『向かいのムカイくん』より

宇部 松清

第148話 出会いと別れ

「俺達、もう終わりにしよう」

「そんな……!」


 やたらと芝居がかった口調で、戸成となりがくりと膝をつく。いつの間にやらBGMまでセットされていたらしく、抜群のタイミングで流れ出したのはシューマンの『ピアノ協奏曲イ短調』である。いきなりクラシックの話をするんじゃねぇよ、わかるかよ、と思われた方も多いだろう。何となく有名どころはおさえているという方でも『エリーゼのために』や『運命』など、わかりやすいタイトルがついているものならまだしも『●●協奏曲』だの『××交響曲』だのというのははっきりいってタイトルだけではどれがどれやらだったりするだろう。だけれども、これは、ある程度の年齢の方、あるいは多少なりとも昭和の特撮に明るい方なんかはこのワードさえ出せば一発で「ああ、あの曲!」となるやつなのである。そのワードをいまからご紹介しよう。


 ウルトラセブンの最終回に流れてたやつ、である。


 どうだ、もうこれである程度の人はわかっただろう。そう、あの「アンヌ、僕は、僕はね、人間じゃないんだよ」のシーンである。その後に流れるやつだ。これでもわからない方、わかるけど思い出せないという方はもうYouTubeでチェックしてくれ。俺にはこれ以上の説明は無理だ。


 とまぁそんなこんなでウルトラセブンの最終回で流れていたクラシックをBGMに、そいつの三文芝居は続く。


「どうして……! どうしてなんだよ! 俺達、うまくいってたじゃないか!」

「そう思ってるのお前だけだよ」

「そんなはずはない! 先週の『ばんばグランド華月かげつ』でも客をドッカンドッカンいわせてたじゃないか!」

「それ全部お前の脳内のやつだろ? 何だよ『ばんば』って。ばんえい競馬か」

「ばんえい競馬だよ。当然だろ」

「当然の意味がわからん。何でばんえい競馬をチョイスしたんだ」

「こういうのはな、実在する作品とか建物とかそういうのを出さないのがセオリーなんだよ」

「だとしたらばんえい競馬も駄目じゃねぇか」


 知るかよ、そんなセオリー。そんなセオリーがあるなら、もう冒頭からアウトだろ。俺さんざんウルトラセブンとか言っちゃったぞ? お前だって絶対あのシーンをイメージして選んだだろ? ということはもうこの説明込みなんだよ。第一、クラシックの曲の説明とかウルトラセブンのあのシーンとかそんなわかりやすいヒントでもなければ無理なんだから。えーっとほら、あの赤い車がブーンって走ってるCMのさー、とか言われてわかるか? わかんねぇだろ。車は言うほどブーンって走らねぇしな? そんで、赤い車が出るCMなんて星の数ほどあんだろ。いや、星の数ほどはないか。だけど、ウルトラセブンは一人なんだぞ? 俺はさっきから何を言っているんだ。



 『向かいのムカイくん』なのである。

 トチ狂った行動力と妄想力を兼ね備えた危険な男、戸成によって無理やり彼の脳内で連載が始まってしまった、俺をお笑い芸人に引きずり込み、ゆくゆくはお笑い界の頂点を目指すというハチャメチャ日常コメディ『向かいのムカイくん』なのである。もちろん俺としては出演しているつもりはないのだが、こいつの中ではどうやら順調に回を重ねているようで、現在は第148話らしい。3ケ月を1クールとするならば、第2クールの終盤といったところだろうか。


「ちょっとここらでテコ入れをしたい」


 そんなことを言い出した戸成が、「大丈夫、報酬もある」とどの辺が報酬に該当するのかさっぱりわからない『大吟醸・二刀流』を片手にやって来たのは18時のことだった。俺は酒が飲めない。


 まさかそんな恐ろしい連載がガチで始まっていると思わなかった俺が、ほんのわずかな仏心を出して部屋に入れてしまったのが災いし、手書きのメモを渡されて「とりあえず、これを情感たっぷりに読んでくれ」という流れから始まった地獄の茶番である。冒頭の台詞がそれだ。


「そもそも、その『テコ入れ』って何なんだ。お前の脳内のやつだろ、この連載は」

「脳内って言うな。俺の中では現実なんだよ」

「いまお前自分の中って認めたな。よし、言質とったり」

「何かどうにもマンネリ化してる気がするんだよ、俺達」

「俺はマンネリするほどお前と会ってないけどな」


 俺達はそれぞれフリーターと大学生だ。

 この『向かいのムカイくん』連載開始の直前に、俺をお笑いの道へ引きずり込むため、先走って大学を辞めた戸成は、レンタルDVDショップと牛丼屋のバイトを掛け持ちしている。どちらも若手お笑い芸人が売れる前によくやっている(というイメージの)バイトらしく、ある程度休みがとりやすいのだという。

 そして俺はと言うと、就活真っ只中の大学三年生である。一、二年時に単位を取りまくったお陰で授業こそ少ないが、その分就活が忙しい。時間なんて合うわけがない。よって、こんなトチ狂った妄想に付き合っている時間は正直ないのだが、たまには息抜きも必要だしな、とちょっとだけ思ってしまったのだ。だけれども、やっぱりこれは時間の無駄以外の何物でもない。


 そろそろ帰れ、と腰を上げると、まぁまぁ、と何だか部屋の主のような態度で着席を促された。そして「待てって。報酬はこれだけじゃないんだ」などと言って、『大吟醸・二刀流』が入っていた紙袋を再びまさぐり出す。


 こと、と置かれたのは、『純喫茶・推し活』とプリントされたマグカップだ。


 こいつ、完全に頭がおかしいな? と思ったのは俺だけではないだろう。何だよ、『純喫茶・推し活』って。そんな喫茶店どこにあんだよ。少なくとも地元にはないぞ。調べたことはないけど、わかる。第六感ってやつだ。こんな喫茶店、絶対にない。


「これは、俺とお前がネタに詰まった時によく行く喫茶店のノベルティマグカップなんだけどさ」

「……は?」


 ほらみろ。

 やっぱりこいつの脳内のやつじゃないか。


「あそこのマスターも昔、俺達みたいに夢を追いかけてたらしいぜ」

「ありもしない話を語り出すな」

「といってもマスターはサックスだったみたいだけどな。ジャズの」

「それっぽいエピソードぶっ込んでくるんじゃねぇよ」

「だからさ、俺達みたいな夢を追う若者を見てるとほっとけないとか言って、頼んでもいない焼き鳥定食を出してくれたりしてな」

「ちょっと待て。何だ焼き鳥定食って。そこ純喫茶なんじゃないのか?! 大人しくミックスサンドとか出せよ! ほんとに頼んでねぇよ! それ絶対裏メニューとかのやつだろ!」

「あったかいよな、下町って」

「ここ下町じゃないけどな」

「俺、あのマスターに出会えて、人の温かみってのに初めて触れた気がするんだ」

「それが初めてに思えるなら、お前いますぐご両親にぶん殴られてこいよ。ここまでぬくぬくと生きて来てよくもまぁそんなことが言えたもんだな」

「だけどさ、そのマスター、……うぅっ」

「お前全然俺の話聞かないな。何だよ。いきなりどうした」

「も、もう長くないんだって……。もう88歳だし、身体中にガタがきてるって」


 まぁ88歳ならそういうものなのかもしれない。ただ問題は、そんな、かつてサックス奏者を目指し、夢を追う若者に焼き鳥定食をサービスするという『純喫茶・推し活』のマスターなる人物なんて存在しない、ということである。


 だけど、こいつの中ではそのマスターは実在しているらしく、涙をぼろぼろと零しながら、ぐすぐすと鼻まで啜っているのだ。もう帰れ。


 これ、いつまで続くんだろうな、と呆れ顔で見つめていると、溢れる涙を袖で乱暴に拭った戸成が、困り眉のままでニカッと笑った。


「だからさ、向井。せめてマスターのことはさ、笑って送ってやろうぜ!」

「は? 送るってどこに」

「決まってるだろ、あの世にだよ!」

「馬鹿じゃねぇの?! まだ生きてんだろ!? 無理やりあの世に送り出すなよ! サイコパスかお前!」

「最期に俺とお前で最高のステージを見せてやるんだ!」

「その『さいご』も『期』のやつだろ!」

「笑って死ねりゃ本望だろ」

「お前が決めんな! 第一そんなにウケるか! !」


 しまった、と口を押さえた時には遅かった。

 戸成は、言ったな? と言わんばかりににんまりと笑って、ぺこりと頭を下げた。


「どうも、ありがとうございました~」

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