ゾクリと美しい旅宿の幽霊
天雪桃那花(あまゆきもなか)
麗しい幽霊 前編
畳の豪奢な部屋には女が恥じらい気味に、色気香るしっとりとした背中をわずかばかり男に見せていた。
女はするりと浴衣を脱いだ。
妖しくも美しい女だ。
匂い立つほどの色気を纏った美しい女だと、
◇◆◇
高梨は作家をしており、お堅い小説ばかりを書いていた。彗星の如く現れた高梨は高校生でベストセラー作家の仲間入りをし、出せば必ずヒットの大先生となった。出版社からは高梨は超が付くほどの好待遇、厚いもてなしをうけていた。
日の浅い若い担当編集者からは「そろそろ違った毛色の小説も書かれてはいかがですか?」などと言われたが、お構いなしに高梨は友情物語や恋愛の要素の欠片なしのホラーやSF小説を書いたりしていた。担当編集者には少し恋心を差しこみましょうだとか、殻を破りましょうなどと言われ、高梨は
恋など描かなくとも、他ジャンルにわたって書き、どの出版社側のカラーに合った仕事を器用にこなし、世に生み出している。
(ふざけるな。俺の小説は俺の書きたいままに綴る)
現に信じて書いた作品はアニメ化ドラマ化映画化を次々と経て名作となり、人々から絶賛の嵐の声を浴び続けていた。
ただ、高梨遼は一度も人を好きになったことなどなかったのだ。
歴史に残る文豪たちには女の影がある。
高梨は自分が欠陥品じゃなかろうかと思った。
地位も名声も金もある。
だが、空虚さは確かに存在していた。傍らには誰もいない。高梨には友人とは名ばかりの人間が、餌や甘い物を欲っして求める蟻のように群がり集まっている。
若い頃はパーティーを夜ごと開き、つかの間の温もりを求めた。女は誘わずとも向こうからやって来るし、互いに欲求を解消する夜は熱い気がした。
高梨は女と長続きはしない。
所詮、彼女らの目的は有名な高梨せんせいと一夜を過ごすだけであり、女たちの好奇心やプライドをくすぐるだけで良かった。
「俺に足らないものは狂いそうなほどの慕情――か」
リフレッシュや取材を兼ねて旅に出て、二日ほど出版社の手配した高級旅館に泊まった時のことだった。
奇妙な者を見るようになった。
妖しい女だ。
決してこの世のものではない美しい色香を撒き散らす女が、高梨の部屋付きの露天風呂に入っていた。
この世のものではないであろう女がそこに存在している事実に、一度背筋が凍る。
肌が泡立つ感覚。
高梨は不思議と怖くはなかった。
女は形の良い濃い茶色のアーモンドの様な目を少し細め笑った。
女の妖艶な魅力にゾクリとした。
高梨に向けて濡れた桜色の唇でなにやら話をしているようだったが、残念ながらこの世の者ではない美しい女の声は届かず、パクパクと口を動かしているだけに見える。
高梨はその女に心を奪われていた。のめりこむのに時間はいらなかった。妖しい別世界の女を手に入れたいと思った。
夢心地のまま滞在期間はあっという間に過ぎて、高梨は後ろ髪ひかれる想いで日常に帰った。
◇◆◇
数日経って、意を決して高梨は今度は俗に言う缶詰め状になるのを名目に、また女の幽霊が出る宿にやって来た。
衝動的だったが、宿に着いてから秘書に居場所を連絡しておいた。
執筆に専念するためだと言い聞かせて来たが、実際は女に焦がれ会いたくてたまらなかった。
あの女の幽霊と離れていることに、数日しか耐えられなかった。
高梨は書けば必ずヒットを飛ばすので、高梨大作家先生とか高梨ヒットメーカーと言うあだ名までついていた。
先日と同じ宿の同じ部屋に泊まる。
ほどなくして現れた女は湯上がりの濡れた髪を上げて茶色のバレッタで止めていた。
またそのうなじからはそそられるほどの色香を感じて、急くような焦れた胸が熱く痛む。
高梨は女を情熱のままに抱きたい欲にかられた。
思わず手を伸ばすも、高梨の手は女の体をするりと通り抜け女の向こう側にあるだけだった。
透き通る体は揺らめいた。
なにも捉え捕まえる事など出来ずに、虚しく高梨は己の手を見、また女を恨めしげに見つめた。
幽霊の女は潤んだ美しい瞳で高梨を見て、おかしそうに笑った。
じきに、蕩けそうな湯上がりの色っぽい瞳はやがて高梨をうっとりと見つめた。
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