守護結界
"守護結界"。
それはまだ、この地にのちの江戸幕府と呼ばれる政権が建つ少し前のこと。
時の将軍、徳川家康の命を受けた僧正と呼ばれたある僧が、都となる江戸の街を災いから護るべく、螺旋状に施された巨大な結界を、歴史はそう記している。
そして、各地を巡る霊脈上に配置されたその結界の加護を受け、その後徳川は三百年にも渡る繁栄を手に入れたという。
また結界を施したその僧は、後の歴史に名を残し、現代にまでその名が伝わっている。
その僧の名はーー
「僧天海が施したという、あれですか?」
どうやら祈祷の術を齧った身として、欅田も聞いたことがあったらしい。
「守護結界は幕府ができて間もない頃、江戸の都市開発と併せて施されたと聞きます。そしてその際、結界をより強固なものとすべく、各地の霊場に柱となる楔を配置した」
「そのひとつが、あの社だと?」
「はい。とはいえ、社の広さや御神体の規模から考えて、この場所はあくまで、要の柱を支えるためのものだったのでしょう」
当時の地図と見比べても、社の規模は現在とあまり差異はなく、敷地も広くない。
近隣に大きな霊場もある事も鑑みると、るいの推測は概ね正しいと言えた。
しかし、画像の地図は三代将軍家光の時代に作られたもの。当然、現代の地図に比べれば精密さが劣るため、正直説得力には欠ける。
それでもるいには、この推測が確信足りえる理由が、もうひとつあったのである。
「……欅田さん。これだけ大掛かりな結界を何百年も維持させるには、何が必要でしょうか?」
「やはり、結界を維持するだけの強度、力でしょうか?」
「そうですね。そして、それだけの力に耐えられる規模の土台、基礎が必要になります」
何かを立てるには、それを支える柱が必要。そして、その柱を支えるためには、盤石な土台が必要。
要するに建物を建てる時と、原理は同じだ。
「……なら、その土台には何が使われたのでしょう?」
欅田は、しばし考え込んだ。そんな彼を横目に、鈴香は改めて端末に写った地図の画像に目を向けてみる。
守護結界は霊脈の流れに沿って、螺旋状に施されたと、以前るいから聞いたことがあった。
よく見ると、画像上に印がつけれた場所は、どれも神社や寺院といった霊場ばかりである。
その中には、蛇女事件の舞台となった無人寺と思しき場所もあった。つまりこれらの印は、恐らくるいが把握している、結界の楔が撃ち込まれた場所を示しているのだろう。
だとしたら――
鈴香は、印がつけられた場所を丹念に目視で追っていった。
そして、ある印の箇所でその視線が停止する。
そこは、鈴香も良く知るとある霊場。
鈴香は、彼の示すものが何であるのかを、静かに悟った。
「強大な怨念の化身、……妖怪ですよ」
それは、江戸幕府が樹立する少し前の事。
協会の文献には、当時江戸の街で、強力な力を持つ妖怪が、突然大量発生したという事件の記録が残っている。
当時徳川家から守護結界の施しを命じられていた時の僧正天海は、各地に現れた妖怪を守護結界の楔として封じることで、これを沈めたという。
そして先程欅田が話していた、悪しき獣が僧正によって祠の神鏡に封じられたという逸話――
もしその獣が、楔として封じられた妖怪を指していたとしたら、全ての説明に辻褄があうのだ。
「では、今回の事件の原因は、その妖怪が目覚めたからだと……?」
「いえ。妖怪は、あくまで間接的な要因のひとつであって、直接的な原因はやはり御神体が無くなったことだと思います」
理屈としてはこうだ。
長い年月により守護結界の封印が弱まった結果、神鏡に封じられていた妖怪の怨念が、次第に社へと漏れ出るようになった。
だが神鏡に宿る浄化の力が強力だった結果、強い浄化の力が蓋の役割を果たしたことで、これまで怨念が外に溢れる事態を防いでいた。
「まるで、漬物をつけるようね」
鈴香のたとえに、るいは苦笑いする。
確かに、そのたとえなら分かりやすいかもしれない。そうなると、怨念が漬物、浄化の力が蓋、神鏡が漬物石といったところだろうか。
けれど、その漬物石と蓋の役割を担っていた神鏡がなくなってしまった。
その結果、浄化の蓋は次第に穢れや怨念を抑えられなくなり、耐え切れなくなった蓋が破損。僅か数日で、穢れや怨念が溢れる事態になってしまった。
「だから、異変に気付くことができなかった、というわけですか。知らなかったとはいえ、管理を委託されていた身として、居たたまれません」
「守護結界そのものが、今となっては都市伝説ですから。無理もないですよ」
るいも仔細を知っていたのは、それが偶然御役目に通じるものだったからに過ぎない。
流れの果てに彷徨うものを、彼岸の岸へと導くこと。それが、流転術の使い手であるるいの御役目。
そしてそれは、守護結界に封じられた妖怪達とて、例外ではない。
"流転を継し者へ。どうか、永劫の闇で苦しむ彼らに、安らかな眠りをもたらさんことを――"
僧正天海が遺した晩年の手記に、綴られた一節だ。
正直、まだ気になることはいくつかある。だが今は、目の前にある問題に対処する方が先決だ。
逸る気持ちを抑えながらも、るいは社へと向かった。
陰祷流転草子 ナツミカン @natsumikan723
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