第7話 証の青金石

 光の柱はたっぷり十秒は立ち上り、そして、粒子となって、ゆっくりと四散していった。光の雨に打たれながら呆然としていた二人は、それが収まってからも数十秒は口を利けないでいた。

「――――ちょっとーー……ねえ、ちょっとー!」

 声を上げたのは、二人とは全く別の存在だった。空の上から声が落ちてくる。はっとしてシリウスが顔を上げると、微かに潮の香りが漂っていた。晴天の空からぽたぽたと水滴が落ちてくる。空には、水滴を撒きながら旋回する何かがいた。翼を羽ばたかせるその体は、しかし鳥ではなく人の形をしている。だが、その足は人でも鳥でも無く、魚のひれをしていた。

「あれは、セイレーン?」

「ああ、近くの島に住んでるんだ。魔族だけどデカい国とか持ってない、小さな村を作って暮らしてるんだが……おーい、どうしたー!」

「どうしたーじゃなーいでーす! どうしたはこっちの台詞でーす!」

 弧を描きながら、一人のセイレーンがゆっくりと降下してくる。

「カレニナ! 悪い、驚かせたか?」

 顔を見るなりクロダルリが言う。彼の知り合いらしいセイレーン、カレニナはクロダルリと同じほどの年頃に見え、青い髪を長くたなびかせ、貝殻を貼り合わせた衣を纏っていた。その肌の色は、蒼い。魔族である証拠だ。彼女はゆるゆると微笑んで言った。

「驚きましたともー。あの光、何だったんでーすかー?」

「あれは……そのー、村の人以外には言わないでほしいんだけど。ちょっと俺、いま契約して。この人と」

 クロダルリに手振りで指し示されたシリウスは、軽く会釈をした。するとカレニナは、その唇に手を当てて「まあ!」と声を上げた。

「領主さまー!」

「あ、知ってた?」

「はーいー、ご静養中だーって。でもーマーマンの方たちがー、領主様がたいへーんでー……ルリさんが助けてくれたーって」

 にこにこしながら、カレニナはクロダルリを見て、そして「あら?」と声を上げた。

「ルリさん、何か光ってまーすわー」

「ん……? あっ。そうだ! 忘れてた……シリウス、見ろ。これが契約の証だ!」

 クロダルリが手を退かす。シリウスは己の手の平の上に、何かが乗っていることに気づいた。手の平に収まる程度のそれは、深い青色に金の粒子を散らしたような色を帯びた、丸い石だった。

「これは……青金石?」

「ラピスラズリか。シリウス、この石が契約の証。魔法の媒介だ。これが俺とあんたを繋いでくれる。まあ、悪く言えば束縛でもあるらしいけど。これを体から離したり、逆にこの石が俺と離れすぎたりしたら、繋がりが切れて心身にダメージが行くんだ」

「肌身離さず持っていろ、ということか。……しかし、この大きさ。持ち歩くのにも不便だな」

 手の平大の大きさの石は、ポケットなどに入れておくにしても、手に持って歩くにしても大きすぎた。しかも丸いため、何かの拍子に落としてしまえば、転がってしまうかもしれない。どうしたものかと少し考え――シリウスは不意に、あることを思いついた。

「……ああ、だから人族の文化圏では、どれほどの金持ちでも、大振りな宝石を身につけたりはしないのか」

「へ? 急に何だよ」

「いや。契約の証が常にこのような大きさの宝石として生まれ出るなら、必然、大きな宝石を持つ者は魔族との関わりを疑われることになる。装飾品にしてしまえば……と思ったのだが目立つ身に付け方は、避けなければならないな」

「あー、でしたらですねー。ペンダントにすればいいんじゃーないでしょーか。服の中にー隠しておけまーすしー」

 それまで黙ってシリウスのラピスラズリを見ていたカレニナが、横から口を挟んだ。なるほど、とシリウスは頷き、そして渋い顔になる。

「良い案ではある……が。いま言ったことを考えると、少なくとも人族の国では、これを取り扱ってはくれないだろうな」

「どうすっかな。魔族の国まで行く? あんたが人間でも、魔族と契約したって知られてれば嫌な顔もされないと思う」

 クロダルリの言葉に、シリウスはすぐには頷けなかった。近隣の魔族の国と言えば、東に国境を接するデックルーグがある。だが、その国は――

「……魔族の国に行くのは最終手段だ。私の顔を知られているかもしれない。あの女……リリアナに私の生存が知られるわけにはいかない。いや、先ほどの光で知られた可能性があるなら、なおさら無理だ」

「あ、そうか……じゃあ、どうする。巾着袋にでも入れとくか?」

「それでしたらーですねー、わたーしの村に来るといーですよー」

「あなたの村に?」

 はいー、とカレニナは大きく頷く。

「わたーしの村、ブッカさんたちも一緒に暮らしているんですー。ブッカさんはー、小さくてー、指先がとーっても器用なんですよー」

「ブッカ……ゴブリン種の近隣種だったか。彼らの居住区があったとは、初耳だな」

「俺も忘れてた。いや、住んでるのは知ってたんだけどさ。けど……頼んで作ってくれるかな、あいつら」

「人間には、手を貸さないかもしれない……ということか?」

「いや単に遊び好き悪戯好きで、何か作るのも遊びの延長っつー感じだから。まともにやる気、起こしてくれんのかね……」

 不安材料はあるが、しかし、他に頼れる先も無い。少なくとも、このまま本土に渡って人間に頼むよりかは格段にマシな選択肢となるだろう。

「私は、ブッカたちに依頼したいと思う。だが……私はいまや追われる身。迷惑をかけるかもしれない」

「うーん……わたーしは、力になりたいなーと思いますー。ルリさんにーはお世話になってますしー。領主様ってールリさんのお友だちなんですよねー」

「友だち? うーん、まあそうだな。よし、そうと決まれば善は急げだ。準備したらすぐ出るぞ」

 急ぎ足で、カレニナを加えた三人は登山道を下って岩屋に戻った。相当数の金貨や銀貨、物々交換用の小粒の宝石を詰めた小袋を初め、数日分の着替え、乾物などを、クロダルリは手際よく背負い袋に詰めていく。まるで以前から準備していたかのような早さで、もしかしたら、人間に退去を迫られた時に、いつでもここを出られるようにしていたのかもしれない、とシリウスは思った。

「さーて、こんだけ持ってりゃ充分だろ。シリウス、これはあんたが持ってろ」

「分かった。ふむ、主から従への、初めての命令だな」

「止してくれよ。ご主人様とかいう性分じゃない。俺は誰かに使われてるっつー方が性に合ってるよ」

 精強無比な竜種の言うことではない、とシリウスはその言葉に苦笑した。他の竜とは面識が無いが、やはり変わっている。果たして彼は本当に竜なのだろうかとさえ思ったシリウスだったが――微かな疑念はすぐさま霧散した。

「エレス島はセイレーンの島。船も避けて通る無人の海域だ。竜が出て飛んでても、見られないからさ。俺の背に乗せてやるよ」

 岩屋を出て、外の回廊に出たクロダルリは、そう言うといきなり走り出して崖から飛び降りた。驚きに声を上げる暇も無く、シリウスは鼓動が強く脈打つのを感じた。まるで自分の心臓の近くで、何かが爆発したような衝撃に息を詰めていると、崖の下からぬ、と二本の角が現れた。深い青色の角は、シリウスが持つ契約の証と同じ色をしている。青い角に続いて、その色に墨を垂らしたような青黒い鱗が現れた。狼に近い尖った鼻先の頭部。縦に走る瞳孔を持つ青い瞳。丸太よりも太い首に、ゆったりと羽ばたく巨大な一対の翼。そこから先は見えなかった。

「これが俺の、竜としての姿だ」

 その声は頭の中に直接響いた。竜は声帯が他生物ほど発達していないが、その身が有する莫大な魔力は人の精神に直接作用を及ぼすことすらできる。圧倒され、軽くよろめいたシリウスは、無意識に荷物を抱え直し、差し出されたクロダルリの手の上に乗った。そのまま背中へと押し上げられ、背中から突き出す魚のひれに似た棘を掴む。シリウスの後ろに、カレニナがちょこんと腰を下ろした。魚の足と鳥の翼の手でバランスが取れるのかとシリウスは危ぶんだが、落ちたところで飛べるのだから問題は無いのだろう――むしろ心配すべきは自分の身かもしれない。

「ルリさんのこーのお姿ー、久々に見ましたー」

「あんまならねーからな。ここいらの住民にはバレてるだろうが、だからってあんま大々的に見せびらかしてると騒ぎになるだろうし」

 世間話をしながら、クロダルリは羽ばたき、ゆるりと旋回する。遠心力に振られ、シリウスは上体を揺らしたが、思いのほか揺れは少ない。

「乗り心地は悪くないだろ? 竜は魔力で飛んでいるんだ。翼で魔力の渦を作って浮くからほとんど揺れたりしない。曲がる時には気を付けてくれよ。角が光ってサインを出せたりはしないからさ」

「ああ……分かった」

 角をちかちか光らせるクロダルリの姿を想像して、密かに笑いながらシリウスは答えた。クロダルリは「行くぞ」と告げ、そして西へとその首を向け、大きく羽ばたいた。

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竜の血のシリウス 羽生零 @Fanu0_SJ

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