第6話 契約

 ――遡ること十分前。


 二人はクロダルリが住居としている岩屋から出て、山道を登っていた。火山島であるアロィ島には山が一つあり、その横っ腹にクロダルリは居を構えていた。そして、そこから伸びる山道は、山頂へと繋がっていた。

 登り切ると、かつての火口が見えた。現在はその口を閉ざして息を潜めている。ただ岩が転がるだけの火口から、少し離れた位置に二人は立った。

「ここでしよう。こんだけ開けてたら、何が起きてもまあ、大丈夫だろ」

 大雑把なクロダルリの意見に、シリウスは神妙な顔で頷く。お互い初めての行為だ。しかも、契約の交わし方を知っているのはクロダルリだけだった。禁忌と呼ばれた行為の子細を、シリウスは知らなかったのだ。だからこそ、全てを委ねる他なかった。

「確認しよう。俺の力をあんたにやる。あんたは魔法が使えるようになる。これが契約で基本的に得られるものだ。けど、与えられる魔力は契約内容による。ここまでは知ってるか?」

「ああ。契約者は主と従に別れ、血を授かる側が従となる。契約を交わすに際し、従者は主人に差し出す代償を決めなければならない」

 淡々と言うシリウスに、クロダルリは少しだけ渋い顔をした。

「契約内容、ホントにアレでいいのか?」

 道中、シリウスは代償をすでに定めて告げていた。クロダルリは、その申し出を一度は蹴っていた。いくら何でもそれはちょっと、という妙な遠慮のようなものがあったようだが、シリウスとしては、そのような遠慮など邪魔になるだけだった。だからこそ、頑として譲らず、再びそれを告げた。

「私は譲るつもりはない。――私が持つあらゆる権利をあなたに譲渡する。生存権、発言権、行動権などだ。あなたは私に自由に命令し、あらゆることを行わせてよい。殺せと命じることも、死ねと命じることも可能となる。ただし、私を通じた政治的な権利、権力を除く、という条件だけは付けさせてもらおう」

「そんなの、完全に奴隷みたいなもんじゃあないか。あんた、王子様で、領主様で、次の王様だったんだぞ」

「もう、どれでも無いさ。実質的には」

「けどよ」

「ルリ。私は私に構っていられるほど余裕は無い。同時に、あなたに対して配慮ができるほどの余裕もまた、無いのだ」

 クロダルリは押し黙り、視線を右に左にとさまよわせる。だが、シリウスとしては退くことはできなかった。差し出す代償によって引き出せる力が変わるのであれば、少しでも多くの力を得たかった。力とは選択肢なのだ。いま、自分は窮地に陥っていて、打開するためにはあらゆる手段が必要となる。現状で切れる手札が無い状況。たとえ全てを失ってでも、より多くを得なければ活路は無い。どのみち、半端な力を得たところで、クロダルリに迷惑をかけながらの逃亡生活を送るのが関の山なのだ。ならばせめて、己の成したいこと、成すべき事を遂行するため、全力を尽くしたかった。

「それよりも、ルリ。私の隷属以上に、あなた自身の身の振り方だ。私こそ逆に問いたい。……本気で、私と行動を共にしてくれるのか。その身を賭して、この事件の裏を暴く同志となってくれるのか?」

 クロダルリは、そこで泳がせていた視線をぴたりと止めた。シリウスの目を正面から見据え、そして、唾を飲み込んでゆっくりと頷いた。

「何故、そこまで? 私が言ってしまうのもどうかと思うが、他人事だろう。同情だけで、人にそこまで肩入れをするのか?」

「同情してるってのも、ある。けど、何て言うか……生まれてきた意味ってのが、あるんだよ。他のどこでも無い、この世界に生まれてた理由が。もしかしたら違うかもしれねーけど、何だか『これだ』って気がするんだ。俺の知らない、この世界の裏側に行くチャンスなんだって、そう感じてる」

 クロダルリの答えは、どことなくあやふやだ。しかし、不確かだと感じるのも無理は無い。何せ自分は何も、この竜のことを知らないのだ。本来ならば取り得る、竜の姿さえも未だ見ていない。そう、自分は何も知らない、まだ年若い少年竜の奴隷になるのだ。世界の裏へと向かうために。

「互いの腹はもはや決まった。ならば、もはや迷うまい」

「……うん。やろう。ああ、やるんだ。くそっ、なんか緊張してきた! あー、マジで俺なんかがやって大丈夫なのか?」

「あなたしかいないのだ、私には」

 うひー、とクロダルリが変な声を出して頭を抱えた。もしかしたらプレッシャーに弱いタイプなのかもしれない。そう思い、気を回してシリウスは、

「何も案ずることは無い。あなたが助けなければ絶えた命脈を、その手に委ねるだけだ」

 と言った。フォローしたつもりだったのだが、クロダルリはうへーなどとまた奇妙な声を上げて目をぎゅっと瞑り、そして、意を決したように目を見開いた。

「……やるぞ!」

 ふっ、と吸い込んだ息を一気に吐いて、クロダルリはぐっと拳を握る。そして、握った拳を開いて、手の甲を上にした右手を掲げた。ちょうど、シリウスの側から手を伸ばして、その手に触れられるほどの距離だ。

「手の平を上にして、俺の手の下に手をかざしてくれ」

 言われるままにシリウスは手を差し出した。クロダルリは深く息を吸うと、おもむろに口を開いた。

「――目覚めよ、我が血。赤き血を食らいて目覚めよ。服従せし者の名は……えっと。……あ、実名って別にあるんだっけ」

「シリウス・ルードルフ・バーンスタインだ」

「服従せし者の名は、シリウス・ルードルフ・バーンスタイン。差し出されしは、其の全て。我が言葉こそ汝の絶対。――契約により、我が力を与えよ」

 クロダルリが一度そこで言葉を区切った途端。シリウスは、体に熱を感じた。胸に宿る灯火のような熱は、一瞬の後に燃えるような高熱と化した。

「う……ぐっ!?」

「シリウス!?」

「はっ……問題ない……集中、してくれ」

 噴き出した汗が額から流れ落ちる。不思議なことに、心臓の辺りが酷く熱いのに、指先からはどんどん熱が失われていく。痛みは無い。ただ、息が詰まるような感覚だけが強くなっていく。

「くっそ、こうなりゃさっさと終わらせるぞ! ――さあ目覚めよ、我が力、汝に与えられし力! 目覚めを果たし、我が前にその姿を現せ!」

 契約の言葉を口早にクロダルリが唱える。最後の言葉がその口から吐かれた途端、シリウスは、胸に宿る炎が一気に全身の血管を巡り、そして指先から放たれたように感じた。身を焦がされるような熱気に、思考が朧に塗り潰される。足に力を入れて、どうにか立っているのがやっとだ――と思った、次の瞬間。

 光が弾けた。

 視界いっぱいに眩い光が広がる。シリウスは反射的に目を閉じていた。目蓋の裏が数秒、白く輝く。手の平が焼けるように熱い。

「な、にが……おき、て……っ!?」

 口に出す声が情けなく掠れている。身の内から沸き立つような衝撃が体を揺さぶっている。細く目を開ければ、やはり光が見えた。爆散した瞬間とはまた違った様子で、その光は、己とクロダルリの手の間から放たれているようだった。

「……ちょっ、ヤバ……」

 見ると、目の前に立つクロダルリが、呆けたように天を仰いでいた。釣られてシリウスも顔を上向ける。


 ――そして、見たのだ。天を衝く、巨大な光の柱を。

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