小さな自分、さよなら

 短大生活も半分が終わろうとしている。来月からは2年生。いよいよ就活が始まってしまう。

 短大では結局のところ新しい友達はあまりできず、休日に遊ぶのは高校時代のお決まりの面子。それが気兼ねせずいられて心地いいものだから、新しいコミュニティに積極的に加わろうとは思わなかった。

 

 さて、ここで自己紹介。私は池内もこ。地方の短大で会計学を学んでいる。好きなことはゲームとアニメ。アニメのイベントは都内で開催されることが多いため、計画的にお小遣いを貯金して軍資金を蓄えている。短大ではアルバイトをしたいと思っていたのだが、なかなか出会いがなく、現在のところ無職のままだ。


 短大では一人で過ごすことが多かったが、ゼミの時間だけは違った。毎回のように先生から難しい課題を与えられ、それを考え、答えを導き出さなければ許してもらえない。到底、独りで考えられるものではないので、他のゼミ生と力を合わせて取り組むことになる。その結果、ゼミではディスカッションが活発に行われることが多く、孤独を感じることはなかった。


 ゼミルームに入ると、りんかがいた。挨拶して隣に座る。


「課題やってきた?」


 慌ててメールを確認する。新規の受信が1件。昨晩送られていたものだ。チェックを怠っていた。

「大丈夫だよ。たぶん、誰も何もやってないと思うから。」


 りんかの言葉の意味はすぐに分かった。メールには次のようにつづられていた。


『県のホームページにアクセスして、多文化共生イベントの説明を読んでおいてください。』


 多文化?…英語なんて全く喋れないし、むしろ苦手だし。ここから何を学べ…と?


 特に専攻にこだわりはなかったため、「穏やかで優しい先生」というだけの理由でゼミを選んだ。実際、穏やかで優しい先生ではあった。怒ることはないし、勉強以外の相談でも親身になって聴いてくれる。カウンセラーの資格を持っているらしく、とても話しやすい先生だった。身長がとんでもなく高いのだが、それ以上に腰が低いので、あまり威圧感もない。トータルでみてゼミ選択は成功だと思っていた。

「先生ってさ、この手の課題、好きだよね…」


 同感だ。この先生の注意点は…課題。いついつまでにレポートを書け、とか次回の授業でプレゼンしろ、とかではない。もっと複雑な、その意図を計りにくいテーマを与えてくる。


 例えば、夏休みに入る直前に発表された課題は、「秋のビブリオバトルで予選突破し、決勝大会に進出すること」だった。まず、ゼミ生の中にビブリオバトルを知っている人が一人しかいなかった。一人いてくれてよかった。一人もいなかったら本番の雰囲気や注意点すら知らないまま準備を進めなければならないところだった。


 ビブリオバトルとは、簡単に言うと、5分間の持ち時間の中で自分が好きな書籍をプレゼンし、最も多くの聴衆を「読んでみたい」と思わせた者が勝ち、というゲームだ。プレゼン終了後、質疑応答を経て投票に移る。この投票で最も獲得票の多かった者が勝者となる。

 その時は、どういうわけか私一人が決勝大会に進んでしまい、気づけば準優勝になっていた。決勝大会の様子は地元のローカルテレビで放送され、それが運悪く夕飯時だったものだから家族全員に見られることになってしまった。


 厄介な課題は他にもある。ゼミの時間の冒頭に毎回やらされる「かかわり技法」という傾聴トレーニングだ。カウンセリングスキルの基礎だとか言っていたが、これがとにかく難しい。毎回異なるテーマを与えられ、聴き手と話し手に分かれてペアワークを行う。今でこそ時間いっぱい聴き続けることができるようになったが、最初のうちはすぐに話が途切れてしまい、沈黙。地獄の時間だった。


 先生がゼミルームに入ってきた。挨拶と簡単な事務連絡が終わる。


「それではスマホを出してください。県のホームページにアクセスできますか?アクセスしてください。」


 県のホームページにアクセス。お安い御用だ。


「続いて、イベント一覧から多文化共生イベントを選択して、エントリーボタンを押してください。」


 はいはい。エントリーボタンを押しました、と。


「個人情報の入力画面が出てきていますか?そこに必要事項を入力して、確定ボタンを押してください。」


 氏名、住所、電話…はスマホの番号でいいのかな?メールは大学から与えられたメアドにしておこう。それから、確定ボタン、と。


 全員が作業を終えたのを確認して、先生が喋りだした。


「はい。お疲れさまでした。これで後戻りはできません。スマホをしまってください。このイベントは、多文化共生の推進に向けて県が取り組むべきことについて、学生の皆さんで一緒に知恵を出し合ってみよう、というものです。皆さんの他、他大学の学生、日本に留学中の外国人の方も参加します。いくつかのグループに分かれてディスカッション形式で進めていくと思うので、皆さんにとっては日頃のディスカッショントレーニングの成果の見せどころです。頑張ってきてください。」


 あれよあれよという間にエントリーさせられて、全員が参加することになってしまった。


「ただ、今回の参加は抽選になります。全員でエントリーはしましたが、全員が参加できるわけではありません。落選してしまった方は、大変申し訳ありません。」


 ほっとした。心の底から落選を期待して1週間後の抽選結果の発表を待った。


 結果は、当選。

 私を含め、三人が当選していた。「みんなの分まで頑張ってください」と余計なプレッシャーをかけられて、頭を抱えた。


                  ※


 15分前に県庁に到着すると、1Fのラウンジにりんかとはるのがいた。やる気満々じゃないか。

 はるのはゼミの中では優等生キャラ。生活態度もよければ成績も優秀。今日だって一人だけスーツなんて着てきている。一方、りんかはちょこちょこミスが多いため先生から目を点けられている。茶髪で派手な服装だからとにかく目立つ。今日も普段通りの服装。普段通りの茶髪だ。私はそこまでの勇気はなかった。愛用のオーバーオールは避け、落ち着いたグレーのパンツに白のパーカーを選んだ。


 三人揃って受付のあるフロアに移動する。エレベーターを降りると、奥の会議室の中にいくつかのテーブルと椅子が見えた。受付を済ませ、会議室の中に入る。やってしまった…と思った。


 全員、スーツじゃん…。


 はるのは普段通り堂々としている。さすが、スーツを着ている人は違う。自分の番号が貼ってあるテーブルを目指してスタスタと歩いて行った。


「やっちまったね…」


 りんかの声に頷き、私も自分のテーブルに向かった。


                  ※


 私のテーブルには、私の他に4人がいた。県立大学の3年生と2年生、県庁の職員、フィリピンからの留学生だ。

 簡単に自己紹介をした後、県庁の職員の誘導で「多文化共生社会の実現に向けて」というテーマでディスカッションを行った。


 皆、緊張しているのか、慣れていないのか、なかなか発言をしようとしない。仕方がないから私が議論の筋道を示し、時間配分を決め、司会をしながら進めることにした。制限時間もあったためあまりゆっくりはしていられない。後のプレゼンのことを考えれば、少し早めに議論を着地させ、内容を整理しておかなければならい。


 終了2分前になんとか結論を導くことができ、最終的なプレゼンはフィリピン人の留学生に委ねた。書記がまとめた内容を基に、上手な日本語でわかりやすく発表してくれた。


「それでは、知事との懇談会に移ります。知事に質問のある方はいらっしゃいますか?」


 県知事さんは、テレビでは何度か見たことがあったが、直接会うのは初めて。威張っている感じではない。優しい雰囲気の小柄なおじさんだった。


「はい。」


 最初に手を挙げたのはりんかだった。私服のくせに大した度胸だ。


 りんかが知事に質問する。知事が答える。りんかが深掘る。知事が答える。りんかが同意し、別の切り口から新たな質問をする。知事が笑顔を浮かべ、答える。りんかが感想と礼を述べて着席する。


 参加者全員が圧倒されていた。まるで記者会見のようなやり取り…「かかわり技法」の実践だ。


「他に、質問のある方は…」


「はい。」


 はるのだ。立ち上がり、堂々と質問を展開する。しっかり準備していたのか、質問内容が簡潔で分かり易い。それに、りんかより言葉遣いが丁寧だから(そしてスーツだから)大人同士の会話に見える。さすがだ。


この流れだと、やはり…。


「他には…」


 意を決して、手を挙げた。ゼミを代表して参加しているのだ。存在感を出さずに帰るのは落選したゼミ生に申し訳ない。なにより先生に顔向けできない。


 結局、手を挙げたのは私たち三人だけだった。どっと疲れたが、満足感はあった。


                 ※


 帰路、三人並んで電車に揺られる。スーツのはるのを挟んで左にりんか、右に私。


「思ったより通用したね。」


 はるのが言う。私服の二人が頷く。確かに、通用した。日頃から実践してきたディスカッションスキルを活かせた実感はあった。質疑応答でも、結果的に挙手をして自分の言葉を発することができた。なにより「かかわり技法」で知事の話を引き出せた手応えがあった。ゼミに入る前の私にこれができただろうか。


 ほんの数か月前の「自分」を振り返る。


 そこには、今とはまるで別人の…自信なさげな小さな「自分」がいた。

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大学生活 まるやま @kirin2121

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