闇夜のナルシスト――激走!サンバー・トランスポーターCVT

刈田狼藉

一話完結

今日のオレの車の運転は、とてもイライラしたものだった。年度末で、仕事がとても忙しかった。いつも事務所を夜の九時に離れて帰途に就くのだけれど、小説が書きたくて、たまにはせめて、八時くらいには事務所を出て、どっかのカフェで執筆したいなー、などと田分けた事を思っていて、そして思ったまま、思ったまま二週間が経過した。経過してしまったのだ。なんてことだ。二週間だ。その間休みも無く・・


夜八時に、

夜八時に、

夜八時に退勤することすら出来ないのだ!!!


五時じゃないよ、

六時ですらないよ、八時だよ。


いやでもそれは、決して今に始まったことでは無くて、ずっとそうで、もう二十年くらい前からそうで、業務に、書類に、メールに、電話に、更には夜間の緊張対応に、追われ捲られる人生なのだ。今日は土曜日だけど普通に出勤だった。明日ももちろん休日出勤。そしていつも通りの社内独自法制による法定十二時間労働をこなして、さあ夜八時、今日は帰れる、よし今日こそはコーヒーを楽しみながらの執筆と洒落込むぞ、と意気込んだ矢先の夜間緊張対応要請・・・


ざあーーーーーっっけんなっ!!!!!


軽四ワンボックスに乗り込みCVTの異次元の加速力そのままに夜の街道を向こう見ずなアクセル・オンでひた走った。あーあ、お茶飲みながら小説書くっていう、こんな地味な願望すら叶わねえよオレ、仲間と呑みになんか一生行けねえよこんなんじゃ、なんだよこの日常、なんだよこの毎日、なんだよこの仕事、なんだよこの人生、・・・


と、

その時、

なんだかヤケにゆっくり走っているアルファードがオレのハイゼットの行く手を塞いだ。ずいぶんゆっくり走っている。ワザとなんじゃねえのか?・・・もともとイジメられっ子で、小説を書いたりしてしまうくらいには自意識過剰で、被害妄想を抱きやすいオレはついそう思ってしまう。その車がよりによって「アルファード」であることもその思いにさらに拍車をかける。ワザとなんじゃねえのか?嫌がらせなんじゃねえのか?そう思ってしまう。


でも、ガマンする。

決して、怒らない。


怒ったりしたらみっともない。いい歳をして急加速で追い抜いたりなんかしてゼッタイあとで自己嫌悪に陥ること請け合いである。なのに、それにも拘わらず、交差点でものすごーーーくゆっくり左折したそのアルファードが歩行者もいねえのに横断歩道の前でブレーキ踏んで一時停止しやがったのにブチ切れてしまったオレは、思わずクラクションを鳴らしてしまう。そして敢えて、敢えてゆっくりと通り過ぎてやる。


遅っせーんだよこのバカ、

文句があるんだったら降りて来いよ、

という婉曲なメッセージだ。


で、通り過ぎる。たいていの場合がそうであるように、今回も何も起こらない。まったく、どいつもこいつも・・・客といい、会社といい、道ゆくクルマといい、どいつこいつもオレに時間を空費させて小説を書かせない気だ、なぜだかそんなふうに思えてしまう。


あーーーっ!くそっ!ムカムカする・・・


そして信号待ち、

オレはハンドルに凭れるよう力無く顔を伏せ、


ふーーーっ、と、長く、息を抜いた。


まだ道のりは長い、今からこんなにイライラしていては身が保たない、というか危険だな、と思ったのだ。こんな気分でハンドルなんか握って、ロクなことにならないぞ、と。信号が青に変わりアクセルを踏み込むと、冷たい夜の幹線道路の景色が音もなく流れ出す。まっすぐに前を見ながら、胸のうちに鋭い痛みにも似た、ある種の後ろめたさを感じる。なんだろう?でも、まあ、いいか、そう思う。無視できる程度の小さな痛みではあるし、それに、悪いのはオレじゃない。あのロクでもないアルファードと、このクソ忙しい仕事のせいだ。


そうこうしている内に、三十分ほどで緊急対応の現場に到着し、その防火対象物(建物のこと)の前にクルマを停める。さて、仕事である。業務用の工具が一式挿してある腰道具のベルトをつかむと、オレは軽四のドアを開けた。


で、

十五分後、

緊急対応と復旧措置を終えたオレは、腰道具を後部座席に投げ込み、軽四の運転席に乗り込んだ。


え?

なになに?

いくらなんでも早すぎるって?


そう、

そうそう、

大体いつもそう。


緊急対応なんて、大した仕事じゃない実際。だから、これは重要なことだが、大した金にはならない。だけど移動には時間がかかる。ものすごくかかる。度重なると、大変な損失である。それに小説を書く時間も無くなる。なんてことだ。このつまらない仕事が人生を侵蝕し、このたった一度しかない生を、意味のない虚ろな時間に貶めようとするのだ。


夜も更け、ガラガラに空いた保土ヶ谷バイパスを、オレは東へと飛ばした。せめて自宅の近くのコンビニでコーヒー買って、それ飲みながらスマホで少しだけ執筆を進めよう、そう考えたのだ。自宅に帰ってしまうと嫁さんが就寝する深夜十二時半まで創作活動はできない。文学とドラッグとセックスは家庭には持ち込まない、というルールなのだ。


と、その時だ。


ひた走るオレの軽四の前に、突如としてミニバンが割り込んできた。それもよりによってエルグランドだ。デカくて、四角くて、ちょっと悪そうで、なんかムカつく。


怖そう、

強そう、

なんかエラそう。


以前のオレは、そういうクルマを見ると、逆にことさらにアオリ気味に走ってみたり、テメエなんか眼中ねえぜ、みたいな態度で顎を上げ、視界のずーっと下の方にそいつの姿を収め、ガムなんか噛んで見たりして、敢えてナメ腐った片手運転で、窓枠に右肘突いてかったるそうな頬杖で走ったりしたものだが、いや、そんなの誰も見ていないワケなのだが、自意識過剰にも程があるのであるが、今は。今はそういうことはしない。いや、恥ずかしい話ではあるが、それもここ、実はまだ、三、四年くらいのハナシである。年甲斐の無いことオビタダシイのである。だが、小説を書くようになって、オレはそういう乱暴な所業をしなくなった。したく、無くなったのだ。


この、強くて怖そうな相手にことさらに反応してしまうのは、実はオレ自身の気の弱さの裏返しである。怯えやすい自身の精神性を認めたくないのだ。いじめられっ子だったのは子どもの頃の話で、そんなのはとっくの昔に克服し、今、オレは強くなった、そう思いたいのだ。それが、小説を書くようになって、そうじゃなくなった。オレは、ほんとうは気弱で怯えやすい自分を・・・


っと!

その時、

さらに今度はパール・ホワイトのベルファイヤー(アルファードの大きくて強そうなヤツ)が、右から急に割り込んできた。


あぶねえっ!


なんなら軽くブツけてやろう、くらいの乱暴な運転。なんなんだ今日は?なんて日なんだマジで!


そこから更にそいつは軽くブレーキを踏み、赤い制動灯を眩しく点灯させてこちらを牽制し、オレを酷く慌てさせ、しかもそのまま、カーーーッ、っと左の車線に流れ、凄まじい加速力で走り抜けて行ったのだ。片側三車線ある保土ヶ谷バイパスの、いちばん右側の追い越し車線から、いちばん左側の走行車線に、車線変更して行きやがった。


オレは思う。

思わないワケにはいかない。


その真ん中の車線にいたオレの立場は、一体どうなってしまうのか?オレのプライド、オレの自尊心はどうなってしまうのか?軽四貨物のサンバーのことなんか知ったこっちゃねえよ!眼中ねえぜ!ということか?オリジナル小説・人間魚雷(註記:誰も読んでない)の作者であるオレとしては、これはもうブッちぎって思い知らせてやらねばならない、無敵の不敗神話、峠の主が、誰であるのかを・・・って、ちょっと待った、ここは峠じゃない、みんなの生活道路:保土ヶ谷バイパスだ・・・しかし、しかしだ、圧倒的なパワー伝達効率を誇る無段変速駆動方式――「CVT」の爆発的な加速力をもってすれば(だいぶ大袈裟、怒りによる誇大妄想)、追い付くことは可能なハズ。


よしっ!

こンのヤロォ~~~ッ!

!!!


しかし、オレはそうしなかった。深くため息をつき、かゆくもない頭を掻いて、後ろの方に身体を倒し、シートに、深く、背中をあずけた。そして「あぶないなあ・・」誰に言うともなく、そうつぶやいた。


追いかけるのは、ヤメた。

怒るのもヤメた。


いじめられっ子だった頃の、イヤな感情が甦ってくる。やり返せない、やられっ放しでガマンするしかない、いや、やられっ放しで泣いているしかない、あの頃の、こどもの頃の、つらい気持ち、ミジメな気持ち。


なんだか今、泣きそうな気分。


「下品な運転しやがってこのベルファイヤー野郎!下品なのはそのウスラでかいクルマだけにしやがれ!」


と吐き棄て、


「あやまらせてやる!」


と追いかければ、きっとそのいじめられたような気持ちは消えるのだろう。いじめられる側からいじめる側に回れたと錯覚し、怖くて膝がわなわなと震えてしまった事実を、きっとごまかしてしまえるに違いない。


でも、

それは下品なことだと思う。


強がってほんとうは弱い自分から眼を背けるなんて、とても卑しいことだと思う。


早くコンビニに入ってコーヒーを買おう。そう思う。今日はいろいろと嫌な思いをしたから、少しだけ、そのコーヒーに砂糖を入れよう、そう思う。そして駐車場に停めたクルマの中で、甘いホットコーヒーをちょっとずつ口に含みながら、スマートフォンで小説を書くのだ。


美しさを表現するということは、人間になしうる行為の中で、もっともすてきな試みだと思う。だから、すべてを許そうとおもうのだ。許すというのは、忘れる、とか、気にしない、ということじゃなくて、つらくて、くやしくて、泣いてしまう自分を見つめて、受け容れる、ということだ。だって、ありのままの弱い自分であり続けなければ、こどもの頃から変わらない怯えやすく感じやすいこころを持ち続けていなければ、小説なんて、美しいものなんて、たぶん書けないし、何が美しいかなんて、きっと解らない。「あぶないなあ・・」そうつぶやくだけで、他になんにもできないし、でも一日の終りに大好きな小説が書けるんだから、それでいいではないか。強いふりをして仮初の自尊心にほくそ笑む、そんなこころの持ち主の胸中に、美が、宿るはずもないし、小説など、書けるはずもないのだから。


もう告白する。

オカシイかも知れないが言ってしまう。


オレは、みんなにやられっ放しでめそめそ泣いて、それでも夜、小さな灯りのもとで、なぜか頬を熱くしながら小説を書く自分の姿が、そのありようが、愛しくてたまらないのだ。












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闇夜のナルシスト――激走!サンバー・トランスポーターCVT 刈田狼藉 @kattarouzeki

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