笑ってはいけない国家コメディ倶楽部二十四時

古博かん

日々の激務を慰める一億総活躍社会で頑張る日本国民向け娯楽施設には暗黙のルールが存在する——即ち、不意に現れる笑かし隊の前で決して笑ってはいけない。

 国家コメディ倶楽部——それは日本国籍を有し一日八時間、残業二時間を途して週休二日勤勉に働く者だけが会員となることを許されている第一セクターの管理下に置かれた娯楽施設。


 東京ドーム二十三個分という広大な敷地を持つ同倶楽部には、スパリゾートや遊園設備、スポーツジム、フルダイブ型ヴァーチャルリアリティゲームスポット、観劇施設にカジノリゾートまで種々様々に取り揃え、医療体制まで万全の至れり尽くせり複合型宿泊施設である。


 二十四時間対応コンシェルジュが案内する施設内で、特に人気を博しているのがVRゾンビシューティングと呼ばれる脱出型アトラクションゲームだ。

 自動装填式デジタル銃と専用ゴーグルを装着し、地下一階から潜入して内部にひしめくゾンビどもをバッシバッシ撃ち倒しゴールが設けられている地上三階の屋上へと脱出、生還するサバイバルゲームである。


 日頃の運動不足を解消するとともに、充実した非日常を体験できるとあって、導入初期には五時間待ちの長蛇の列ができたほどだ。

 因みに、現在は混雑緩和を目的に二日前までの完全予約制となっている。

 予約待ちの間は、音響設備の整った演芸ホールで軽食を摘みながら、細かすぎて伝わらない新喜劇、コント、漫才、漫談、落語に大喜利、モノマネ、サイレンスコメディなどがひっきりなしに上演されている。


 ハマダはかれこれ、二時間ほど演芸ホールでスーパードライを片手にくだを巻いていた。

 先月初めてVRゾンビシューティングを経験してから、すっかりゾンビをシバキ倒す快感の虜になってしまい、以来欠かさず毎週末午後五時の予約を入れている。

 相席には先ほどからカイワレのフライばかりをおかわりしている後輩のタナカが同じように順番待ちをしていた。


「そういえば、マツモっさんは今日はどちらに?」

「ああ? 知らん。どうせベンチプレスでもしてんだろ」


 同期のマツモトとは何だかんだと長年チームを組んできたよしみでコメディ倶楽部にも共に出入りしているが、特別懇意にしているわけではない。

 ここ数年、マツモトは浅黒ムキムキに目覚めたらしく、とりあえずジムに直行しているらしい程度の情報しか知らない。


「ドライっすね〜、ハマっさん」

 タナカはカイワレのフライをもしゃもしゃしながら何の気なしに呟いた。

 舞台上に視線を向けると、新喜劇団員が細かすぎて伝わらないタイミングで豪快にすっ転んだところだった。


「お前、すでにベロベロじゃねえか……」


 タナカが視線を戻すと、目の前には眉間に皺を寄せた浅黒いムキムキがピタピタの黒Tシャツ姿で立っていた。

 一通り汗を流してきたと思われるホコホコした満足げを発しながら、どっかりと目の前に陣取る暑苦しい男に、ハマダの目は十分座っている。


「相変わらずむさ苦しいやつだな……何だよ、いつもより早ぇな。ナカヤマはどうした?」


 見るからに軽そうなスーパードライの缶をひらひらさせながらハマダがいぶかしい声音で尋ねると、マツモトは脱色した短髪を掻きながら苦笑いを浮かべるばかりだった。

 曰く、筋肉体操のスーパースローパート中、ぬっと現れたノーモア盗撮くんのスーパースロー逆再生パフォーマンスに吹き出してアウトアラートを食らい、そのまま笑かし隊に連行されていったという。


「待て、意味が分からん」


「すんません、色々ツッコミ追いつかないんすけど、そもそも筋肉体操のスーパースローパートって何すか」


 ベロベロに酔ってるようで割と的確な指摘を入れるハマダとタナカに対して、マツモトは曖昧な表情を浮かべて肩を竦めた。


「先週はザキさんが連行されてませんでしたっけ?」


 ダンシングベビー姿でアロママッサージを受けていたところ真顔でダンシングヒーローを踊る集団チャッキーの餌食になったヤマザキは、今週は倶楽部に顔を出していないらしい。


「いや、どういう状況だよ」


 ゾンビをシバキ倒すことしか興味のないハマダは、ほろ酔いでも真っ当なツッコミを繰り出しながらスーパードライを飲み干した。

 ちょうどその時、予約時間三十分前を告げるスマホ通知が鳴り、ハマダは鼻息荒く席を立った。


「おっしゃ、行くぞ!」

 空き缶をゴミ箱に放り込んだ瞬間、観客席の幾つかの場所で突如床が抜けて「ああぁぁぁ」と叫びながら数名が床下に滑り落ちて行った。


「ご予約のハマダ様、三名様こちらへどうぞ」


 受付を済ませてアトラクション参加に必要な備品を借りてのち、淡々と案内を務めるコンシェルジュに連れられて地下一階へと降る。

 エレベーターの扉が開くと、「それでは、いってらっしゃいませ」と送り出されたハマダたちはスタート地点の非常口へと進み出た。


 高揚とした様子でハマダは両手のデジタル銃をリロードすると、勢い良く扉を蹴り開けて飛び込んでいった。演出を兼ねてゲームスポットは適度に照明を落とし、程よく障害物が配置され、時折休憩スポットが設けられている。

 そして、VRゴーグルを通してエリア内の地図と現在地が把握できる仕組みだが、ゾンビはランダム配置のためどこで出てくるかはその時次第というスリリングな設定になってる。

 ハマダは撃ちまくった。

 狂喜して撃ちまくった。

 老若男女問わず現れるゾンビは、時にコミカルで、時にシニカルで、時にニヒルで半不死身だ。それを存分に撃ち負かして蹴り倒しながら進んでいくと、ヘッドセットに獲得ポイントがコールされた。


「ふはははは! まだまだぁ——!」


 道中「ぱぅわぁ——!」と叫ぶゾンビを一撃で沈め、アドレナリンが確変を起こしているハマダは冴え渡る銃捌きで二階踊り場へ到達する。

 すると上階で何やら物音がしてゆらゆらと影が揺れた。

 再び銃をリロードして構えると、ゾンビはヨタヨタしながら廊下に現れ、そして前触れもなく真顔でキレキレのダンシングヒーローを踊り始めた。


「おいおいおい……」

 新手が現れたと思いつつ、冷静に銃をぶっ放しダンシングゾンビを蹴散らしていく。だが、この時ハマダの胸中には何か釈然としない感情がわだかまった。

 ヘッドセットから流れるポイントコールを聞き流しながら突き進むハマダは廊下を進みながら薄っすらと開いた扉の前で一度呼吸を整えた。

 蹴り破った扉の向こうには案の定ゾンビがいたのだが、目撃した瞬間、ハマダの両手は咄嗟に引き金を引くことを躊躇ためらった。


「——ザキ……っ !? 」


 あうあうと唸り声を上げるゾンビは、鈍臭い動きでハマダに向かって両手を伸ばす。だが、その面影はどこからどう見ても先週まで倶楽部に通っていた常連のそれだった。

「なっ、どういうことだ……?」

 一瞬ためらったハマダの背後で、半不死身の足音——もといステップを踏む音が大きくなる。

 ハッと我に帰って両手の銃を的確に乱射し続け、リロードした直後に室内に向けて無意識に発砲していた。


 ハマダの放った銃弾は的確にゾンビを仕留めていた。

 振り返った視線の先で、鈍臭いゾンビは静かに崩れ落ちてピクピクと痙攣していた。


「……っ」


「おい、ハマダ。どうした?」


 背後からかけられた声にビクッとして振り返ると、相変わらずムキムキのマツモトが銃をリロードしながら近付いてきた。


「タナカはどうした?」


「二階に来る途中ではぐれた。慣れてるし、まあ大丈夫だろ。それより、さっき笑かし隊がいたぞ」


「うげ、まじかよ。サバゲーにまで出張ってくんのかよ」


 いっそ間違えたフリをして撃ってやろうかと思ったハマダだが、デジタル銃はVR専用の装備だ。生身の人間には通用しない。

 足元であうあう微かに呻くゾンビにマツモトが無慈悲な一発を追加で見舞う。

「行くぞ」

「お、おう」

 そうして無事に三階をクリアして屋上のゴールを抜けた二人がいくら待っても、逸れたタナカが姿を現すことはついになかった。


「お疲れ様でした。次回のご予約はいつもどおりでよろしいでしょうか?」

「あ、はい……」

 ハマダはこの時、言い知れぬ不安を初めて覚えた。


 そしてこの日を境にタナカは倶楽部を引退したらしいと人伝ひとづてに聞いた。


 翌週、ハマダは一人で飲んで時間を潰し、そしていつものとおりVR装備を身に付けた。しかし先週までの高揚感はすっかりとなりを潜めてしまい、代わりにふうっと溜息が漏れた。


「それでは、いってらっしゃいませ」


 タナカらしいゾンビに遭遇することなく安堵しながら規定コースを進むハマダは、ふと今まで気にも留めなかった地下への抜け道を発見した。

(何だ、ここは……?)

 特に演出もない暗い廊下の先から呻き声が聞こえてくる。

 息を潜めて近付くと、そこには無数のケーブルが張り巡らされた空間に繋がれ白目を剥いて「カイワレ、カイワレ」と呟くタナカの姿があった。


「な……っ」


 タナカは全身からシュワシュワと気体を発しながら徐々に徐々に変貌していった。


(どういうことだ、これは……!)

 暗がりに慣れると、そこにはタナカ以外にも同じように変貌していく生物の姿があり、その様子を観察していたのは笑かし隊と思われるメンツだった。

 ハマダはくらりと目眩を覚え、咄嗟に吐き気を堪えて顔を背けた。


「ここにいたのか、ハマダ」

 青褪めながら顔を上げると、そこにはいつもどおりのムキムキが立っていた。


「マツモト……」

 同期の登場に俄に安堵したハマダの口から乾いた笑いがこぼれた。


 とにかくここを出ないとまずい——そう声を発しようとした瞬間、視界がぐらりと揺れた。


「あーあ。笑かし隊の前で笑っちまったな、ハマダ」


 暗転する視界と遠のくアウトアラートを聞いたのが、ハマダの記憶の最後となった。


 数日後、国家コメディ倶楽部は新たな告知を出した。


「ゾンビシューティング、バージョンアップするんだって!」

「へえ、楽しみ〜」


                           幕

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

笑ってはいけない国家コメディ倶楽部二十四時 古博かん @Planet-Eyes_03623

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ