クロスシートの座席が反対

馬田ふらい

クロスシートの座席が反対

「特急**号、発車します」のアナウンスと共に扉が閉まると、甲高いホイッスルが鳴り響き、車輪の軋む音、クロスシートに乗せた尻がガッコンガッコンと揺れ始める。次の停車駅まで30分。デートが楽しみだ、始発駅から乗った僕は、今日見る予定の映画の予告をじっくり読んでいたが、ふとスマホから顔を上げて周りの光景に気を配ると、


ん?


あろうことか、僕の座っている向きが進行方向と反対になっている。


******


いや、別にいいんだよ? 縦座席を逆に座ったまま、終点まで突き進んでもいいんだけど、いいんだけどさ。と心の中で変な弁明を繰り返しつつ、しかし一旦逆だと気付いてしまうと「周りの目には直さずそのまま座っている自分の姿はどんな恥知らずに映っているのだろう」と変に気になってしまって、なんとなく恥ずかしくなってきて、僕は立ち上がって座席の向きを変えようとした。


が、通路側に人がいた。それに気付いた直後に座った。隣に座る男性は筋骨隆々、冬だというのにタンクトップで、顔はなんとなくテカテカと輝いており、頭にねじり鉢巻きを巻いて、両腕組んで“前”を向いている。しかし彼が瞳に自信を滾らせて“前”と思って見つめているそれは、常に10列編成の尻尾なのである。


僕は訊いた。「すいません、席の向き変えてもいいですか?」

するとタンクトップの男は“前”を真っ直ぐ向いたまま「構わないぞ」と言ったので、座席を転換しようと僕は席を立とうとした。しかし男は頑なに立とうとしない。


「あの、立ってもらえませんかね」


「ん、俺が? なぜだ?」


「そりゃ、座席をひっくり返すからですけど」


「構わないぞ」


「じゃあ立ってくださいよ……」


それでもタンクトップの男は「なぜ俺が立たねばならんのだ」と反発する。


「あなたが立たないと席の向き変えられないんですよ……!」


「いや、構わないぞ」と再三男は言う。それでも立つ素振りは見せない。


僕も腹が立ってきて、「じゃあ、立ってくれって言ってるでしょ!?」とつい語気が強くなってしまう。


すると男は目線を“前”からこちらに向けて、艶白い歯を剥きだしにして「俺は、そのままで構わないぞ」とさっきと変わらぬ調子で言った。


「はあ?」と僕が思わず漏らすと、タンクトップの男はため息を吐き、組んでた両手を解くと、アメリカのコメディ番組のようにわざとらしくやれやれとお手上げ状態になり、呆れ顔をしてこう言った。


「俺は、席の向きが今のままでも構わない。さっきからそう言っているだろう」


そして目をかっ開いてニカッと笑う。


……いや別にキレてるとかじゃないよ? そういうんじゃないけどさ。


でも、なんかこう……


苦いもん飲ませて顔くしゃくしゃにしてぇ…………


******


都会を抜けて河川沿いの線路を走る。通路を挟んで向こうの車窓は夏の青々とした田んぼであるが、その長閑な風景の手前にあるのは脂ぎった半面像で、これがはなはだ邪魔である。景観を損ねている。


「いや、立って下さいよ。僕は前を向きたいんで」と言うとタンクトップの男は「なぜ俺が立たなきゃならんのだ」と言い返す。


「あなたはどっちでも良いんでしょ? じゃあ僕の希望を聞いてくれたっていいじゃないですか」


「嫌だな」


「なんで……」


タンクトップのマッチョは僕の苛立ちに気付く感じもなく、「じゃあ、話を整理しよう。君にもわかりやすいように」と話し始める。


「まずは両者の希望を確認しよう。と言っても俺は大した希望はないから、君のだな。君の希望は『席の向きを変えたい』だな。次に両者の払うコスト。俺は『席を立つ』で、君は特にコストはないな」


「いや、僕も席を立ちますが」


「君のはそれはコストではなく、単に君の意志だろう。ここで言うコストというのは自分の意志に反して、突如として発生した仕事のことだ。予定外の出費と言っていい」


「はあ」


「要するに、君が言い分は『君の希望を叶えるために俺にコストを支払え』、こうだ。これに俺が安易にがえんずると思っているのなら、君の見込み違いだな」


「いや、僕は単に席を立ってくれって言ってるだけなんですけど…………」


「そこだよ、そこ。君は傲慢で、しかもそれに無自覚だ。『単に席を立つだけ』? それが俺にどれほどの負担か、君は一瞬でも考えたことがあるのか?」


「え、脚を怪我してたり膝の曲げ伸ばしが苦痛だったり……」


「いや、それはない。俺は見た通り至って健康だ」


「じゃあ、なんなんですか……」


「君は俺に、予定されてないカロリーの消費を、筋肉への労働を押しつけているのだ。これが俺の筋肉をどれだけ疲弊させるか、まさかわからないとはな……」


タンクトップの男はまたため息を吐く。しかし今度はどこかウットリとした目をしていた。どうも議論に勝ったつもりのようで、それで悦に浸っているのである。

そのムキムキの筋肉が一瞬席を立つだけで疲弊するような見せかけのものならむしろ恥じ入ってほしいんだが。


とは言え、僕もこいつとまともにやり合うのは疲れた。


「じゃあ、なんですか。どうすれば席を立ってくれるんですか」


「君も同等のコストを払うんだな」


「同等のコストって……?」という僕の当惑に、間髪入れずにタンクトップは「二千円」と言って手を差し出してきた。


「金取るんですか!? 払いませんよ!?」


「じゃあ俺はこれから君の無自覚の傲慢について責め立ててやろう。終点まで」


タンクトップの言うことはもはや脅迫であった。しかしこいつは本気でグチグチと言ってきそうな気がしたので、僕は折れて財布から二千円を支払った。すると彼は素直に立ち上がり、クロスシートを前後ろを転換した。


はあ、これで今日の映画代なくなった……。


これで一件落着と思って座ると、今度ははむはむと唇の逢瀬を愉しむカップルの姿がそこにあった。


要するに、後ろの彼らも座席が逆で、対面することになったのである。


カップルは僕の姿を認めると、顔を真っ赤にしたが、しかしむしろ燃えたようで、より激烈にキスを交し合った。


「なにダシにしてんだよ!?」


座席が反対である、たったそれだけの恥ずかしがったために、二度も辱めを受ける羽目になったのでした。


「こんなのってないよ~~~!?」



………………チャンチャン♪(終)








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クロスシートの座席が反対 馬田ふらい @marghery

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