朝焼けおにぎり

味噌わさび

第1話

 人が、何かを食べたいと思う時は唐突な時である。


 それでいて、特定のものを食べたいと思った時は、その欲求というのはすさまじいものである。


 それがどんなにありふれたものであっても、例えば、深夜に食べたいラーメンなんかがそうであるが、食べたいと思った時はどうしても食べたいものなのである。


 そして、俺の場合は、少々、不思議な経験をすることがある。


 俺の場合は、その欲求が高まると、大抵不思議な場所に出会うことがあるのだ。


 その不思議な場所で出会う食べ物はこの上なく美味しいのである。


「……疲れた」


 その日、俺はかなり疲労困憊の状態での朝帰りだった。


 会社での仕事が大詰めであり、泊まり込みだったのだ。幸い、徹夜での頑張りのおかげで、なんとか終わる目処はついたし、次の日は土日であった。


 それにしても、ここまで疲れたのは久しぶりだった。


 今俺が努めている会社はそこまでブラック企業というわけではないが、たまにこういうことがあるのは辛いものである。


「それにしても……腹減ったな」


 仕事も大詰めであったため、昨日の夜から何も食べていないのだ。


 かといって、こう疲労困憊の時には、ガッツリしたものはあまり食べたくない。


 何か軽い感じの食べ物……それこそ、短時間で食べられるものが望ましい。


 俺はなんとか気力で電車を乗り継ぎ、最寄りの駅まで帰ってきた。


 あとは家の扉を開けるまでなんとかあるき続ければいい。最悪、玄関で寝てしまうのも致し方ない。


 それにしても……腹が減った。かといって、この時間に開いている店などあろうはずもないし、この辺にはコンビニもない。


 そう思っていた矢先だった。


「……ん?」


 見ると、この明け方だというのに、開いている店がある。看板を見ると――


「……『おにぎり』?」


 おにぎり……そういえば、最近はおにぎりをメインでやっているお店もあると聞いたことがある。


 そういう店なのだろうが……それにしても、随分と早い時間からやっているものである。


 俺は思わずそのままその店に、引き寄せられるように近づいていってしまう。


「……すいません」


「はい?」


 と、小柄な老婆が顔を出す。


「あの……営業中ですか?」


「えぇ。もちろんです。何がいいですか?」


 笑顔で老婆に、何がいいかと聞かれると……困ってしまった。


 正直、おにぎりの具で何が好きかと言われると……難しい。


「……あの、一番人気って、なんですか?」


 こういう困った時、俺は反射的にこの質問で対応してしまった。


「一番人気は……鮭ですかねぇ」


 ……鮭か。別に嫌いではないし、この際食べられるならなんでもいい。


「じゃあ、それで」


「はい。ちょっと待ってくださいね」


 老婆がそう言って、数分後、透明なパックにおにぎりが一つだけ入っていた。


「どうぞ。朝早くからお疲れさま」


「あ……どうも」


 俺はこれまた、反射的に老婆に挨拶をして、おにぎりを受け取った。


 購入してから、俺は家路を歩く間……少し疑問に思っていた。


 いつも、この道はよく通る道である。しかし……あんなおにぎりメインのお店なんてあっただろうか?


 最近出来たのだろうか? いや、最近もこの道は通った気がしたが、あんな店はなかった気がする。


 俺はそんなことを何度も考え込みながら、いつのまにか家の前まで帰ってきていた。


 俺は玄関の扉を開ける。本当なら、このままぶっ倒れるレベルなのだが……おにぎりに対する好奇心が俺をなんとか動かし続けていた。


 俺は椅子に座り、机の上に先ほど購入した透明なパックに入ったおにぎりを取り出す。


「……いただきます」


 そのまま俺はおにぎりを手にすると、思い切りかぶりついた。


 ……美味い。


 何も文句がなかった。一口かぶりついただけで、中身の鮭に到達することができた。


 出来たてのものなのか、米と鮭がまるで互いに高め合うように、ふわふわとした感触が口の中に広がる。


 なんというか……温かくて、柔らかい食感だった。


 俺はそのまま一気に、半ば飲み込むようにしておにぎりを食べ終えてしまった。


 ……なんだろう。まるで、子どもの頃の遠足や、運動会で食べるような……そんな懐かしい味だった。


 もう戻らない……二度と味わえない味を食べた気がする。


 ふと、俺は窓の外を見る。朝日が、窓の外からこちらに差し込んできていて眩しい。


 先ほどでの疲れは嘘のように吹っ飛んでいた。疲れはないのだが……とても眠かった。


「……寝るか」


 俺は満足した気分のままに、そのまま、布団に潜り込んでしまった。


 そして、数日後。


 なんとなく、俺が感じていたとおりに、おにぎりをメインにしていたお店は、俺が覚えている場所にはなかった。


 あまりに疲れて別の場所と勘違いしていたのかもしれないが……なんとなく、あの味はもう二度と味わえないのだということだけはわかる。


 あれは、あの時、俺が深層心理で、どうしても食べたいと思ったから食べられたのだ、と。


 かといって、後悔しているわけではなかった。


 なんとなく、おにぎりを食べた日から、また、頑張ろうという気分になったのであった。

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