麗しい幽霊 後編

 高梨遼は息が出来ぬほど心が締めつけられ、もがいて胸を苦しげに掻きむしる。


「あんたに触れたい」


 相変わらず例の妖しい女は半透明の姿で高梨のそばにいる。いるにはいるが、触ることも会話をすることも叶わず。思いを向ける先の女は幽霊だ。高梨の気持ちはどうにもならない。熱くて煮えるような思いを募らすばかりだった。


 高梨は取り憑かれたように小説をいくつも短期間で書き上げた。出版社の担当者達は狂喜乱舞した。

 あまりにも素晴らしく感動的な恋愛小説に大勢の読者の誰もが涙を流し心から称えた。

 今まで作家高梨遼の本を読まなかった層のファンも増えていった。


 げっそりとやせ細った高梨に誰も心配の声を掛けなかった。売れる小説を書き続ける彼を人として愛している者はいない。作家としては溺愛されても、高梨を一人の人間として心底愛す女はいなかった。

 ただの一人も。

 この女をのぞいては……。



 高梨は露天風呂から出て、浴衣一枚だけを羽織った幽霊の女を愛おしげに眺めていた。

 女は高梨の熱い視線を受け、恥じらいを見せた。

 高梨の懇願するような泣き声が女の耳に入っていた。

 女の声が初めて高梨に聞こえた。

『貴方様に抱かれたい。でも叶いませぬ』

 高梨は女の元に行きたいと願った。



 何か月も高級旅館に連泊しながら、高梨はいくら使っても尽きることのない財産に手をつける暇がなかった自分を嘲笑あざわらった。

(そうだった)

 高梨は下戸げこのくせに、飲めもしない日本酒に口をつけた。幽霊の女は慌てていさめるように高梨の酒を持つ手を握ろうとしたが掴むことは出来ない。高梨がお猪口いっぱいを喉に無理矢理流しこんで体に入れると、食道が灼けつきほどなくして全身がカアッと熱くなった。

(金は生きるのに大事だが、俺は愛が欲しかった)

 高梨はお猪口に二杯目の日本酒をあおっていた。

(金も必要だったがそれよりもっと愛されたかった)

 高梨は育児放棄ネグレクトと言う虐待の中で育った。親に愛された記憶のない高梨には愛を知る術が無かった。言いしれぬ暗い感情のけ口は物語を書くことだけだった。

 遺書をしたため、高梨は眠りに就いた。


 女恋しさに一切の食事が喉を通らず、高梨はますます痩せ細った。

 もう死んで女の元に行くんだと、高梨は漠然と思った。





「先生! 先生!」

 ゆすられ強く体が揺れ意識を取り戻し、高梨は目をゆっくり開けた。高梨は気絶していたようだった。

 目の前で美しいあの女が実体を持ち、心配そうに俺を呼んでいる。

 これは幻覚か?


「高梨先生!」

「幽霊……」


 よく分からないまま高梨は目の前の女に抱きしめられた。幽霊じゃない。

(あっ? いや。死んで俺も幽霊になったのか?)

 高梨は朦朧もうろうとした頭を振ってなんとか現実に戻って来ていた。


角海文庫かどうみぶんこの広報の姫路ひめじです。……バイトですけど。胸騒ぎがして、心配になって先生の担当の佐藤に願い出て一緒に様子を見に来たんです。実は最近私変な夢ばかりを見てて。先生の大ファンだからかな。私、毎晩先生の夢を見てたんです。どんどん痩せちゃうし、先生遺書なんか書いているし」


 姫路えれなは幽霊の女にどこからどこまでもそっくりだった。まじまじと高梨は姫路えれなを頭の先から隅々まで見つめ、合点がいった。

 部屋の入り口には担当編集者が呆然と立っていた。


「君とは初対面な気がしない」

「えっ?」

 高梨は姫路ひめじえれなを抱きしめ返した。赤い顔をした佐藤がコホンと咳払いをする。

 高梨と姫路えれなは頬を朱く染めながら慌てて体を離した。



 その夜、高梨の泊まり宿の部屋で三人は食事を囲んだ。

「ふーん、きっと先生の見てたのは姫路の生霊っすね。こんな現実じゃまずありえない話、ちょっと怖いのに……。相手がドジな姫路ってとこが……笑える」

 高梨と姫路えれながジトリと同時に佐藤を睨みつけた。

「すいません、でも俺、感動してます。高梨先生」

 角海文庫の佐藤が瞳を潤ませながら高梨の手を握った。

「先生って純情なんっすね。ピュアだなあ」

 佐藤の言葉を受け、高梨がちらっとえれなを見ると彼女はクスッと可愛らしく笑った。キュートと言う言葉が彼女にはぴったり当てはまる気がした。

 普段の姫路えれなはまだ大学生の天然美少女だった。でも、高梨遼は知っている。

 生霊として現れ出会った姫路えれなは、俺の前では怪しいほどあでやかで、惹かれるなと言うのが無理なほど魅惑的だった。そう高梨は思いながら姫路えれなをそっと切なげに見つめていた。


 高梨は変わった出会いだが、初めての恋する気持ちを味わっていた。


 それからのベストセラー作家の高梨遼は恵まれない子供たちのために子ども食堂を作ったり、児童福祉施設に積極的に募金活動を行ったりした。

 近年では高梨の小説は家族を扱ったヒューマンドラマの原作本になっている。




         了




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ゾクリと美しい旅宿の幽霊 天雪桃那花(あまゆきもなか) @MOMOMOCHIHARE

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