第072話 閃き、稲妻、天啓

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生

・ヴェッソ:二十三歳、ラーファムの友人、徹攻兵

・ラーファム:二十三歳、チーヤの幼なじみ、徹攻兵

 

 

 四人、動きやすいよう軽装になってコテージから出ると、雲一つない青空から、北欧の低い太陽が熱線を浴びせてくる。

 乾いた白砂は陽光に照らされて熱を帯びていたが、四人とも踵のあるビーチサンダルを履いているので、苦ではない。

 横に並んで歩いているうちに、ヴェッソが小走りに駆けだす。

 するとラーファムが、続いてチーヤが左手でリーエの右手を引きながら駆けだしていく。

 男性陣が走りを緩めるが、女性陣は割とトップスピードに近い。

 遠浅の湖岸がようやく、くるぶしの上までの湖水の深さになると、ヴェッソは右に半回転し、両腕を拡げて受け身を取るように背中から湖水に身を投げる。

 それをみてラーファムも、両手で大きなしぶきを上げながら、背中から湖水に飛び込む。

 するとチーヤもリーエと手を離し、一歩、ブレーキをいれてから、両手を拡げて正面から湖水に倒れ込む。

 リーエはとっさに良い格好がとれず、そのまま歩みを緩めてその場でしゃがみ込む。

 飛び込んだ三人は、水がぬるいね、などと笑いあっていた。

 ところが、チーヤが、そして続くように男性陣がしゃがんだままのリーエをみると、自分たちをみながら涙をこぼしている。

 チーヤが右から、ヴェッソとラーファムは左からリーエの元に歩み寄る。

 チーヤが「ごめん、急に引っ張ってどこか怪我でもしちゃった?」とたずねると、リーエは横に首を振る。

 ヴェツソがまるで呟き声のようなか細い声で「急に走り出したりして悪かったかな」というがリーエはやはり横に首を振る。

 「全然そんなんじゃないんです。

 私、こーゆーことにずっと憧れてました。

 病院時代に、私にはこんな体験がないまま老いていくだけなんだろうな、って。

 でも、今一瞬、病院時代のことを思い出したら、夢、叶ったじゃん、って思った瞬間嬉しくて」

 そういいながら立ちあがる。

 チーヤが「リー」エと呼びかけながら歩み寄るより、ヴェッソが二歩近かった。

 ヴェッソが両腕をひろげ、そしてリーエを包み込む。

 リーエは、両手をヴェッソの胸に当てるように抱かれる。

 「そういうことならさ、今日は僕たちと楽しもうよ」

 リーエは、涙あとの残る顔を上げて、莞爾とした表情で「はいっ」と元気よく返事をすると、ゆっくり両手に力を入れてヴェッソからはなれる。

 

 その瞬間の、胸の中の閃光をヴェッソは戸惑いながら捉える。

 

 四人は、今度は歩いて、もう少し沖、膝下くらいまでの深さの所まで進む。遊び道具は、ラーファムの抱えたビーチボール二つと、ヴェッソが握りしめていた二本のストック。

 最初に遊んだのは、ビーチバレーよろしく、湖水面にボールを落とさずパスを回すゲーム。

 ラーファム、チーヤ、ヴェッソ、リーエの順で回していく。

 膝下までの水というのは相当やっかいで、みな、徐々に水にまみれてゆく。

 真っ先に根を上げたのはリーエで、ヴェッソの玉は正確にリーエの胸元を狙っていたのに後ろに一歩引いたところで転んでしまう。

 ここでも、真っ先に駆け寄ってきたのはヴェッソで、肩まで水に浸かったリーエに、手をさしのべる。

 「ありがとうございます」

 「『ございます』なんて敬語要らないよ。

 僕たちみんな、もう、友達じゃん」

 リーエは少し顔を赤らめながら「そうですね、ありがとう」と答え直す。

 そんな表情をチーヤは見逃さない。

 ラーファムがチーヤに声をかける。「友達が、どこかにいってしまいそうで心配?」

 「んー、あれはそういうんじゃないと思うわ」

 「そうか、そういうものか」

 

 そんな世間話をしながら見下ろすチーヤは、湖面の輝きにもまして蠱惑的にラーファムの網膜に映る。

 

 そこからは四人、時には二人同士に分かれたチームプレイを取りながら、散々遊ぶ。

 腰上の高さまで水面が来る沖にストックをそれぞれ立て、くるぶしの深さまでの場所まで戻り、女子がそこからストックの位置までビーチボールを運びそこから再びスタート地点に戻ると、男子とタッチをして交代する。

 男子は、逆にストック横においてあるビーチボールを目指して進み、ボールを拾って戻ってくる。

 早く、戻ってきた方が勝ちのゲーム。

 リーエ、ヴェッソと、チーヤ、ラーファムに分かれてやって見ると、リーエが意外な活躍を見せる。

 水深が膝下程度になってきた辺りで、ビーチボールを前に抱えて浮きに使い、バタ足でスピードを稼いでみせる。

 チーヤも気が付きとっさにまねをするが、じわじわとリーエとの距離が開いてしまう。

 ストックに辿り着くとボールをそこに置き、今度はリーエはクロールの姿勢で湖岸に向かって泳ぎ、膝下程度の深さになると立ちあがってヴェッソの元に走り出す。

 帰途は同じようにクロールに切り替えたチーヤだが、やはりじわじわと差があいてしまう。

 先にリーエが、次いでチーヤがバトンタッチをすると、二人とも息を切らしながらの会話になる。

 「水泳、得意なんて、聞いてなかった、けど」

 「えへー、実は、小学校時代から、鬱が始まる中三まで、一番打ちこんでいたのが、水泳だったんです。

 スイミングクラブで、一年中泳いでました。

 まさか、ここまで体が覚えているとは、思わなかったです」

 「リーエ、ここではさ、敬語抜きで話さない?

 私とあなたは、もともと友達どうしなわけだし」

 リーエは少し考えてから続ける。「そーだね、チーヤ。

 私達の距離間はシュベスターより近いよね」

 

 鬱を完全に通り抜けた瞬間の、健康な女性の笑顔に、チーヤの心は突然生まれた驚きを隠しきれずに頬を紅潮させる。

 

 「ん、どしたの、チーヤ?」

 「……別にふー、お日様がすごく暑いわね」と、両手をひらひらさせて顔をあおぐ。

 その間に泳ぎのパートでラーファムがヴェッソに猛追しそして折り返してなおボールを左に抱えて、右手だけのクロールの形で引き離そうとする。

 ヴェッソはバタ足だけで進んでいくが、右側のレーンからラーファムが左へ左へと寄ってきて、ついにはヴェッソとぶつかってしまう。

 「いってーな、ラーファム」と抗議するヴェッソの顔は笑っている。

 ラーファムも「すまんすまん、あれ、俺がコースアウトしたのか?」

 「そーだよ、右手だけでクロールするから、おおかた左寄りに進んできたんだろう。

 そんなことより俺はいくぞ、ラーファムはコースに戻る」

 そんなこんなでヴェッソとラーファムがお互いのパートナーの所に戻るときは、ギリギリでヴェッソの方が先だった。

 そのあとは沖と湖岸際にストックを二つ立て一人ずつ、湖岸側のストックに額をつけて十回転しそれから沖のポールへ向かう遊びをしたり、湖水中での鬼ごっこをしたり、子供のやるような遊びをみな、全力で満喫した。

 四人は、一通り遊び終わるとコテージに戻り、乙女達は自分のラッシュガードとパレオを手に取ると、自分たちのコテージに戻る。

 シャワーやトイレを済ませ、乙女達は簡単に日焼け止めも含めた化粧を済ませると、コテージの湖岸側と反対の出入り口の扉を開ける。

 砂嘴の奥まで続くアスファルトの道路は路面からの照り返しもあって暑い。

 四人は、コテージの受付でかり出した自転車に乗り、付かず離れずの距離で湖岸のサイクリングを楽しむ。

 距離にして約五キロ、ヴァンザフィヤル湖の駅前まで達すると、人波の混雑もあり自転車を降りて手で押して進む。

 コテージの受付を済ますと、四人、ヴァンザフィヤル湖駅のカウンターで、一ボックス分の特急券を買い、駅に入る。

 昼食には少し遅い時間であったが、駅の弁当を買いそろえ、電車の入線を待つ。

 列車が駅に入ると、四人揃って列車に乗り込み、男性陣が進行方向に向かって座る二人がけ座席のシートの背もたれを、座面を超えるようにして反対側に倒すと、男性陣が進行方向に背中を向ける形でボックスシートの体裁を整える。

 特急列車は、ヴァンザフィヤル湖駅発、ヴァンヤル急行ザキ・ス・ウェン駅着で、途中停車もほんの三駅しかないため、総線路長八十一・一キロメートルを一時間十五分で結ぶ。

 四人は、揺れが控えめな列車の中で、食事をゆっくり取りながら、世間話を続ける。

 それも、終着駅までのあっという間の時間の思い出。

 ザキ・ス・ウェン駅につくと、二組はそれぞれ別の路線で帰路につくことになる。

 ヴェッソが「グループチャットを交換しないかい?」といいだす。

 チーヤは少し渋っていたが、リーエが「しましょう、しましょう」と乗り気なため、結局みんなで共通のチャットルームを作り、そこに四人とも入ると鍵をかける。

 ラーファムが「むーん、グループ名はどうする?」とたずねてくるので、リーエが「えへー、もし良かったら『アデル・ヴァイス』でもいいですか?」と提案する。

 ラーファムがさっさと調べて「花言葉は、高潔な勇気、か。

 いいね、いいんじゃないかな」

 こうして、チャットルームを共有すると、「また、会おうね」「そうだ、是が非でもまた、遊びにいきたいな」「そうね、それが無理でも私は二年後には会えるかな」「えへー、私も頑張ります」と言葉を交わして二組に分かれる。

 

 二組に分かれてしまうと、リーエはどうやらチーヤがイライラしていることに気づかされる。

 最初は、人混みの中を歩いて行くとき。

 普段なら、リーエの歩みにあわせて歩いてくれるのだが、今日に限ってチーヤのペースでリーエの手をつかみ、どんどん歩いて行く。

 路面電車が到着すると、いつもなら、リーエ乗って、と先に乗車をうながすのだが、さっさと自分から乗ってしまう。

 そして、一席あいたら普段はリーエに譲ってくれるのに、今日のチーヤはさっさと自分が座ってしまう。

 何より、一度も目を合わせてくれない。

 リーエは、こんなに怒らせたこと今まで一度もないなー、と思いながら、しっかりと手すりにつかまる。

 沈黙に耐えられなくなったのはチーヤ。

 呟くように話す。「それにしてもまさか、今日お兄ちゃんと会うとは思わなかったな」

 「私は、一つ一つが夢のような時間でした」

 「もう、私達、デスマスの関係から離れてもいいんじゃないかしら」

 「でも、学校に戻ったら学年の違いを態度で示さないといけませんから」

 リーエがそういうと、チーヤの右隣の席が空いたので座る。

 いつものようにチーヤから手をつないでこないので、リーエから手をつなぎにいく。「今日、そんなに怒らせるようなことをしましたか? 私」

 そういわれてチーヤはリーエと目を合わす。「怒っているんじゃなくていろいろ考えていただけ、それだけだから」と消え入るように最後をいいおえると、また、正面の床に目を映す。

 リーエは改めてチーヤの横顔を眺めることで、怒り、では無く、寂しさを感じることができた。

 その時、チーヤはまたも呟くように語り出す。「それでも、今日の月はどの星にもまして輝いていたわ」

 リーエも、正面を向きながら語る。「私も月が綺麗に見えました。

 きっと、あなたとみるからでしょう」

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王立女子士官学校「アデル・ヴァイス」 888-878こと @888-878

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