第4話 ほんとうの気持ち

 2月の終わり、各社員の転勤が決まる。

 彩乃は夫の仕事があるので、今の職場に残ることになった。祐也は本社勤務。栄転だ。

「森山さん、栄転、おめでとうございます。」

皆が言う。祐也は、照れくさそうに、

「責任ある仕事が増えるだけだよ。今よりハードワークになるだけ。」

なんて言っている。

 彩乃も、祐也の栄転は嬉しかった。これまでの、彼の業績が認められたってことだ。


 ただ、やっぱり寂しさは誤魔化せなかった。ため息が出た。


「松下、この前頼んだ写真が仕上がってるらしいんだ。一緒に取りに行って貰えないか?」

写真?と思ったが、

「はい。今行きます。」


3月末だった。もう数日後には祐也はいなくなってしまう。


「なんか久しぶりだな、一緒に車に乗るの。」

「森山さん、転勤のお知らせで担当のクライアントさん殆ど全部回ってましたからね。」

「そうだな。引き継ぎも忙しかったからな。」

祐也は窓を開ける。入ってくるのは、すっかり春の風だ。

「で、森山さん、写真っていうのは?」

「ないよ。」

「え?」

「最後にお前とドライブしたかっただけ。」

祐也は、春の風を、体いっぱいに吸い込むように深呼吸して、窓を閉めた。

「お前、俺のこと好きだったよな?」

祐也の突然の言葉に、初めて彩乃は自分の本心を知る。

「…。好き…って…。」

どうしよう…いいの?そんなこと言ってもいいの?

「…正直に言ってもいいですか?」

「うん。」

「沙知さんがいなかったら、行ってたかもしれません。」

「そうか。」

祐也は彩乃の顔を見た。彼女の目から涙が一粒こぼれ落ちた。

「俺もだ。…俺も、沙知がいなかったら、考えてたかもしれないな、と思って。」

祐也の言葉に、彩乃は、また一粒涙をこぼしてから、笑った。

「ズルいですね。こういうの。ホント、森山さんはいじわるだ。」

「ごめん。悪かった。」


 あてもなく、市内をぐるっと回って帰社した。誰も何も気付かなかった。



 10年の月日が経ち、彩乃と隆二の間には二人の子供ができていた。今年小学校に入る息子と、幼稚園に入る娘。

 あれだけ彩乃の体を求めた隆二も、最近は夜だけにおさまってくれている。それでも余分に疲れるのは変わらないのだけれど。



 平和な日常の中、彩乃は、ふと、祐也との最後の会話を思い出す。


 あの時、もっと泣いてたら、キスくらいはして貰えただろうか?最後に一度だけ抱いてほしいと言えば、抱いて貰えただろうか?…どうして、あの時、変に強がってしまったんだろう…。何であの時、想いの全てをぶつけてしまわなかったんだろう…。振られて当たり前だったし、振られても構わなかったのに。



 彩乃は思う。昔々の恋なのだと。

 あの時、ちゃんと終わらせなかった恋だから、忘れることができないのだと。



 もう、あの頃には戻れない。そんなことはとっくに知っているさと、彩乃は白く大きな器をゴシゴシ洗った。

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終わらせなかった恋だから 緋雪 @hiyuki0714

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