その旅路に祝福を。

月代零

第1話

「さて……と」

 空は茜色に染まり、もうすぐ夜の帳を連れてくる。

 焚火を熾し、小さな鍋を火にかけ、簡単な雑炊を作る。周りには結界を張れば安全だ。そうして野営の準備を整えて、彼女は一息ついた。宿に泊まった方が楽だが、寒い季節でもないし、こんな日も悪くない。

 長い銀髪と空色の瞳が、焚火の赤を反射する。見た目はまだ少女のようだが、彼女は今年で88歳になる。

 魔法の扱いに長け、長い寿命を持つ種族、エルフ。特徴は尖った長い耳。彼女はその一人だった。

 エルフは森の奥に暮らし、あまり他の種族と交流を持たないことが常だが、彼女は里を出て、旅暮らしをしている。仲間からは変わり者と言われていた。

 なに、若気の至りだろう(エルフの88歳など、まだまだ子供のようなものだ)、すぐに後悔して戻って来るさ、などと言われて数十年、しかし、彼女に里に戻るつもりはなかった。

 移り行く景色と共に旅をすることは、楽しい。少なくとも、停滞したエルフの里で暮らすよりは。

 彼女は膝の上に分厚い革張りの本を広げ、羽ペンをインクに浸し、今日の出来事を記録する。これらの道具は魔法で強化してあるので、ちょっとやそっとのことでは汚れたり破損したりすることはない。日々出会う景色や人々のことを記録しながら、彼女は旅をしている。

 

 1日の記録を終えて本を閉じると、羽音と共に、肩に1羽の白い鳩が舞い降りてきた。その鳩は、届け物をしたい相手がどこにいても届けてくれる魔法がかけられていて、彼女に届け物をするために、どこかからはるばる旅をしてきたようだった。

 鳩は1通の手紙と、1輪の青い花を携えていた。手紙には、きれいな字で「誕生日おめでとう」と書かれていた。

 それは、何十年か前に、魔物に襲われていたのを助けた村の女の子――何十年も経っているから、もうお婆さんか――からだった。

 その日は、ちょうど女の子の誕生日で、流れで「エルフさんの誕生日はいつ?」と聞かれたのだ。自分の誕生日などどうでもよくて忘れかけていたが、たまたま同じ日だった。それ以来、「一緒にお祝いしよう」と、毎年どこにいても、手紙と花を届けてくれるのだった。

 エルフには、誕生日を祝うという習慣はなく、年齢を数えるための指標でしかなかった。でも、生まれてきたこと、無事に1年を過ごせたことを祝う日だという人間の習慣は、素敵なものだと思う。

 長く生きていると、誕生日なんて自分でも忘れてしまいそうだけれど。自分が生まれてきたこと、この世界に生きていることを祝福してくれる人がいる、それはとても幸いなことだと思った。

 人間はすぐ死んでしまうからつまらない、とエルフの仲間たちは言うけれど、儚いからこそ、たくさんの人に出会っておきたいと思うし、それを記録していきたいと思っている。その中で、新しい喜びをもたらしてくれる出会いも、確かにある。

 まだ見ぬ景色、まだ見ぬ人に出会うため、彼女はこれからも旅を続ける。

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その旅路に祝福を。 月代零 @ReiTsukishiro

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