五斗米道 ~俵を担いだマッチョマンの老賢者は、米の力で魔獣を倒す!~

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

第1話 思し召しより炊けた飯! 米の飯と女は白いほどよい! 米俵、背負った老賢者!

 亡国ぼうこくの姫、ムスビ・ユーコー・ブンゲツは逃げていた。

 森の中を、息も荒く、とももなくひとりで走っていた。


 数日前、王国は魔王によって破壊され、王城は占拠せんきょされた。

 国王も兄である王子達も根絶やしにされ、命からがら逃げ延びたムスビも、いままさに魔王の配下によって追い詰められようとしていた。


 背後で膨れ上がる殺意。

 必死で踏み出した足が、木の根に取られ「あっ」というまに転倒する。

 したたかに顔を打ち付け、痛みに悲鳴を上げるムスビだったが、それすらも贅沢だと知ったのは、次の瞬間だった。


 森を掻き分けて、全長五メートルはあろうかという魔獣――コカトリスが姿を現したのだ。

 その討伐には、軍隊が必要とまで呼ばれる強壮なる魔物。

 雄鶏と蛇を掛け合わせたような、醜悪な外見の魔獣は高らかに吠え立て、赤い魔眼を爛々らんらんと光らせムスビへと迫る。


「もはや、これまでなのでしょうか……?」


 姫の眉根がハの字に曲がり、宝石のような瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。

 絶体絶命。

 このまま、喉笛を食いちぎられて死ぬのだと、彼女は覚悟して。


「いいえ、それでも王族として、私は生きるのです!」


 一矢報いるべく、落ちていた棒きれを震える手で構えたときだった。


「やあ! やあ! やあ! 三度の飯もつよやわらかし。この世は思うようには行かないものだ!」


 突然の大声に、コカトリスでさえ驚いて顔を上げる。

 ムスビも振り返って、を見て、ぽかーんと口を開くことになった。


米の飯と女は白いほどよい公明正大、悪事を許さず。お嬢さん、その心根は眩しいほど白いかね?」


 吐き出される言葉は意味不明。

 それ以上に姫が理解を拒絶したのは、〝救い主〟の姿が異端極まりなかったからだ。


 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとした老人が、半裸でそこにいたのである。

 いや、それはまだ、百歩譲ってよい。


 問題は何故か、老爺が米俵こめだわらかついでいたことである。


「な、何者ですかっ」


 姫にしてみれば、警戒すべき相手が増えたというのが本当のところだった。

 ヤバいやつだなと思ったし、このヤバさは魔王に匹敵するのじゃあないかとも思ったが、それでもおくせず棒きれを向けた。


「……誰だかぞんじませんが、私はこのようなところでは死ねません。私が死ねば、人類は魔王を打倒する旗頭を失うのです。ならば、死に物狂いで突破するのみ! もしもあなたが敵対するというのなら――」

米を数えて炊くようなつまらないことを気にするかただ」

「はい? いまなんと?」

「しかし、その態度は気に入った。実るほど窮地でこそ頭を垂れる稲穂かな気位が試されるものだ!」

「だから、なんと言いましたか!?」


『――――!』


 不毛なやりとりを重ねる二人にしびれを切らしたのか、魔獣コカトリスが咆哮する。

 姫の全身に鳥肌が立つ。

 その雄叫びはあらゆる生物を恐怖させ、聞くだけで寿命を縮めるのだ。


『――――!』


 コカトリスが、いつでも殺せる姫から視線を切り、老人へと狙いを定め、大きく踏み込んだ。

 ふるわれるのは大木ほどもあるくちばし!

 もしも命中すれば、如何いかに鍛え上げらてみえる老人の肉体とて、たやすく風穴が空いてしまうだろう。

 これから繰り広げられるだろう惨劇を予想して、姫は堅く目をつぶった。


 だが、予想に反して聞こえてきたのは、コカトリスの狼狽ろうばいを隠せない叫びだった。


「なっ」


 恐る恐る目を開けて、姫は絶句する。

 コカトリスのくちばしを、老人は受け止めていたのである。

 ――しかも俵で!


 それだけではない。

 老人はジリジリと魔獣の巨躯きょくを押し返しながら、ニヤリと笑う余裕すら見せる。


月夜に米の飯そうあれかしと願えば! 米の飯より思し召しこころのありかたを美しく思う! 儂はお嬢さんの味方をすると決めた。そうらそうら、今宵は一粒万倍日。それどころか八十八万倍日! 米を数えて炊くことほどつまらないことはない。大盤振る舞い、さあ受けとれい!」

『――――ッ!?』


 振り抜かれた拳が、魔獣の顎をかち上げる。

 一歩後退するコカトリス。

 老人はその隙を逃さず、俵を魔獣へと向ける。


 白い波濤はとうが、あふれ出す。


 大波小波、どんぶらこ。

 俵から無尽蔵に吹き出すのは、当然ながら、小さな小さな米粒たち。

 それが白い大津波となり、あっという間にコカトリスの巨体を押し流していく。

 悲鳴を上げる魔獣を横目に、老人は呵々大笑かかたいしょうする。


「はっはっは! 生まれ出でてから八十八年! たわらと共にあった儂は米を自在に操る力を得た。見るがいい、これこそ米魔法〝五斗米道ごっどべいどう〟」

「米魔法!?」


 思わず復唱してしまうムスビ。

 その間にも、米俵からは米粒が溢れ続け、コカトリスを埋め立てていく。


「この俵の内容量は、平常時八十八トン」

「八十八トン!?」

「さらに一粒の米にも八百万の神あり。降臨!」


 老人の言葉を切っ掛けとして、辺り一面を埋め尽くしていた米が白く輝く。

 無限の米からまろび出るのは、無量大数の神々。


 神々こうごうしく、あらゆる国家、あらゆる世界、あらゆる宇宙の法則を担う神が現れ、コカトリスを切りつけ、コカトリスに作物を詰め込み、コカトリスをあぶる。

 荒れ狂う水がほとばしり、業火が初めちょろちょろなかパッパと燃える。

 そして、何故か舞い踊る天女。


「そいや! そいや!」


 半裸でハッスルする老人。


「あわわわわわわ……」


 姫は、生きた心地がしなかった。

 魔王などより、よほど恐ろしく、敵に回してはいけないなにかが跳梁跋扈ちょうりょうばっこしていたからだ。

 やがて神々はこの地を去り、あとには一面の米が。


 ――湯気を上げる銀シャリが、残った。


けたぜぇ、食ってみな!」


 無造作に米を一掴み取って、老人は姫へと差し出した。


「え、えー?」

「米をこぼすと目が潰れる。儂は全てを無駄にしない主義だ」

「…………」


 一応。

 仮にも命を救われた人間に――本当に人間だろうかと姫は疑っていたが――そこまで言われては断れない。


「ほれ、ほれ。腹が減っては戦ができぬと申すぞ?」

「……では、いただきます」


 押しつけられた米を、恐る恐る口にして。


「――!?」


 目をみはる姫。


「おいしい……っ」


 あまりの美味びみに、驚きの言葉が自然と飛び出していた。


「これは、鳥とも魚とも付かないうま味が……出汁だしが米に凝縮されていて、かつモッチリとした食感と歯切れの良さ、なにより甘く爽やかな油が舌の上で踊る……まさか、これは」

「うむ。コカトリス炊き込みご飯、いっちょ上がりだ」


 サムズアップを決める老人を見て、姫はたまげてしまった。

 あろうことかこの半裸の筋肉老爺は、コカトリスを単独で倒し、料理までしてしまったのである。


「あ、あなたはいったい、なにものなのですか……?」


 問い掛ける姫に、老人は飯を頬張りながら答えた。


「儂はターハラ。どこにでもいる米賢者に過ぎん」


「いやいやいやいや」


 いない。

 米賢者はどこにでもはいない。

 さらなるご飯へと手を伸ばしながら――美味しくて手が止まらなかった――この人はなんなのだろうと思う姫なのだった。



§§



 かくて、亡国の姫君ムスビ・ユーコー・ブンゲツと。

 米賢者ターハラは出逢った。


 彼女たちはその後、襲い来る魔王の軍勢と戦い、七難八苦しちなんはっくを越え、やがて国を取り返すのだが……それはまた別の話。


 米賢者ターハラ・ソウ・イーチロー、米寿八十八才の春に起きた出来事だった――

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