そのコメディで笑えない

隠井 迅

わたくし、笑いどころが分からないのです

 金曜の一時限目の必修フランス語の講義を終えた後、隠井が、次の時限にはこの教室で行われる講義がない、という気安さから、ゆったりと急がずに講義の後片付けをしていると、彼が居る教卓に、一人の女子学生が、すぅ~っと近寄ってきた。


「先生、お時間よろしいでしょうか? 質問したい事があるのですが?」

 長い黒髪を三つ編みにし、黒縁の眼鏡を掛けている彼女は、地方の進学校出身で、未だ東京には慣れてはいない文学少女、そのような印象の女学生であった。

「二限に担当している講義はないので、構いませんよ。それで、一体、どんな質問かな? 今日の講義内容で、分かり難い箇所でもありましたか?」

 講義の中で、単元ごとに質問を受け付けてもいるのだが、なかなか講義中に質問してくる学生は少なく、多くの場合、出席カードの裏に質問内容を書いてきたり、このように講義終了後に質問に来る学生が多いのだ。


「いえ……。先生の講義のお話じゃなくて……」

 その文学少女は、少し言い淀んでいるかのようであった。

「実は、わたくし、水曜の一限に、フランス文学史の〈オムニバス〉講義をとっているのです。その講義内容に関して、どうしても分からない事があるのです。

 わたくし、次の水曜日の講義で、担当の先生に質問しよう、と考えていたのですが、どうしても、来週の水曜日まで待っていられなくなってしまって……。このモヤモヤっとした気持ちを抱いたまま、週末を迎えたくはないのです。

 隠井先生はフランス語の先生なので、もしかしたら、フランス文学にも造詣が深いかも、と思って、質問をしに来た次第なのです」

「きちんと答えられるかどうかは内容にもよるけれど……。で、一体どんな質問なのかな?

 あっ、あと、教員同士の渡世の義理もあるので、その文学史の担当の先生には、僕が質問に応じたって話は〈オフレコ〉で」

 そう言った隠井は、立てた右手の人差し指を口に当てたのであった。


「分かりました。先生が応えてくださった、という事は黙っておきます。

 それで、今、ちょうど十七世紀の事が、その文学史の講義で扱われているのです」

「演劇の世紀だね」

「そうなのです。講義の中で、コルネイユ(一六〇六~一六八四年)、モリエール(一六二二~一六七七年)、そして、ラシーヌ(一六三九~一六九九年)の三人が、古典主義時代の三大劇作家として扱われて、コルネイユとラシーヌが代表的な悲劇作家で、一方、モリエールが喜劇作家という説明を受けたのです」

「まあ、コルネイユとラシーヌが、ただの一作も喜劇を書かなかった分けではないけれど、大きな流れである文学史においては、そんな風に扱うよね。

 それで?」

「その水曜一限の講義の後、図書館に行って、わたくし、モリエールを借りて、読んでみたのです」

「何を借りたの?」

「『 ミザントロオプ 』です。モリエールは、他にも沢山文庫本があって、どれにしようか迷ったのですが、講義の中で、この作品が紹介されていたので。

 でも、でも、わたくし、読んでみても、全く分からなくって……」

「『 ミザントロオプ 』、『人間嫌い』か……。で、何が、どう分からなかったんだい?」

「もしかしたら、現代の日本に生きているわたくし達と、十七世紀のフランス人の感性が違っているので、わたくしに理解できないのは当然かもしれないのですが……。

 わたくし、まったく笑えなかったのです」

「???」

「わたくし、実はこう見えて、お笑いには造詣が深くて、劇場にも足を運んでおりますし、サークルもお笑い系で、そこで、コンビも組んで、自分でネタを書いたりもしているのです。

 そ、それなのに、このお笑い通のわたくしが、モリエールの喜劇の笑いの〈ツボ〉が、まったく分からなかったのです」

 えっ! この子がお笑い好き?

「そこで、先生に教えていただきたいのは、モリエールの笑いどころなのです」

「あっ! 理解。なるほど、そおゆう事かっ!」


 〈トラジェディ〉は「悲劇」、〈コメディ〉は「喜劇」と和訳されていて、今の日本で、コメディと言えば、それはお笑いとほぼ同義なのだが、少なくとも、フランス文学史的な意味ではそうではない。

 十七世紀、〈トラジェディ〉が題材としていたのは、ギリシア神話や古代ローマの史実で、その登場人物は王侯貴族であった。一方、それ以外の、例えば、同時代のフランス人の生活を題材にした劇作品が〈コメディ〉で、このタイプの作中には、貴族や上流ブルジョワだけではなく、一般町人なども登場する。

 あえて『カクヨム』のジャンルに譬えてみると、「歴史・時代・伝奇」が〈トラジェディ〉で、それ以外の、例えば、「ラブコメ」や「現代ドラマ」が〈コメディ〉に該当する、と言えるかもしれない。

 とまれかくまれ、フランス文学史的に言うと、必ずしも、悲しくて泣ける物語が〈トラジェディ〉で、笑える話が〈コメディ〉という分けではないのである。


 ちなみに、コメディの下位区分として、笑いだけを目的とした〈笑劇(ファルス)〉というジャンルもある。

 モリエールのコメディの中には、ファルス的要素が強い作品もあるのだが、この文学的お笑い好きの少女が図書館で借りてきた、『ル・ミザントロープ(人間嫌い)』は、数段低いジャンルとみなされていたコメディを、トラジェディの地位にまで高めよう、と目論んだモリエールが、意図的に笑劇的な要素を抑えた劇作品なのである。


「あのね、フランス古典主義時代における〈コメディ〉というのは……」

 そう言って、質問してきた学生の誤解を解くべく、隠井は、古典主義演劇の二つのジャンルの違いから説明を始め、モリエールの『人間嫌い』の事にも触れた。


「は、はずかしいいいぃぃぃ~~~」

 隠井の説明を受けると、かの女学生は顔を真っ赤にして、両手でその顔を覆った。

 やがて、落ち着きを取り戻したのか、お笑い好きの少女は小声で、こう呟いていた。


「でも、このわたくしの勘違い、次のライヴでのネタにできるかも、ですわ」


 お笑い好きのこの文学少女は、転んでもただでは起きない、というか、誤解してもそれを自ギャグにしてしまう、そのような逞しい〈笑魂〉の持ち主であるようだ。


                                〈了〉


〈参考資料〉

伊地智均「バロックからクラシックへ」、田辺保編『フランス文学を学ぶ人のために』、京都:世界思想社、一九九二年、八四~一〇〇頁。

モリエール作;辰野隆訳、『孤客(ミザントロオプ)』、東京:岩波書店、岩波文庫、一九五〇年。

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