最期のボケ

姫路 りしゅう

第1話

 お笑い王が、死んだ。

 そのニュースは瞬く間に全国のお茶の間を駆け巡り、二十八歳というそのあまりにも早すぎる死は、関係者やファンに大きな衝撃を与えた。

 二十代にして週に十五本の冠番組を持っていた本物のコメディアン。

 そしていつからか、ついた二つ名がお笑い王。

 そんな王が、死んだ。


 しかし、王はただでは死ななかった。

 お笑い王の伝説は、まだ終わらなかった。


「……フ、瀬戸内海か!」


 病床に伏した彼が、最期に言い残した言葉。

 看護師が辛うじて聞き取ったそのセリフは、全国のお笑い芸人たちを奮い立てた。

 お笑い王が最期に残したツッコミ、「瀬戸内海か!」

 果たして王の頭の中で、どんなボケが繰り出されていたのか。

 その、聞いたことのないツッコミは、どんなボケに対して与えられたものだったのか。

 この世で一番面白い人間の、最期のボケ。

 全国のお笑いを愛するものたちは、それを今日も探し続けている。



**


「琵琶湖ってどうやってできたか知ってる?」

「唐突やな。そりゃ地盤の陥没やらなんやらじゃないんか」

 わたしはチッチと指を振った。

「兵庫県の淡路島の形、わかる?」

「あー、なんかハンマーの成りそこないみたいなやつな」

「じゃあ琵琶湖の形って思い浮かぶ?」

「あー、なんかハンマーの成りそこないみたいなやつな」

「そういうことなんだよ」

「どういうことやねん! 滋賀県の真ん中がボコンってなって淡路島がボコンって誕生したんか?」

 雄飛が一呼吸おいて突っ込んだ。

「琵琶湖と瀬戸内海って繋がっとんか」

「おしい~~~~」

 わたしは肩を落とす。

 今日もわたしたちは、お笑い王の残したボケを探していた。

 雄飛に瀬戸内海かと突っ込ませることができれば、それがお笑い王の残したボケである可能性が高いと踏んでいるのだ。

 そもそも、瀬戸内海か! ってつっこみ、人生で聞いたことないしね。

「いや、惜しくはないやろ。冗長なツッコミになったし」

「それは雄飛の技量の問題だね」

「うっさい。ボケにはツッコミの気持ちなんてわからんわ」

 そういう雄飛の言葉にわたしは少しもやっとした。

 それは違うんだ。

 最高のボケとは、ツッコミよりもツッコミを理解していないといけない。

「雄飛はさ、ボケとツッコミ、どちらが支配的だと考えているの?」

「は? そりゃツッコミやろ。ボケはただボケればいい。自分が持っているカードを好きなように切ればいい。でもツッコミは、ボケの切ったカード全てに対応せなあかんねん。台本のある漫才ならええけどな。ひな壇芸人なんか大変やぞ。好き勝手飛んでくるボケを全て回収するには相当の知識量と反応速度が求められるんや」

「めっちゃ早口で言ってそう」

「俺のセリフを文字列で認識しとるんか?」

 まあ、雄飛の言うことはわからなくもない。

 音楽に関するボケと体育に対するボケ。ボケ側はどちらか一つに精通していればいいが、ツッコミ側はどちらも抑えとかないといけない。

 テストのように、得意分野だけにヤマ勘を張ることはできないのだ。

「雄飛の言う通りの場合もある」

 そう言うと彼はふふん、と鼻を鳴らした。

「でもね、それは低レベルの話。たしかに普通のボケに対してはツッコミの方が支配的。でも本物のボケは、ツッコミを支配するんだ」

「なんやその文系より理系の方が出世するけど本当にトップまで上り詰めるのは一握りの文系や、みたいな理論は」

「なんやその文系より理系の方が出世するけど本当にトップまで上り詰めるのは一握りの文系や、みたいな理論は」

 わたしは彼と全く同じタイミングで、全く同じセリフを言いきった。

「……」

 セリフを完全に読み切られた雄飛は唖然とした表情を浮かべる。

 これが本当のボケ。

 それしかない、というツッコミを引き出すのが本当のボケなのだ。

「気持ちわるっ」

「酷くない?」

「ちょっと悔しいわ。別のツッコミ考えるから同じように話振ってくれへんか?」

 全く同じ会話を繰り返すのはすごく気恥ずかしかったけど、わたしは仕方なく頷いた。

 息を吸う。

「たしかに普通のボケに対してはツッコミの方が支配的。でも本物のボケは、ツッコミを支配するんだ」

「なんやそのサドはマゾを虐めているように見えるけど、本当のマゾはサドに虐めさせてやっているんや、みたいな理論は」

「なんやそのサドはマゾを虐めているように見えるけど、本当のマゾはサドに虐めさせてやっているんや、みたいな理論は」

 完全に読み切ったわたしは、力強く片手を掲げた。


「しかし、お笑いって難しいよな」

「何当たり前のことを」

 お笑いが簡単だったら、世界にはもっと笑顔が溢れているだろう。

 それこそお笑い王のような人が国のトップになったら……いや、それはやめた方がいい気がする。

「いずみにとってお笑いってなんなん?」

「急にテレビ番組はじまったね。そうだなあ」

 わたしは顎に手を当てて少しだけ考えた。

 わたしにとってお笑いとは。

「落差、かな」

「落差?」

「人の心が動くときって、段差を越えた時なんだよね。人の成長とかスポーツで感動するのは、結果が自分の想像を越えてきたから。逆にお笑いは、想像よりも下、馬鹿なことが起きたから笑うんだ」

「確かに、話のオチっていうもんな」

「うん。で、オチは?」

「今はお前のターンや!」

 あと俺は、「で、オチは?」って言ってくるやつが一番嫌いや、と言葉が続いた。

 確かに関西人、関西人ってだけでオチを求められそうで天気とか旅行に行った雑談すら出来なさそう。

「旅行の話は特にキツイわ。旅先で話すほどのおもろいことはなくても、旅行行ったこと自体は話したいやろ?」

「そうだよね。でも聞き手は関西人が旅行の話をするって時点でちょっと身構えるもんね」

「せやねん。俺は普通にサーターアンダギー食べた話がしたいねん」

「あのカロリーを油で揚げたみたいな爆弾ね。てか雄飛、沖縄行ったの?」

 雄飛は頷いた。

「沖縄ってあれだよね、石川県の上あたりにある県だよね」

「いずみの取得マップ、大きさの足りてない日本地図なん?」

「地図と言えば、雄飛ちゃんと沖縄で日本地図買った?」

「……買うてへんけど、なんかあるん?」

「沖縄の地図って、沖縄が中心に書かれてるんだよ」

「イギリスの地図か!」


 小ボケを挟んだところで元の話に戻る。

「お笑いって言うのは段差だからさ。ほら、クラスに一人くらいいたじゃない。時々ボソッとめちゃくちゃ面白いことを言う人」

「ああ、おったなあ。ちょっと嫉妬してたわ」

 雄飛はタイプが違うでしょ、絶対。

「あれは、誰も笑いを予期していないから、期待が水平線なんだよ。だから実は大して面白くなくても笑えたりする」

「葬式の場だと坊さんが木魚叩いているだけでなんかちょっとおもしろいって感覚か」

 ポクポクポク。

「だからわたしはボケる時、がんばって期待の下を潜り抜けるか、前振りで期待をあげるか、を意識してるなあ」

 ここでわたしは気付いた。

 行けるかもしれない。

 何がって? まあ見てな。

「ボケもボケで結構考えてるんやなあ」

「そうなんだよ。まあ、何も考えてないのに大受けする人もいて、それは嫉妬しちゃうね」

「わかるわあ」

「なにより、ボケてないのに受けて、『え? 私何言った?』みたいな顔をする天然。一番腹立つ!」

「落ち着けって。逆自然派みたいになってんぞ」

 なんだよ逆自然派って。

「特に高校の時のうちのクラスなんてさぁ、最初は天然ボケ一人だったのに最後半分くらい天然になっちゃったんだよね」

「は? どういうことやねん、みんな真似していったってことか?」

 わたしは首を振った。

「違うの。なんかだんだん増えていったんだよね」

「いや、んなに天然がガスみたくぼこぼこ湧き出るわけないやろ!」

 雄飛が勢いよく大きく口を開ける。

 ……あ。


「オホーツク海か!」


 おしい~~~~。



**


 お笑い王は、死んだ。

 それでも、彼の笑いは、残り続ける。

 彼の最期のボケを探して、今日も人々はボケ続ける。

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