吾輩の猫である

宇部 松清

事件は会議室ですでに起こっている

「何か申し開きはあるか」

「ありません。その、何ならアジの開きにでもなりたい気分です」

「お前が開きになったところでどうにもならん。そんなことよりも、だ」

「はい。その――わかっています」


 会議室である。

 事件は会議室で起こってるんじゃない、とはよく言ったものだが、残念ながら事件はこの会議室で起こった。


 本日は我が社の会長――老害を煮詰めて固めたようなクソジジイの七十七歳の誕生日である。


 けれどそんなクソジジイでも社への影響力はデカい。馬鹿みたいに顔も広いので、この人に睨まれでもすればこの業界では生きていけないのだ。なので、俺達は全力でゴマ擦りである。これでウチの会社がゴマの加工に特化した食品メーカーだったなら、『社員が全力で擦りました!』みたいなCMも打てただろう。それくらいに擦りまくった。


 だが、我が社はアパレルメーカーなのである。だったら『社員のゴマ擦り(約三万回)にも耐えたスーツです!』とCMを打てるかもしれないと思われたかもしれないし、当然俺もそう思ったから上司に企画書を提出したところ、かなり鋭いパンチが飛んできた。応戦してしまったのでパワハラには該当しないらしい。


 とまぁそんなことは置いといて、だ。


 このクソジジイ――じゃなかった会長の七十七歳のバースデーということで、サプライズでプレゼントをしようという話になったのである。もちろんこれもゴマ擦りのうちの一つだ。


 さすがアパレルメーカーの会長だけあって、七十七歳の老人にしては身なりもかなり気を使っている。上から下までくすんだ色でまとめた、謎にポケットの多い服などではなく、きちんと仕立てたスーツ姿なのだ。だから、新しいジャケットをプレゼントしよう、ということになった。まだまだ若いものには負けん、が口癖のような人なので、多少若いデザインにして、「若い頃のジョン・トラボルタみたいですね!」とヨイショすれば良いだろう、と。


 で、それは出来上がった。


 出来上がって、ここにある。

 受け取ったのは俺だ。


「だからさ、何で、ポケットにコーヒーのシミがついてんだよ」

「それは……その……こぼしたからですね」

「誰が」

「俺が」

「死ね」

「生きます」

「お前さっき開きになりたいつったろ。開きになれよ。あれ嘘かよ」

「嘘ですよ」

「嘘なのかよ、貴様!」


 こぼしちゃったのである。コーヒーを。なんでこんなところで飲んだんだって思われたかもしれないが、違う、逆だ。俺がコーヒーを飲んでいる時にこれが届けられたのだ。ウチで仕立てたやつだから、それは簡易的な包装の状態で届いた。それを剥がしてラッピングし直すのが俺の仕事だった。


 で、それがなかなか来ないので、コーヒーを飲んでいたのである。


「違うんですよ、厳密にはこぼしたのは俺じゃないんです」

「はぁ?」

「猫です」

「はぁ?」

「猫があの窓から入ってきて、こう、バシャーンってやったんです」

「ここ10階なのにか?」

「猫の跳躍力、侮れませんね」


 もちろん嘘である。

 すまんな、猫よ。お前に罪を被ってもらうぜ。


「それにしては毛も落ちてないが」

「毛のない猫だったんです」

「毛のないやつ……。えっと、ツタンカーメンだっけか」

「そうです。ツタンカーメンですね」


 違う。スフィンクスだ。


「そのファラオがやった、と」

「そうです」


 嘘だろ、さっきお前ツタンカーメンって言ったばっかりじゃねぇか。


「まぁ、猫がやったんなら仕方ない……か?」

「猫なら仕方ないですよ」

「しかもクレオパトラだもんな」

「そうですね」


 こいつもうあれだ。エジプトのイメージしかねぇんだな。俺、こんなやつの部下だったのか。死にてぇ。


「ただ、いくら悪いのがそのピラミッドだとしてもだ」


 おっ、とうとう人でもなくなったな。


「お前これはまずいぞ。どうする」

「いっそプレゼント自体をなしにしましょうか。ご馳走とケーキとクラッカーはあるわけですし、『今日の主役』たすきと馬鹿みてぇな三角帽子被せとけば良くないですか?」

「駄目だ。もうすでにどっかの馬鹿がジャケットを仕立てたことをリークしてやがる。会長は朝から下手くそな演技で知らないふりをしているらしい」

「クソっ、どこの馬鹿だ!」


 だん、とテーブルに拳を打ち付ける。その衝撃で紙コップがかたりと倒れ、まだちょっぴり残っていた俺のコーヒーがジャケットの袖にかかった。


「おい! トドメ刺してんじゃねぇか!」

「何を言ってるんですか。ほんのちょっとですよ。こんなのスパイスみたいなもんです!」

「スパイス……確かにそうかもしれんな」


 やっぱりこいつ馬鹿だ。なんでこいつ俺の上司やってんだろ。


「しかし、どうする。あと一時間しかないぞ」

「そうですね……。そうだ、俺にいい考えがあります!」

「何? 大丈夫か?」

「大丈夫です、任せてください。俺は田園調布の一休さんと呼ばれた男ですよ」

「お前! 田園調布に住んでるのか!?」

「違いますけど?」

「違うのかよ!」

「こういうのはね、言ったもん勝ちなんですよ。まぁとにかく任せてください」

「不安しかないが……でも、頼む。何としてもあのハゲのご機嫌をとってくれ!」

「わかりました!」


 会長ってハゲだったのか。それじゃいつもの髪はヅラだったんだな。こいつ、さらっととんでもないことバラしたな。


「それで、何をどうするんだ」

「猫です」

「猫? さっきのスフィンクスか?」

「そうです」


 すげぇ。エジプトつながりで逆転ホームランじゃねぇか。自力で正解を叩き出しやがった。


「いまからこのジャケットをズタズタにします」

「何だと!?」

「それをすべてさっきの猫の仕業にするんです。ここまでやれば、最早コーヒーのシミがどうとかの次元ではありません」

「なるほど! 木を隠すなら森の中、というわけだな!」


 しかし、猫はもういないぞ、と上司があたりを見回すと、何たる偶然か、そこには一匹の猫がいたのである。しかも、毛のないやつだ。確かに窓は開いていたが……嘘だろ、ここ10階だぞ。首輪をつけているから、飼い猫だろうか。


「犯人は現場に戻る、か」

「そのようですね」

「おい、アメンホテプ。良くもやってくれたな」


 あぁせっかく正解にたどり着いたのに。こいつの頭の中どうなってんだ。

 にゃあにゃあと下手な鳴き真似をしつつ、身を低くして「おいお前、このジャケットで爪を研げ、研いでください」などと言っている。伝わるとでも思っているのだろうか。


「ぼさっと見てないでお前もお願いしろ。俺達の命運はこのニャルラトホテプにかかってるんだ!」

「えぇ……」


 旧支配者出てきちゃったよ。もうエジプト関係なくなってるじゃないか。


 しかもこれ冷静に考えてみたら、こいつはそれを猫の種類だと思ってるんだよな? 柴犬に向かって「おい柴犬」と言ってるようなものだ。せめてそこはポチとかそういうのじゃないのか。


 ていうか、実際に猫にやらせる気なのかよ。俺はこの猫がやったことにしようぜって提案したのに。でもまぁ、そっちの方がよりリアリティがあるよな!


 それから俺達は『ツタンカーメン・ファラオ・クレオパトラ・ピラミッド・スフィンクス・アメンホテプ・ニャルラトホテプ』を乗せに乗せに乗せまくって、会長のジャケットをズタズタにした。この猫、人に慣れているのか全然逃げないし、何ならこちらの言うこともある程度は理解出来るのか、まぁ多少歯がゆい部分はあったものの、何とかコーヒーのシミが目立たなくなる程度のダメージを与えることに成功したのである。


「やったな、俺達」

「やりましたね」


 額の汗を拭う俺達の真ん中で『ツタンカーメン(以下略』も満足気だ。すっかりボロ雑巾になったジャケットの上で寛いでいる。ちなみになぜ俺達が額に汗を浮かべているかというと、『ツタンカーメン(以下略』を乗せる過程で、さんざん会長の悪口を言ったからだ。少々ヒートアップしてしまったらしい。

 

「あとはこいつを犯人として会長に突き出すだけですね」

「そうですね。あっ、じゃあ俺、そろそろ会長を呼んできます」

「悪いな」

「その猫が逃げないようにちゃんと見張っててくださいね」

「任せろ」


 どん、と胸を叩く上司にその場を任せ、会議室のドアを開けると――、


「お前達、何をしている」


 会長クソジジイがいた。


「さっきからハゲがどうだとか聞こえてきたんじゃが?」


 ヤバい。

 会長がハゲだという新情報につい浮かれてしまった。ハゲという単語そのものの登場回数こそ少ないものの、それに類する言葉はいくつも並べてしまった。自分の語彙力の豊富さを呪う。


「違います会長」


 上司!?


「こいつが言ったのは、会長のことではありません!」


 上司、俺をかばって……! いや、こいつさらっと「こいつが言ったのは」って言ったな。俺一人になすりつける気か。


「ほう、ワシのことではないと?」


 会長の老眼鏡がキラリと光る。


「この、猫です!」


 毛のない猫、スフィンクスを持ち上げて高らかに言う。そうか、こいつもある意味ハゲだ。ハゲと言うのは些か可哀想な気もするが、背に腹は代えられない。


「そうです! 会長ではありません、上司がさんざんハゲと言っていたのは、この猫に対してです! そして、会長の誕生日プレゼントをズタズタにしたのもこの猫です!」


 よし、さらっとハゲ呼ばわりしていたのは上司であることをアピールすると共にジャケットについても言及出来たぞ。完璧だ。


 と、思っていたのだが――、


「おお、こんなところにいたのか、アヌビス」

「ううん?」

「えぇ?」

「よしよし、可愛いのう。それで? このワシのアヌビスが何だって?」

「え、ええと……」

「その……」

「ていうかな、この首輪には盗聴器が仕込んであるんじゃ。お前達の会話は全部聞いておったぞ」

「そんな!」

「プライバシーの侵害だ!」

「ええいうるさい、お前達、余程エジプトが好きらしいな……」


 こうして、猫の手を借りた結果、俺達は仲良くナイル川支店への異動を命じられたのだった。

 

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吾輩の猫である 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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