節目の8の歳

藤浪保

節目の8の歳

 不思議なことに、私は8のつく歳に縁があります。人生の大きな出来事は必ず8のつく歳に起こりました。



 あの人に出会ったのは、8歳の時でした。疎開してきた一家の長男で、私の三つ年上でした。負けん気が強く面倒見のいいあの人は、男たちが戦争に取られ、坂を転げ落ちるように生活が悪化していく中、私たち子どもをよくまとめ、励ましてくれました。


 18歳で祝言しゅうげんを挙げました。戦争の後も不幸が重なり、なかなか挙げられなかったのです。早く挙げるべきだという声と、喪に服すのは当然のことだという声で村は二分されていました。妹の隣村への輿入こしいれの方が先に行われた時には、縁がないのだろうかと涙を流しました。


 村の人手を補うために早く子を作らなければならなかったのに、最初の子が生まれた時、私は28歳になっていました。もう子は望めないと諦めていましたから、子を宿したのだと知った時は、喜びよりもきつねにつままれたような心持ちでした。妊娠を告げたときのあの人の喜びようを見て、ようやく実感したのを覚えています。


 38歳の時、あの人を亡くしました。大事故にあった訳でも、大病を患ったわけでもなく、ちょっとした不注意によるものでした。眠っているような顔をしていて、今にも起き上がりそうに見えたのに、ついぞ目を覚ますことはありませんでした。幼い子どもたちを抱えて、これからどうしたらいいのか、と途方に暮れました。


 長女が結婚をしたのは48歳のことです。女だてらにと言われながら短期大学を出て都会に就職し、自分でお相手を見つけてきた事には驚きました。とても感じのいい方で、私はすぐにでも籍を入れなさいと言いました。どこの馬の骨が、と反対する親戚もいましたが、娘は反対を押し切りました。あの人に似たのかもしれませんね。


 58歳で初孫が生まれました。なかなか子を授からない娘を見てヤキモキしていたのは私だけで、本人たちは夫婦水入らずの時間を楽しんでいたようですが、あっという間に子ども中心の生活に変わりました。その後すぐに長男と次男がそろって結婚を決めたのは、おいっ子が可愛すぎたからなのでしょう。


 一緒に暮らさないかという長男の誘いを断り続け、広い家に一人では寂しかろうと子犬をプレゼントされたのが、68歳の誕生日でした。小さな命を見て、娘が生まれた時の事を思い出しました。老い先短いばあさんだけどよろしくね、と言うと、元気よく返事をしてくれました。


 その彼も、78歳の時に死にました。私の方が早く死ぬと思っていたので、最後まで看取る事ができたのには感謝しています。私が長生きできたのは、散歩の習慣をつけてくれ、話し相手になってくれた彼のお陰です。二代目を迎え入れようとも考えましたが、私が突然死んでしまったら道連れにしてしまうだろうと思い、やめました。


 そして今、88歳の私は、病院のベッドの上で、ひ孫たちに舌っ足らずなバースデーソングを歌ってもらったところです。米寿のお祝いだからと、地方の病院にわざわざ子どもたちが集まってくれました。次は卒寿だねと言われましたが、そろそろあの人が迎えに来る頃でしょう。きっと一年以内に。


 

 8の歳に縁のあった私の人生。それがどうしてなのかは分かりません。気がついたのも、つい先日のことです。ただ、幸せであったことは確かです。苦しいこともつらいこともたくさんありましたが、幸せでした。

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節目の8の歳 藤浪保 @fujinami-tamotsu

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