第071話 ちょうどいいんじゃないかな
・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生
・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生
・ヴェッソ:二十三歳、ラーファムの友人
・ラーファム:二十三歳、チーヤの幼なじみ
洞の奥に潜んでいたのはヒグマだった。
走ってくるヒグマに対して、二人とも逃げ惑うばかりだった。
床面がぬれていて走ろうとすると足下が滑る。
なんども振り返っては洞の入り口を目指す。
いよいよ噛み付かれる、というときにヴェッソは本能的に左腕を上げた。
その左腕にヒグマが噛み付いたとたん、ラーファムは自分のストックを振り上げ、ヒグマの顔を目指して振り下ろす。
ストックは運良くヒグマの左目にあたり、怯んだヒグマが口を開く、とっさに二人とも距離を取ってヒグマに対峙する。
ヒグマは再度襲う為の見極めをし、二人は逃げ出す間をつかもうと対峙する。
その時「クオォン」という牽制力のある吠え声が鍾乳洞全体に響き渡る。
この声にはヴェッソ達よりヒグマの方がうろたえ、もう一度二人を見やると、洞の奥の方に潜り込んでいく。
命からがら、二人が洞から出ると、この鍾乳洞の入り口から、大きすぎるオオカミの顔が見えた。
その顔の大きさからして、ヒグマの体格を超えるとも劣らない大型のオオカミのようにみえた。
しかしオオカミは「クォン」と小さく鳴くと振り向いてそのままいってしまった。
入り口から差し込む陽光で鈍色に輝くオオカミの横顔は、薄く口角を上げているように見えた。
ヴェッソは笑いながら古傷の残る左腕をテーブルの上に出してこういった。「その後の始末の方が大変だったよ。
親に叱られ、先生に叱られ、医師に叱られ、警察にまで叱られて、僕はすっかり疲れてしまった」
それからはヘルメットとストックを持って出かけようなものなら、家族から行き先も確認されずに「止めなさい」ととめられる始末。
こうして、ヴェッソとラーファムの冒険の夏は終わった。
ラーファムが話しを引き取る。「そのまま高校生に上がり、俺とヴェッソはそれなりに退屈な、でも、それなりに楽しい高校生活を送っていたんだ。高校二年生に上がった九月、新学期が始まってそうそう、俺とヴェッソは、別々に王立国防軍からの電話を受けた。
なんでも、特殊な選考によって、軍極秘の試験を受けて欲しい。
ただし、試験をうけることも含めて、その内容は、家族や友人、高校の教師も含めて誰にも語ってはならない。
語れば君と君のご家族が危険に曝されることになる。
この試験への勧誘は、国家命令だと思ってくれて良い。
なんて、大仰な電話を受けてさ、俺はなんだか、また新しい冒険の日々が開くようでちょっとワクワクしながら試験日を待った。
イロマンツィの駐屯地をたずね試験を受けると、なんと俺は一発合格。
そして電話もくれた指導教官から驚くことを告げられる。
高校卒業後は直ちに国防軍の一員になって欲しいこと、
正規の軍事教練を受けるため、ドイツのミュンヘンにある軍事学校に留学して欲しいこと。
留学に当たっての滞在費、学費、帰省する場合の交通費も全て軍が持つこと。
学校や両親には指導教官から直接説明に上がること。
が告げられたんだ。
話しがどんどんと進んでいくに連れ、俺はヴェッソに何もいえない歯がゆさを感じていたんだ。
でも、その頃には俺も指導教官から詳しく説明を受けていて、ヴェッソを巻き込めない、と思っていたんだ。
当然、お互い進路についての話しもしたが、『少し、迷ってて』なんてごまかし方をしてきたんだ。
だから二年後の七月初旬に、空港でヴェッソと出会ったときはびっくりしたよ。
こっちがどこに行くかを応えられないのに、向こうに行き先の話しをするのはまずいと、二人とも、妙によそよそしい会話しかしなかったんだ。
だから、見送りに指導教官が来てくれて、俺だけじゃなく、ヴェッソも挨拶しているのをみてさすがの俺もわかっちゃったんだ。
二人とも、同じ進路を選んだことに。
それからは四年間、ミュンヘンの軍事学校で学び、ほとんど強制的にフランスの軍事学校で修士課程の目下修養中ってわけなんだ」
そこまで聞いて、両手をテーブルの上に置き、柔らかく左手の拳を右手で包んでいたリーエが、突然切り出す。
「つまり、お二人は徹攻兵なんですね?」
チーヤは、はっとしてリーエを振り返り、ヴェッソとラーファムはきょとん、としてみせる」
ヴェッソが口を開く。「徹攻兵ってあれでしょ、四年くらい前から合衆国が宣伝を始めた無敵の歩兵。流石に僕たちはそんなんじゃない、一介の歩兵科の兵士だよ」
こういう時のリーエの鋭い目つきは止まらない。
チーヤも「変なプライベートを聞き出すのは止めましょ」というのだが、リーエは右手のひらをチーヤに向けて制止する。
「王立国防軍からの直接の試験要請、誰にもいってはいけない特殊な試験、男子の軍事教練はドイツのミュンヘン校でおこなわれる伝統なのに徹攻兵を輩出しないフランスでの修士課程。
これだけ条件が整っていたら十分わかります」
それを聞いてラーファムが苦笑いを浮かべる。「詳しいんだね、軍事関係に。
リーエ達はどこの大学に通っているの」
この問いにもリーエはためらわずに答える。「王都ザキ・ス・ウェンの一角、ゼライヒ女王国王立国防軍女子士官学校で、陸軍学部特装科に所属しています」
ラーファムがびっくりしてたずねる。「つまり君たちも徹攻兵ってこと?」
ヴェッソが呆れる。「ラーファム、『も』は要らないんだよ。
でも、改めてリーエもチーヤも徹攻兵なんだね」
二人ともうなずく。
すると、ヴェッソとラーファムが姿勢を崩す。
ラーファムが「あせったー、どうやって口止めしようか、そもそれは我らに可能か、とかぐるぐる考えてたよ」
ヴェッソも続ける。「国防の機密も大事なんだけど、プライベートの一大事を知られてどこまで迷惑をかけるのかを数勘定していた。
無駄に終わって良かったぁ」
チーヤが済まなそうに告げる「ごめんなさい、ラーファム、それとヴェッソ。
リーエも驚かすつもりじゃなかったと思うの。
ほら、リーエもご挨拶して」
「えへー、驚かしてばっかりでごめんなさい。
でも、軍から直接の極秘試験に一発合格って話しで、私はほとんど確信してしまっていて」
そこから、リーエは自分が小児鬱で学歴もないこと、しかし徹攻兵の試験に合格して王立女子士官学校に推薦入学になったこと、
鬱の影響で、二年遅れでの入学になり、年は下であるが学年は上になるチーヤに色々と世話になっていることを告げた。
そしてチーヤは、自分が取り替え子であることがわかるまで、幼稚園ではおねいさんになるリーエに沢山遊んでもらっていたこと。
取り替え子であることがわかって家族を交換したとき周りの子となじめない分、リーエとの思い出が濃く残っていたこと。
精霊の導きで王立女子士官学校で再び巡り会えたことを語った。
話しを一通り聞いたヴェッソは感心してみせる。「徹攻兵は引き寄せあう、とは聞くけれど、ラーファムとチーヤを軸に、僕たち、この湖水欲で巡り会ったんだねえ」
ラーファムがそれに続く「特にチーヤなんて、幼稚園ですでにリーエと親しくしていて、その後からは俺と親しく遊んでいたなんて、ほんと、精霊のご縁に感謝だな」
チーヤが受け取る。「ほんとに、この力だけはカチムソムやその使徒からの恩恵というより、精霊のご加護として感じられるわね」
そんな、四方山話が終わると、ヴェッソが「ビーチボール持ってきてるんだけどちょっと沖まで脚を進めて遊ばない?」と切り出してくる。
女子達はちょっと待って、と日焼け止めを塗り直す。
その仕草がすでに色っぽくって、ヴェッソもラーファムも、無駄に咳払いをしてお互い窓の外に目を向ける。
「暑いな」
「ああ、でも湖水に浸かりながらだとちょうどいいんじゃないかな」
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