例え叶わない夢だとしても

無月弟(無月蒼)

例え叶わない夢だとしても

 しとしとと雨の降る中、おじいちゃんの葬儀が、しめやかに行われている。

 おじいちゃんと言っても、私の祖父と言うわけじゃない。行きつけの画材店の店長さんだ。


 町で唯一の画材店。個人経営の小さなお店で、高校で美術部に入っている私は、よくそこに通っていた。

 画材店を訪れるのには絵を描くための道具を買う以外に、もう一つ理由があって。それがお店の店長さんとお話をする事。

 高齢の男性の方で、私は密かに『おじいちゃん』って呼んでいた。


 本当の祖父は、父方母方共に、私が産まれた時にはすでに亡くなっていたから。画材店のおじいちゃんのことを、まるで本当のおじいちゃんみたいに慕っていたの。


『朱莉ちゃんいらっしゃい』って、笑顔で出迎えてくれていたおじいちゃん。

 遺影の中のおじいちゃんはいつもと変わらない笑顔を見せているけど、もうこの世にはいないんだって思うと、涙が込み上げてくる。

 おじいちゃん、本当に亡くなっちゃったんだ。


 涙を拭っていると、不意に背後に気配を感じて、振り返ると一人の男性が立っていた。


「小泉朱莉さんですね。父が生前、アナタの事をよく話していました」


 現れたのは、おじいちゃんの息子さん。会うのは初めてだけど、遠くの街で働いているって、おじいちゃんから聞いた事があった。


「あの、この度はご愁傷さまでした」

「おじい……店長さんが私の事を、話していたのですか?」

「はい。とても絵の好きな女の子がいるって、言っていました」


 それを聞いて、涙が少し引っ込んだ。

 とても絵が好き、か。それはおじいちゃんの方じゃない。


 私はおじいちゃんほど、絵が好きな人を見たことがない。それどころか、もしもおじいちゃんがいなかったら、私は今でも絵が好きでいられたかどうかも、分からないっていうのに。


 ふと中学生の頃の出来事が、思い出されてくる。たしかあの日も、今日みたいに雨が降っていたっけ。



 ◇◆◇◆



 あの日私は、ひどく落ち込んでいた。

 私は中学校でも美術部に入っていたんだけど。その日同じ美術部に入っていた友達が、コンクールで入選したんだっけ。


「おめでとう、やったじゃん」

「アンタならいつか賞取れるって思ってたよ」


 美術部の仲間達が、口々にその子の事を称賛し、私も「おめでとう」って言ったけど。胸の奥には、黒いモヤモヤが広がっていた。


 ――どうして私は、結果が出せないんだろう。


 そんな風に思ったのは、何も今に始まった事じゃない。

 今回受賞した子以外にも、賞を取ったことのある友達は何人もいて。だけど私は何の結果も出せておらず、その事が酷い焦りと不安を生んでいた。


 友達の受賞を、妬んでいるわけじゃない。それはちゃんと、嬉しいって思う。

 だけど周りがどんどん結果を残していく中、自分はいったい何をやっているんだろう。何だか一人だけ、ぽつんと置いていかれている気がして、凄く不安な気持ちになってしまっていた。


 私はファミレスでお祝いをしようという誘いを、用事があるからと言って断って、逃げるようにして学校を去った。

 本当は用事なんて無かったのに祝いもしないで帰るだなんて、酷い友達だ。


 すると罰が当たったのか、帰る途中に激しい雨が降ってきて。傘なんて持っていなかった私は、近くにあった画材店へと避難した。


 本当は絵の事を思い出すような場所にはいたくなかったんだけど、背に腹は代えられない。

 するとやって来た私を見て、おじいちゃんはタオルを貸してくれた。


「急に雨に降られるなんて、災難だったねえ。今日は友達は一緒じゃないのかい?」


 おじいちゃんの言葉に、ズキリト胸が痛む。

 私は友達が受賞した事、それを祝わずに、一人で帰ってしまった事を話すと、おじいちゃんはそれを黙って聞いてくれた。


「なるほど。それで今日は、一人だったわけか。そんな風に不安になることってあるよね。僕にも覚えがあるよ」

「店長さんもですか?」

「ああ。僕もいつか賞を取りたいって思って絵を描いてるけど、結果は全然だからねえ。なのに知り合いが次々受賞して行って、嫌な気持ちになったことは一度や二度じゃないよ」


 実はおじいちゃんも絵を描いていて、アマチュアのコンテストに度々出していたのだ。

 おじいちゃんの絵はとても柔らかなタッチで優しい感じがして、私は好きなんだけど、受賞歴は無く。前に下手の横好きで続けているだけだって、苦笑していたっけ。


 だけどおじいちゃんは今でも、絵を描き続けている。もう八十を過ぎているのに、今も元気に描いては、コンクールに出しているような人なのだ。

 けど、いったいどうしてそんなに描き続けられるのだろう? 


「賞を取るのが夢なんですよね。けど叶わなくて、辞めようって思ったことは無いんですか?」

「あるよ。何度だってある。けどね、僕は結局、絵が好きなんだ。辞めたとしても、きっと後悔が残る。どうしてあの時、辞めちゃったんだろうってね」


 そう言っておじいちゃんは、照れくさそうに笑う。


「たとえ一生叶わない夢だとしても、好きで始めた事なんだ。だったら追いかけていた方が、きっと楽しい。だから僕は、絵を描き続けるんだ」


 叶わない夢でも、追いかけていた方が楽しい。

 その考え方は、私には無かった。


 いつか受賞したいって夢は私も持っているけど、叶わなかったら辛いだけだと思っていたのに。


「もちろん、叶うにこしたことは無いんだけどね。けど続けていたら仲間も増えるし、良い事だって沢山ある。叶うかどうかだけが、夢じゃないんだよ」


 聞けばおじいちゃんは、昔は画家になりたかったそうで。結局その夢は叶わずにこうして画材店を開いたけど、絵自体は趣味で続けている。

 きっと今まで、嫌なことはたくさんあったに違いない。だけどその嫌なことも含めて、こうして笑っていられる事を、私はとても羨ましい、尊敬できるって思った。


「……明日、もう一度友達に、おめでとうって言います。それと、絵はこれからも書いていきます。私も、好きで始めた事ですから」


 宣言する私を見て、おじいちゃんは優しく笑った。



 ◇◆◇◆


 おじいちゃんの葬儀の後、私は一枚の絵を貰った。

 絵と言ってもそれは描きかけで、おじいちゃんが今度のコンクールに出そうと、作成中だった、最後の作品だ。


 そんな大事な物を物を私が貰ってもいいのかって思ったけど、息子さんは絵にあまり詳しくないらしく、私が持っていてくれた方がおじいちゃんもきっと喜ぶって言って、渡してくれた。


 おじいちゃんは、享年88歳。

 脳卒中で急死してしまったけど、その前日まで、絵を描き続けていた。


 結局受賞の夢が叶わなかったことは、きっと無念だったに違いない。だけど、生き方そのものは、後悔していなかったと思う。


 画家にはなれなかったけど、絵を描くという生き方は叶えたおじいちゃん。私もそんな生き方を、することはできるかな?

 88歳になっても、絵を描いているかな?


 先の事なんて、誰にも分からない。

 だけど私も、好きで絵を描き始めたんだから。叶わない夢かもしれないけど、きっと追いかけていた方が楽しい。

 だから――


「見ててねおじいちゃん。私も、夢を追い続けるから」


 今日もキャンパスに、筆を走らせる。


 おじいちゃん、アナタは私の憧れであり、ヒーローです。

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