いてくる足音に小声で急かすと、なんとか隠れることができた代わりに、焦って拳銃を蹴り飛ばしてしまう。拳銃はそのまま部屋の扉に転がっていくと、ちょうどドアが開いた。部屋へ入って来た先生たちは落ちている拳銃を見ると、「わぁ!」「きゃぁ!」と声をあげた。
「つ、九十九くん、一体これは?」
「そ、そうなんですよ、先生! さっき窓から白い髪……じゃなくて、白い髭のサンタさんがやってきて、拳銃をプレゼントして置いていったんですよ!」
「拳銃を!? サンタの実在性はともかくとして、拳銃を置いていったのかい?」
「はい。拳銃を持ってきたついでに、僕へ拳銃の撃ち方も教えてくれて。でも間違って実弾を入れっぱなしだったらしくて、それでさっきの銃声が」
「そうか……でも、拳銃は危ないものだからね。こっちで警察に届けておくよ。……ところで、さっきからベッドが揺れているが、寒いのかい?」
そう言われてベッドを見ると、確かに揺れていた。僕は別に寒くないし貧乏ゆすりをしているというわけでもなし、原因が誰かはなんとなく理解した。
「そう……そうなんですよ、先生。あとで追加の毛布を一枚持ってきてもらっていいですか?」
「あ、あぁ。頼んでおくよ……」
返事に対していまいち納得できていない様子だったが、先生たちはそのまま去っていってくれた。僕はほっと一息つくと手を伸ばし、下で震えるおじいさんの腰を叩いた。おじいさんは僕の合図に背中を大きく揺らしたが、やがてそれが出てきても良いという合図であると理解すると、腰を抑えながら出てきた。拳銃のない彼は一回り体形すら小さく見える。なんだか、可愛げすら感じてきた。
「拳銃、持っていかれちゃいましたけど。引き出しから未来に帰る……いや、二十四世紀だし過去……でもタイムマシンまで開発されてないから、やっぱり未来……?」
「ど、どっちでもええわ! それより、あの拳銃がなかったら元の世界に帰れないんだが、どうしてくれるんじゃ?」
「どうしましょう。あー……このまま、この世界で暮らしたらどうですか? 白い髭はありますし、カツラを被った上に帽子を被ればまさにサンタさんそのものですよ」
「サンタだと? そんな夢物語の存在になったところで、不審者として捕まるのがオチじゃて!」
夢物語。その言葉の意味を咀嚼して理解すると、疑問が浮かぶ。本当にこのおじいさんが言っていることは本当なのだろうか。実は一から十まで全部が嘘であり、私を騙すための、ここの職員たちによる質の悪い冗談なのではないか。段々とそんな気がしてきた。もう長くない僕に対して、彼らなりの慰めなのではないか。
そう考えると、ずっしりと心臓が重くなる。大体の人たちがこのような人生を送るとはいえ、死が近いことを考えると、やはり気持ちが落ち込んでしまう。
ついつい顔を俯かせてしまった僕に、おじいさんは少し気まずそうな顔をした。そのまま震える手をこちらに向けると、頭をぽんぽんと撫でた。顔をあげると、呼吸がしづらそうな口で彼は皺々の笑みを浮かべる。
「す、すまんかった、すまんかった。今のは嘘じゃ、嘘。サンタはおる。それが証拠に、実はこのわしこそが本物のサンタなのじゃ」
「本物……おじいさん、本当にサンタなの!?」
「あぁ、そうじゃ。白い無精髭……というにはそり過ぎてしまっておるし、着ているのは赤がない、ただの白衣じゃが。それでも、サンタなのじゃ」
「それだったら……いや、もう無理かな。僕はプレゼントをもらえるような歳じゃないし」
そうなのだ。僕ははしゃいで気持ちをまた落ち込ませると、今度は変に心配をかけないように、おじいさん……いや、サンタさんに笑みを送る。大丈夫。もらえるのは十代までの子どもだけであり、それ以降の大人はもらうことができない。けれど、僕の表情に対してサンタさんは笑みも悪態も返してくれなかった。代わりに返された表情は、これは……"疑問"だろうか。僕がどういうことかと考えていると、サンタさんは両肩を掴んできた。
「も、もしかしてなんじゃが……いや、まさか……お前さんは、"おじいさん"なのか?」
「おじいさん……うん、まぁそうだけど? 僕が生まれて今日で八十八カ月、だからサンタさんと同じ八十八歳。昔はもーっと寿命が長かったから、一年で一歳って数えてたんだよね? すごいよねぇ」
僕が小首を傾げる姿に、サンタさんは何も言わない。ただ僕の方を見て笑うと、ギュッと抱きしめてくれた。その理由が分からなくて「どうかしたの?」と尋ねてみても、何も言ってくれない。かと思ったら、突然サンタさんは僕を離し、くしゃくしゃの笑みを見せてきた。
「わしが……わしが、全部悪いんじゃ……」
涙を流すサンタさんに、僕はただ困惑するしかなかった。
飽和年齢 海沈生物 @sweetmaron1
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます