高校の女教師と黒翼のあやかし父娘と、お笑いの話。

依月さかな

地方のオタク事情と大阪

「お姉ちゃん、お笑いってなに?」


 ある日の週末。テレビを眺めていた娘ちゃんが私に尋ねてきた。振り返ったと同時に黒いツインテールも一緒に跳ね、宝石みたいな瞳が見あげてくる。


 この子は最近一緒に暮らし始めた鴉天狗というあやかしの子どもで、名前はない。

 名前がないのはあやかしの間では普通らしいのだけどすごく不便なのよね。だから、今のところ「娘ちゃん」と呼ぶことにしている。


 液晶画面には、毎週末の夕方に放映されているお笑い番組が映っていた。

 お笑いがなにかって尋ねられると正直なところ返答に困っちゃう。今まさに見ているソレがお笑い、なのだけど。


「お客さんを笑わせるために、こうやって芸をする人のことよ。面白い?」


 テレビの画面を指差しながら、説明してあげた。これで伝わったか不安だったけど、娘ちゃんはこくりとうなずいてくれた。


「うん、この人たちすごく面白いの。どうやったら会えるのかなあ。この箱の中にはいないんだもんね?」

「そうだねぇ、かなり難しいかも。私も会ったことがないし……」


 お笑い芸人も間違いなく芸能人の一人で、私は田舎の学校に勤務する音楽教師だ。つまり、一般人。会うことすら難しい。

 けれど、娘ちゃんは宝石みたいな青い瞳を輝かせて期待を込めて見つめてくる。

 うう、可愛い。願いを叶えてあげたい。


「……大阪に行ったら、会えるかも」


 なんと安易な考えだろうか。

 つぶやいたあとで激しく後悔した。

 お笑いの聖地はたしかに大阪だけれども、行っただけでお笑い芸人に会えるわけないじゃない。今時、子どもだって知ってるわよ。


 じゃあなんで私が「大阪」と口走ったのかというと、実は大阪への旅行を計画していたからだった。

 今も絶賛ハマり中のアイドル系音ゲー「イケメン☆スターズ」の舞台イベントがなんと大阪で開催されるのだ。チケットは抽選だけれど、すでに予約済み。無事に当選したら行けるように、旅費もしっかり貯めていた。

 本州から離れた地方に住む私のようなオタクにとって、大阪のような主要都市で開かれるイベントに行くのはものすごいエネルギーがいる。時間とお金の確保だって必要だ。

 だから私は来たるべき日のために着々と準備を重ねてきた。あまり興味のないお笑いを見に行くために貯金をしてきたわけではない。——けれど。


「大阪? 大阪ってどこ?」


 こんな無邪気な笑顔で聞かれると、ぜんぶどうでもよくなってくる。あんなに推しに心血を注いできたというのに。

 だって、小さな翼をパタパタ動かしてわたしにすがりついてくるのよ?

 絆されないわけないじゃない。


 それにしても大阪か。うーんと、どうしよう。


「えっと、ここよりずーっと遠いところかな」


 社会人の女としてその発言はどうなの、私!

 悲しいかな。うちに貼ってあるのは日本地図ではなくて推しのポスターのみ。地図ってどこにしまったっけ。たしか高校時代に使ってた参考書の中にあったはずだけど。あ、たぶん押し入れの奥深くだわ。


「大阪は俺様たちが住んでいた京の近くだぜ」


 押し入れの中身を掘り返そうか悩んでいると、天狗さんがぽつりと言った。

 天狗さんは娘ちゃんのパパだ。そして推しそっくりなイケメンなのである。

 実は私、この二人と同居生活をしているのだった。


「えっ、京ってもしかして京都のことですか?」

「人間たちはそういう呼び方をするよな」


 うわあ、やっぱり京都なんだ。京都と言っても色々あるけど、私にとってはお都会のイメージだわ。

 最後に行ったのは、たしか学生時代の修学旅行だったような。


「てことは、天狗さんたちすっごく遠いところから来たんですね!」


 大阪よりも距離があるイメージだっただけに、そのまま気持ちを言葉にのせて言ってみた。

 そしたらなぜか天狗さんは石のように固まってしまった。そのあと真面目な顔で尋ねられた。


「……遠いか?」

「遠いですよ! 新幹線乗らなきゃ行けないですもん。ここから新幹線乗るのにどれくらい労力かかると思ってるんですか。隣の市まで車走らせて、特急乗って、都会の駅まで行かなきゃ新幹線乗れないんですよっ」


 ああ、もう。なんで私が住んでるこの月夜見つくよみ市には線路が通ってないのよ。

 近くに駅さえあれば駐車場代だってそんなにかからないのに!

 バスでさえ一時間に一本あればいい方なのよねぇ。ほんと田舎って不便。


 それに引き換え都会の交通事情はすごく整っていると思う。電車だって一時間に何本もくるもん。

 きっと天狗さんたちが住んでいた京都だって同じだったんじゃないかな。


「……あ、でもどうしてわざわざ京都からこんな小さな町に移住してきたりしたんですか?」


 それはふと頭に浮かんだ疑問だった。

 天狗さんが住んでいた町がどんなところなのか知らない。京都は広いもん。人が賑わう都会の地域もあれば、月夜見つくよみ市みたいに田舎の地域もあるだろう。

 そうはわかっていても、やっぱり気になってしまった。単なる興味本意だった。

 本州から離れたこんな九州の田舎にまで、どうして移住してきたのだろう。


 私はすぐに後悔した。

 その瞬間、天狗さんの青い瞳が大きく揺れた気がしたの。


「別に、理由なんてねえよ」


 ふいと目をそらされる。その横顔は不機嫌そうに眉を寄せていて、どちらかというと怒ったような表情。

 なのにどうしてだろう。彼の顔が今にも泣き出しそうに見えたのは。


 さっきまで声を弾ませていた娘ちゃんまで黙り込んでしまっている。

 どうやら私は触れてはいけない話題を口にしてしまったらしい。


 よくよく考えてみると、天狗の父娘おやこのことを私はなにも知らない。軽い気持ちで二人の心に踏み込んじゃいけなかったんだわ。


「じゃあ、みんなで大阪に遊びに行きません?」

「はあ?」


 ここはあえて、大阪の舞台イベントのことは目を瞑っておこう。抽選が当たるとは限らないんだし。今は二人に元気になってもらわなくちゃいけないわ。


「わたし、いってみたい!」


 娘ちゃんはすぐに乗り気になってくれた。

 とりあえずはよし。前から思ってたけど、この子可愛い上にノリいいよね。最高だわ。


 最近わかってきたことがある。

 推しそっくりな天狗さん、実は相当な親バカだ。基本的に娘ちゃんの言うことには頭が上がらない。

 ということはつまり、天狗さんをその気にさせることができちゃうのだ。


「ねえ、パパ。行ってみようよ!」

「なんで行かなくちゃなんねえんだよ。大阪はちょっとなあ……」


 あれれ? 読みが外れちゃった。めちゃくちゃ渋ってる。苦虫を噛み潰したような顔をしているわ。


 今日の天狗さんは服装は相変わらず山伏衣装のまま。畳の上に腰を下ろし、手慰みに団扇っぽいなにかを指でいじっていた。

 大ぶりな鳥の羽根を何枚も重ねた団扇うちわだった。

 あれ。初めて見るはずなのに、なんか既視感を覚えた。見たことがあるかもしれない。ううーん、何だったっけ。すぐそこまで頭から出かかっているんだけどな。


「妖魔は退けられるけど、こいつはやばい人間どもまでは退けられねえし」


 ぶつぶつと天狗さんがつぶやいている。


 団扇の取手は丁寧に漆っぽいなにかで黒く塗られている。

 羽根でできた団扇。羽団扇はうちわってところだろうか。——あ。


「それって天狗さんの羽団扇ですか?」

「おまえよく知ってんなあ」


 ふふふ、これでも二次元オタクですからね。今はアイドルゲームにハマってるけど、昔は乙女ゲームに手を出したこともあったのよ。あやかし男子が出てくる和風ものが昔流行ってたっけ。


「たしか持ってるだけで妖魔退散の効果があるアイテムなんですよねっ! あれ、でもそれと大阪に行きたくないってこととなにか関係があるんですか?」

「この団扇は妖魔は退散できても、悪い人間どもには効かねえんだよ」

「それって、大阪に悪い人間がいるってことですか?」


 天狗さんは深々とため息をついた。


「思慮深いあやかしなら、フツー大阪に近づこうとは思わねえんだよ。あそこにはな、俺様たちあやかしを実験動物と同等に見てるやばい人間集団がいるって有名なんだよ。……お前には信じられねえだろうけど」


 うそー! 大阪ってそんなやばい人がいるの!? 知らなかった!

 でも納得した。どうして行くのを渋ってたのかわかったわ。娘ちゃんのためだったのね。

 この人はやっぱり父親だ。いつも第一優先は娘ちゃんで、自分は二の次。本音を言うなら、もっと自分のことを省みてみいいと、思うのだけど。


 よし。それなら方針を変更しなくちゃね。


「それなら大阪はなしにしましょう。娘ちゃんになにかあったら大変ですもんね」


 私の中ではあやかしってなんとなく強いイメージでいたけど、どうもそうではないみたい。

 娘ちゃんが無事なのは、天狗さんがあらゆる危険から娘を守り抜いてきたからだ。


 一瞬だけ見た、泣き出しそうだった、あの顔が忘れられない。そう思うと、もう止まらなかった。

 気がつくと天狗さんの手を取って、私はこう言い出していた。


「それなら、近場でお笑いを見に行ける場所を探すので三人で行きませんか!?」


 つった青い双眸が大きく見開く。そして彼はぽつりと言った。


「いい加減、お笑いから離れてもいいんじゃね?」


 あれ、もしかして今の私って相当なお笑い好きに見えてる? 正直、お笑いにはあまり興味ないのよね。実は。


「だって娘ちゃん行きたがってますし!」

「うん、わたし行きたい!」

「…………まあ、近場ならいいけど」


 大阪に行かないならと、天狗さんは渋々と了承してくれた。

 次の日から私はリサーチ重ねた結果、一か月後に私たち三人は隣の県まで車を走らせて遊びに行った。一日中娘ちゃんははしゃいでいて、天狗さんは喜劇の舞台に興味なさげな顔をしていたけれど、どこか楽しそうに見えた。

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高校の女教師と黒翼のあやかし父娘と、お笑いの話。 依月さかな @kuala

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