夢想の食卓

Planet_Rana

★夢想の食卓


 目の前に差し出されたサンドイッチを、受け取ることなく踵を返した。

 今は食べる時ではないのだという。お昼になったら戻ってこようと君は言う。


「……外は夕方だって言うのに、このデパートの中はまだ午前中だっていうの」


 私は彼の手を振り払う事叶わず、賑やかで閑散とした店内を泳ぐように、都合よく進んで行った。


 夢をみている。夢の中で、私は食事を満足に食べられたことがない。


 顔もおぼろげになった同級生と共に巨石の壁の中から逃げて来て、霧の中を歩いていたら辿り着いた現代のデパート。


 人波をかき分けてワンコインショップに駆けこんだ。端から端までぐるんと巡って、壁に貼られた広告を読む。そうしたらチラシ一面が知らない漫画になった。始まりはおろかオチも分からない。下半分は取り除かれている。


「さっきのお店、おいしそうだったなぁ。■■■■たちにも買っていこうか?」

「お願いしたんじゃなかったの、さっき」

「そうだっけ? まあ、■■■がそういうならそうなんだろうけど」

「……」


 会話など成立するはずもない。ここは夢のまどろみの中だ。彼らが発する言葉が誰を指しているかは分かっても。彼らの本当の顔や声を含め、明確に分かることは一つもない。


 妙に走ることが多かったり食べ物に関して気を使っても口にしない仕様は体力ゲージを回復したりしなかったりするゲームの影響だろう。よもつぐへい、だとかよく聞くけれど、これは私の夢で私の脳が作り出した虚像だ。口にしようがしまいが夢は夢である。


「ね、■■■。次のところいこう」


 彼が言って、別の店を指す。

 私は腕に何も商品を持たないまま、財布も出さないまま。よくよく思い返せば鞄の一つも持ち歩いていないのだが、文字通り着の身のままで彼の後を追いかけた。


 実際の私はとっくに成人しているけれど、この場に居る私は中高生くらいの見た目をしているようだ。鏡を覗き込んでも何も映らないので判断のしようがないが、思考回路の精神年齢は下がっている様な気がする。


 雑貨屋も服屋も本屋も、どれもこれも私が現実でよく通っていた店がモデルだろう。おぼろげになったイメージ元を想起しつつ、目の前を行く彼の後を追う。


 立ち止まる意志はないし立ち止まる理由も無い。気を抜けばデパートの中から見知らぬ外に放り出されてしまうのが夢の辛いところだ。できるなら、外で降っている雨に当たらない屋根のある場所にいたい。


 それにしても夢ではやけに食べ物がおいしそうなのだ。


 以前の夢で目にした山積みの一口チョコレートタワーも、注文したのに受け取りに行かなかった飲食チェーンのポテトフライも、学祭か何かで美味しそうに回る屋台のケバブも、食べようと思うタイミングで何か事件が起きたりなあなあになったりするのでうんざりしていた。


 今回の夢で食べそびれたのは、サンドイッチのような形をした肉と野菜のつまった焼きそばパンのような色をした何かだった。肉汁が滴り、美味しそうな油の香りが広がる。

 でも、思い返せば紅ショウガみたいなものが乗っていた気がするし挟まっていたものは燻製肉だったような気もしてくるのだから、夢の中というのは本当に適当で私の認識は大概曖昧ということだ。


 仮に「ケバブ肉野菜炒め挟みローストハムのスライス乗せ紅ショウガ盛りサンドイッチ」、とあれを名付けたとしても長ったらしくて誰も興味を引きはしない。

 見た目は焼きそばパン、中身は肉野菜炒め。高そうなケバブ肉に相性の悪そうなローストハムを追加するところが素人臭い、誰の得も考えていないメニューである。


 問題は、それを私が夢の中で認識した食べ物だと言うことで。この夢想世界で私はどんなにいい匂いを嗅いでも、美味しそうと涎を拭っても。一口たりとも口にできないという呪い染みた制約があるということだった。


 改めて「食べたい」と思う気持ちは薄れて来てはいるけれど、あの香りはいい油のスメルだったのだ。

 まだ酸化していない美味しい肉の油。さすれば香ばしいラーメンを見かけたような、積み上げられたハンバーガーを前にしたような感覚。


 現実の私は油にでも飢えているのだろうか。


 コールスローにせよなんにせよ、美味しい野菜の方が絶滅危惧種な気がするのだが、まあいい、服屋を巡って何も買わず、次に入ったのは定食屋併設の小物屋だった。彼が振り返る。


「……」

「どうかした?」

「■■■って、行きたいところとかないの。見たいものとか」

「?」

「着いて来るだけだから、楽しめてるのかなと思って」


 私は首を傾げつつ顔を上げる。夢の中でもめずらしく人の顔を正面から見ることはないのだが、今回は難なくそれができた。ぼやけもしない彼の顔が、心配と不安に揺れている。


 現実でも同じようなことを聞かれたことがある。私はデパートに行くと端から端まで店舗を梯子するタイプなのだが、友人にそれを強要することはしたくないと「おまかせ」で行動をゆだねることが多いのだ。


 この身に必要なものはさほど多くはない。少しばかりの栄養と、睡眠と、息抜きの為のゲーム。


 服は数着で良いし、雑貨や小物は見るだけで満足してしまう。旅先でも一つ二つしか手元に残る物を買ったことはないし、写真には自分を写さない。


 誰の記憶に残りたいわけでもなく、誰に忘れられたいと願うわけでもない。


「……楽しいよ」


 美味しそうなものを見て、美味しそうだなと考えている時間が一番満足しているように。「美しいもの」の結末を見届けることを強要されない世界。


 何処よりも悲惨で残酷で、美しいばかりの理想郷――それが、楽しくないはずがない。


 彼は私の顔を見て、それから笑顔になって、元の機嫌を取り戻して店を出る。

 階段を上る。地上へ向かう階段だ。


 デパートの外は依然夕方で、この夢は夜と昼を彷徨っている。異様に滑る足元を踏ん張って、珍しく昇りきることができたのは手すりがあったからだろう。


 彼はデパートから出ることなく、おぼろげになった顔を向けて手を振った。

 私は夜を招く世界へ足を踏み出す。消えた君の面影を追うことはない。


 手を引いていたのが誰かだなんて、忘れてしまった。


 鳥の声がして、風の音がして、換気扇が回る音。

 温いベッドの上、剥がれたシーツを抱きしめて、四角い箱の中で目を覚ます。


「……起きる……」


 重い頭に血を回せ。朝が来る前の空を目に焼き付ける。

 朝食は何にしようか。そうだな。今日ぐらいは簡単に作ろうか。


 日々困窮している我が家にはケバブも燻製肉も冷蔵庫にありはしない。焼いた卵をご飯にのせて、塩でもかければご馳走である。


 それでも少しの抵抗と意趣返しをこめて、紅ショウガを黄色の上に乗っけた。


 想像通りの味ではないけれど、不味いというほどでもない。


 うん。

 美味しかった。ごちそうさま。


 箸を置く。手を合わせる。皿を洗う。

 油の味が舌に染みて、昼は肉を挟んだサンドイッチが食べたいなと思った。




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