老いて得たモノ

キロール

隠棲した者の告白

 平和は良いもんじゃ。田畑を耕して自分たちの食うものだけを育てるだけで済む今の生活をワシは大いに気に入っておる。


 シャーラン王国の為に人を闇に葬り去り、他国の機密を盗み、或いは幾人もの要人を破滅させたワシがこの様な平和を享受しても良い物かという思いは、時折覚える。


 それでもこの平和を手放す気にはなれんかったわい。もう裏稼業はこりごりじゃて。


「アダン爺さん、今年で八十八だったかぁ?」

「ほうじゃ。数えで八十八よ」

「道理でしわくちゃじゃのぉ」

「馬鹿言えっ! オメェだってしわくちゃじゃねぇか」


 同じ村の連中がそう声を掛ける。シャーラン王国の王都より遠いこの村に若者はいねぇ。年老いた化け物……長年密偵として勤めあげて生き残ったワシらだけに与えられた平和な余生を享受する場所じゃて、若者など居るはずもなし。そして、この余生を享受できる密偵は全体の1パーセントにも満たぬ。

 

 六十年の密偵生活を生き残るのは生半可な事じゃなかったわい。血塗られた道に溺れるでも嘆くでもなく、まっすぐ歩いた者だけに与えられた特典、そう言えるかも分からぬ余生は、いわば秘密を持つ我らを飼い殺す為の措置。


 我らは野に放すにはあまりに多くの秘密を持っておるが、じゃからと言って殺そうとして一人でも逃がせば王国が傾く。それほどの秘密を抱えた者達じゃからな、人間と言えども王国も丁重に扱う事にしたようじゃ。エルフやケンタウロスのような支配者階級ではないワシらがこの国でのうのうと生きていられるのはそう言う訳だ。


 ワシらもいまさら他国に行こうとも思わんから、この飼い殺しの境遇で余生を終えるのに否はない。


 じゃが、事態は変わった。齢八十八を数えた翌日にブラウニング公がこの村を訪れなすった。今や森に住まう事すらなくなった森妖精エルフの中に在っても、未だに森の律を守らんとする頑固なお方じゃ。齢も数百と言う人間では到底届かぬ年齢の正に頑固爺。


 そのお方が訪ねてきた。


「子連れの剣士が、ですかい?」

「そうだ」


 老木のような細く厳めしい老エルフはにわかには信じられない話をした。五十人からなるシャーラン王国の射手部隊が子連れの剣士に斬られたと言う。それも森の中で。


 ありえない。エルフの射手の恐ろしさを知らぬ者はこの大陸にはいない。大国ロニャフの三千の兵を僅か三百で撃退した話など有名過ぎる逸話じゃて。森に誘い込まれたロニャフの兵たちは木々を飛び移り決して木から降りることなく矢を射かけ続けるエルフの前に逃げるしかなかったと言う。


 そんなエルフの射手が五十人も集まっておきながら、ましてや森の中で獲物を逃すなど聞いた事もない。それどころか、その全てを斬って捨てる等と言う所業が人間に出来るのじゃろうか? 出来るはずがない。だが、出来ぬ事をやってのける輩は時折いる。


「我らにどうされよと?」

「五十人の射手がただ一人の人間にやられたとあってはシャーラン……いや、エルフと言う種の名折れ。どのような手段をもってしても討ち取ってもらいたい」

「おいぼれを使う必要がありましょうや?」

「並みの相手ではない。お前たちの経験が必要なのだ」


 子連れの男を名誉の為に殺せと言う。平和を享受していたワシらに再び地獄に行けと言う。そいつは承服しかねるなぁ。


「お断りいたします」

「……何故?」

「一つに既にワシらは老いぼれ、物の役には立ちますまい。二つに今の生活は密偵を六十年勤め上げたワシらの権利、これを侵さば今後は六十の年数を勤め上げても国に残らない選択をする密偵も出ましょう。みっつに……非はどちらにあるのか。ブラウニング公は事件の原因について申しませなんだ。これは――」

「……老いたりとは言えよく回る口よ」


 皆まで言わせずブラウニング公は片手をあげてワシの言葉を遮って、暫し逡巡した挙句に口を開く。


「――本音を言おう。その子連れの剣士が律を正すために使えるかを知りたい」

「律を正す? そ、それは……まさか」

「王を弑逆しいぎゃくたてまつる腕を持っているのか確かめたい。……このような片田舎とは言え、お前達ならば聞きおよんでおろう、王の振舞を。――我が首を王に捧ぐか、子連れの真価を見極めるか選ぶが良い」


 王への反逆を聞いてしまった以上は事を起こさねばなるまいが、ブラウニング公はエルフの大貴族。森に住む事のなくなったエルフの中に在って未だに森の律を守らんとする頑固爺。そんな男が王を殺すと言う。が、それも無理からぬことじゃて。


 今の王は漁色ぎょしょくに励むばかりか、人を買ってまで弄ぶと言う。城の風紀は乱れ退廃に覆われておりさながら物語に出てくる魔の城の様相を呈しているとか。即位して三十年、十年ほどは真っ当な治世であったものが今となっては真っ当とは程遠い。


 二十年余の悪政は寿命の長いエルフであても国の命運が潰えかけるのも無理からぬ時間。或いはエルフの寿命よりも国の寿命の方が短いかもしれない。それであっても足掻かねばならんか。


「では、その子連れの剣士の力量を計ってまいりましょう」


 ワシはそう告げてブラウニング公に頭を下げた。


 さて、その子連れ、国の行く末を託すに足りうるかどうか。それは託す方にとっては名誉な事だが、託される方にとっては迷惑この上ない事ではあろうかのぉ。


 情報に基づき、子連れ剣士の行く先を先回りしてそれとなく接触する事にした。はてさて、まみえた子連れの剣士は風変わりな親子だった。親父の方は黒髪で背丈はさほど高くはないが、その足取りや気配の配り方が一流の剣士を思わせた。子の方は金髪でちと目付きは悪いが可愛らしい五歳ばかりの娘。親子と呼ぶには髪の色や容姿はまるで似ておらなんだが、その振る舞いは親子のソレだった。


 殺気は完全に断っておるから、ワシらが密偵であるとは気づかれなんだ。だが、親父の方には隙はまるでなかった。不慮の事故からも我が身と娘を守れるほどに、隙は無かった。この男であれば王すら殺せるかもしれない。じゃが……。


 果たして親子の仲を裂きかねない結果を招く王殺しなど任せるべきであろうか? 娘は可愛い、孫、いやひ孫と言う物があればあのように感じた物であろうか。親父の方とてワシから見れば遅く生まれた子か早くに生まれた孫かの年齢。親子の触れ合う様子や娘の何気なく愛らしい動きを見ておると、国のごたごたに巻き込む訳にはいかぬと言う思いが強くなる。


 密偵として六十年、家族も作らず生きて来た。余生の十数年は平和そのものじゃったが、そこには家族と呼べるものは同じ境遇の爺と婆しかおらなんだ。だからか、こうして世代の違う、若い者達を傍に見続けておると守らにゃならんと言う思いが強くなる。


 それに、家族の仲を裂くような真似は金輪際ごめんじゃて。もうこりごりじゃて。王を弑逆せにゃならんのならば、ワシがやろうかという気持ちにもなる。


 まあ、しいて言えばそれが動機かのう? それ以外には特にない。稀有な若い剣士とその娘を巻き込むよりは老い先短いワシがやるのが一番じゃて。


 ああ。案外簡単じゃったわ。

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