88歳の米

沢田和早

88歳の米

 目を覚ました歳三さいぞうは驚きを隠せなかった。見慣れぬ部屋に寝かされていたからだ。


「おや、起きましたか」


 声を掛けてきたのは初めて見る男だ。歳三は布団の上で半身を起こし訊ねた。


「ここはどこだ。どうしてオレはこんな部屋にいるのだ」

「私にもわかりません。目が覚めたらここにいたのです」


 見回せば部屋の中には10人ほどの男たちが寝転んだり座ったりしている。どうやら全員赤の他人同士のようだ。


「皆様、おはようございます。食事にしますので布団を畳んでくださいませ」


 いきなり愛想のよさそうな老人が入ってきた。すぐさま疑問をぶつける歳三。


「ちょっと待て。ここはどこだ。オレたちはどうしてここに連れて来られたんだ」

「それは朝食の席で説明させていただきます。ささ、膳を置く場所を空けてください」


 開いた扉の隙間から味噌と焼き魚の匂いが漂ってくる。急に空腹を感じた男たちは布団を片付けて飯を待った。


「どうぞ、お召し上がりください」

「これは豪勢だな」


 男たちの前には朝食とは思えぬ料理が並べられた。山盛りの白飯、豆腐と小蕪の味噌汁、焼き鱚、香の物。大藩の殿様でもこれほどのご馳走は食べてはおらぬのではないかと思われるほどだ。歳三も男たちもすっかり機嫌が良くなってしまった。


「お食事を続けながら聞いてください。本日は皆様に稲刈りをしていただきたいのです。何卒お願いいたします」

「稲刈り? それだけのためにオレたちをこんな場所まで運んだのか」

「さようでございます」

「稲刈りくらい頼めば手伝ってやる。わざわざ眠っているオレたちを運ぶ必要はないだろう」

「断られては困るからです。誰でもよい、というわけではないので」

「つまりオレたちは、選ばれた男たちってことか」

「はい。それについては稲刈りが済んだ後で説明いたします。とにかく皆様にはどうあっても本日稲刈りをしていただきたいのです。この朝食は手付金のようなものとお考えください。もちろん無事に稲刈りが済みましたらお礼の金子も差し上げます」


 これだけの好条件を提示されては断る理由はなかった。男たちは全員了承した。


 食事が終わると着替えをさせられた。少し変わっていた。絣の野良着の上に白衣を羽織り赤襷をするのだ。まるで早乙女のようだ。


「田の中では声を出さないでください。そして一振り一振り真心を込めて刈ってください」


 男たちは田に入って鎌を振るった。部屋の中には10人ほどしかいなかったが、広大な風景の中には100人近い男たちが作業をしていた。皆、手分けして稲を刈り、束ね、稲架に掛けていく。その誰もが白衣に赤襷の格好だ。きっと彼らも自分と同じように眠っている間に連れて来られたのだろう、と歳三は思った。


「ほう、おまえは隣村の者か」


 休憩は半刻ごとに与えられた。その時には声を出すことが許されたので、供される菓子と茶を味わいながら男たちは雑談を楽しんだ。

 歳三は目が覚めた時、最初に声を掛けてきた男と話をしていた。


「はい。炭焼きをしております」

「隣村で炭焼き……ひょとしておまえ、権歳太ごさいたではないか」

「そうです。あなた様は?」

「オレは歳三だ。ただの水呑み百姓だ」


 それからは話が弾んだ。休憩のたびにふたりは会話を楽しんだ。


「わしは歳吉さいきちだ、かなり遠い土地に住んでいるのに、よくもまあ一晩で運べたものだ」

「私は都に住んでおります。名は徳歳衛門とくさいえもん。稲刈りは初めてなので苦労しております」


 休憩のたびにお喋り仲間が増えていった。そのたびに珍しい菓子が出され、昼には朝食を凌ぐほどの豪勢な料理が出された。

 しかも稲刈り中に声を出さなければ、どんなにのろのろと刈っていても注意されることはなかった。これほど楽な仕事はない、むしろこのままこの村で過ごしたい、そんなことを言う者まで現れる始末だ。


「皆様、ありがとうございます。おかげで全ての田の稲を刈ることができました。ささ、ひと風呂浴びてくださいませ」


 村には大きな湯治場があった。そこで汗を流し、用意された浴衣を着ると、今度は大広間に案内された。


「これは広いな。100畳はありそうだ」


 大広間の正面には神棚が祀られており、刈ったばかりの稲穂が献じられている。男たちは11人ずつ、8列になって神棚の前に座らされた。老人が大広間に現れ深々とお辞儀をする。


「今日、皆様に刈っていただいたのは御神田の稲です。私どもの村には昔から伝わる風習がありまして、御神田の稲を刈ることができるのは、ある特徴を持つ88人の男たちに限られているのです」

「特徴? どんな特徴だ」

「ある文字を含んだ名を持つ男たちです。その文字は毎年変わるのです。一昨年は『助』でした。昨年は『秀』でした。そして今年は『歳』です」


 歳三は思い出した。確かに自分の名には『歳』が入っている。最初に声を掛けてきた男は権歳太。次に話した男は歳吉、次は徳歳衛門。皆、『歳』の字が入っている。


「数人ならばそれほどの苦労もなく集められますが、88人となるとそうもいきません。せっかく見つけても断られては水の泡です。そこで少々強引ですが、眠っている間にこの村へ運ばせていただきました。ご無礼を働き本当に申し訳ありませんでした。改めて陳謝いたします」

「あんなうまい飯を食わせてくれるんなら。毎日でもさらってほしいくらいだぜ」


 歳三の言葉に笑い声が起きる。88人全員同じことを考えていたのだ。


「残念ながら同じ文字が指名されることは二度とありません。皆様も今年限りとなります」


 溜息と嘆きの声が大広間を満たす。老人は神棚に近付くと献じられている稲を手に取った。


「御神田の米はその年の文字を付けて呼ばれます。今年の文字は歳。88人の歳の男たちの米。ですから『88歳の米』となります。後ほど皆様にも一束ずつ献上いたします。郷里に持ち帰って神棚に献じるのも良し、食するのも良し、種籾にして収穫するのも良し。たった一度だけの『88歳の米』、お好きなようにお使いください」


 大広間に大きな拍手が沸き起こった。


「88歳の米か。食えば88歳まで長生きできそうな気がするな」


 今年87歳の歳三はそうつぶやいた。



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