タナカと何処まで続く道


社会を理解するということはなんだ。

僕らが普段何気なく暮らしている日々は何によって成り立っているか。


はるか昔、社会というのはそのまんま人間が群れて形成されるものだった。

今はよりグローバル化が進み、社会という言葉が指すものは日本のみならず、世界全体、つまり国際社会にまで広がっている。

ただ群れているだけではなんの意味もないし、快適には暮らせない。


だからルールがある。

実は社会はルールによって成り立っている。


何かするにも決まり事を作ることで、烏合の衆から、少しましな烏合の衆へと脱却できる。

つまり、ただの集団と社会の違いはルールがあるかないか、もしくは指導者がいるかいないかだと考える。


じゃあ社会を理解することは、ルールを理解することなのか。

それはまた違うと僕は思う。

ルールというものは、あくまでもルール。

各々を縛るものではあるが、厳しい規律の元ではのびのびと暮らすことは出来ない。

だからそこまで細かくは決まってはいない。

それに、ルールというものは各国地域によって異なる。

自然に、ルールを理解したところでそれは上辺の「当然」を掬っただけに過ぎず、社会を理解したとは言えない。

人間社会というものはもっと深みを内包しているものだ。


じゃあ社会を理解するということはなんだろうか。


実際の所、うだうだと物事を語っていても次から次へと疑問が生まれるだけ。

正解はない。


「で、何が言いたいんだよ」


今まで黙って聞いていたくせに長くなると悟った途端、口を開いた。

なんとも勝手なやつだ。


「・・・つまり、快適な生活を送りたいのであれば大人しく従うしかない」


「ちぇ、結局そうかよ」


やせ細ったうぃだいんぜりーが悲鳴をあげる。

不満げなこいつは口をつけたままこちらを見た。


「でもよ、ちょっとだけだぜ。

ほんのちょっとだけ刈り上げただけだって。

確かに被ってるかもしれんけどさ・・・」


「生徒指導部に言え」


ぱっぱと横の髪の毛を上げ下ろし、愚痴愚痴不満を口にした。

大方ご察しの通りだ。

彼は頭髪を注意されたので、先生には言えないような強気な事を僕に向かって吐き出しているのである。


そんなことをしているうちに、校則は必要なのかという話題へと移行していったのはごく自然のことだろう。


冒頭に戻る。


学校というものはいわばひとつの小さな社会だ。

より小さな地域の集まりである小学校から始まり、少し広がった中学校を経て、良くも悪くも似た者同士が集まる高校へと移り変わる。

実に9年間の義務教育の過程で、歩く子供らには心身ともに大きな変化が訪れる。

人格が形成され、価値観が生まれ、どんな人になりたいだとかあの子が好きだとかそんな憧れや目標を持つことになる。


大学ともなればそれは小さな社会ではない。

なりたい自分になるという名目で勉強し、それぞれが確固たる目的を持っている。

指定校だろうが一般だろうが推薦だろうがなんだろうがひとつの手段に過ぎず、どんな方法を選択しようがそれは自由であり、それによっての優越など存在しない。

何がしたいかよりも、何をするかだ。

僕達はどこへ向かうのか。

僕達はいずれ、「僕達」では無くなり「僕」になる。

大学はその過程に過ぎない。

進学するかしないかは自由だとは言うが、周囲の「行って当然」という圧力があるのは確かだ。


高校を最後に学生を終える者、その人たちは劣っているのか。

ある意味、というよりは履歴書的には華がないのかもしれないが、それは他人よりも早く自己を確立した実績そのものであり、むしろいち人間としては自分の頭で考えるという点において優れていると言えると考えられる。


このように、いざ学校から解き放たれて「社会」に出てみれば、実に様々な個性があるものだと感心を超えて感動する。

その個性はどこで分岐するのか。


答えは簡単である。

鏡。


個性や特徴は、自己の反射だ。


今の今まで自分が何をしてきたのか。

どのような気持ちで、活力で生きてきたか。

「青春なんて、ばかばかしい」

「そんなに本気でやって何がしたいんだろう」

全て積み重なる。

全て後の自分を構成する。

何もかも、繋がった階段だ。


いつかは終わる。

そう分かっていても、わかってる気でいる。


若いと胸を張って言える時には気づかない。

仕事に追われ始めて失ったものに気づき始める。

そうして言うんだ「最近の若者は」。

多少の問題も気にしない、正しく今を生きている間違いなく世界最強の生物コウコウセイを羨んで大人は言うんだ。


そんな可哀想な大人も、恐れ知らずの若者も全てひとつの集団としてまとめなくてはいけない。

最初に戻る。

ルールが必要だ。


明日からいきなり校則をとっぱらってしまったらどうだろう。

きっとみんなは、まず第一に他人の目を気にする。

友達にでもLINEを飛ばすはずだ。

「明日何着てく?」

「どんな髪型?」

「荷物は?」

「どこまでがおっけーなの?」

あれだけ校則がどうの、

縛られることがどうの、

自由だなんだと言っていた筈なのに、


結局は制服を着て、時間通りに、それなりの髪型で。

不思議なことで、少なくとも1週間、校則通りの生活を送るはずだ。


髪を染めたいと思うけど、みんなが染めないから浮きたくない。

私服がいいけど、自分以外が制服だったらどうしよう。

そんなような事を考えて、やや緊張しながら登校するのは楽しいだろうか。


何となく、本当に何となくではあるが、過ごしずらい気がする。


校則を否定するのであれば、どうして制服で高校を選ぶことがあるのだろうか。

可愛いから、かっこいいから、それとも普通だから?


みんなが同じ格好をしてくるとわかってる。

同じ時間に、同じ授業を受けるとわかってる。

だから、安心して登校できる。


ルールがない学校は荒れるのではない。

縛るものがないイコール自由ではないのだ。

すなわち、ルールがない社会は楽しくない。


ルールが守れなかったら、楽しくは暮らせない。

一人で充実した楽しい人生を遅れるのならば守らなくていいのかもしれない。

いいや、そんなことは不可能だ。


校則も、法律も、憲法も。


それもどれも僕らが楽しく過ごすためには必要不可欠だ。

だから、時代に合わせた変化も時には必要になるはずだ。

諸行無常の世の中だ。

1年ずつなんてスパンではない、もっと短く、もしかすると一秒ごとかもしれない。

僕達は常に変わっていく。

人間とは考え、間違え、反省する生き物だ。


永遠に不可侵のものは存在してはいけない。


だから校則に文句を言う暇があるのならば、より良い校則を考え、提案するべきだ。

それが出来ないのであれば、愚痴愚痴個性を出し切れない自分を肯定するのは辞めるべきだ。


僕達は変わっていくんだ。

どこまでも続く。

どこまで続くか誰にも分からないけどどこまでも続く。


苦しくても歯を食いしばって、重い荷物背負って。

汗を脱ぐって、涙こらえて。

辛いよって言葉を一人飲み込む夜をいくつも越えて。

朝、夜、朝。


楽しいと思える人生を各々必死に探すんだ。



社会を理解するということはなんだ。

それはきっと自分を理解してあげること。


僕らは嫌でも考えることを辞めない。

辞めることが出来ない。

じゃあ、楽しいことを考えよう。

楽しいことだけ考えてしまおう。


人間は、ひとりになった時と考えるのをやめた時に初めて死んでしまう。


ルールだ何だと偽りの自由を探す必要なんてない。

もう既にあるこの環境下でどれだけ自由になれるのか。

そんなことが問われている。

僕はそう思う。



夕焼けに照らされた隣のこいつは呑気に眠ってた。

一瞬でも羨望を抱いたあたり、僕もどうやらちゃんと人間やってるらしい。


少し広めのおでこ。

思いっきりデコピンをした。







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眠れない夜へ 夏瀬縁 @aiuenisi8

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