第20話 モヤモヤロースティング
「柊瑞希。よろしく」
「えっと、久遠佐奈です。よろしくお願いします瑞希さん」
そうしてようやくまともな挨拶を終えた二人。佐奈さんは瑞希さんにビクビクとしていたが、彼女の目つきの悪さは元来のものなので勘弁してあげてほしい。
ちょうどこの時間で彼女は上がり。その交代として俺と瑞樹さんが入る予定だったのだが、少し変更が生じる。
「あ、私もう少しここで業務を見てます。お客さんとして」
佐奈さんが俺たちの普段の業務を見たいといって残ると言い出したのだ。もちろん俺たちに断る理由はないし、文乃さんは偉いと言いながら彼女にコーヒーとケーキをサービスしていた。遠慮がちだったが、ケーキが出てきた瞬間目の色を変えて受け取っていた。きっと甘党なのだろう。というかそれ以前に
「佐奈さん。俺は年下なので呼捨てでもいいですよ?」
「いえ、このお店の中では先輩なのでさん付けします。その方が私も接しやすいので」
ということで年上のお姉さんにさん付けで呼ばれることになった。ちょっとドキドキさせられるが、こういうのもいい経験になるかもしれないと思ったので許可した。それに先輩と言われている分、後輩である彼女のためにも立派な業務を見せようと気合が入った。
「舞宵、オーダー」
そうしていつものルーティンが始まった。瑞希さんがお客さんの接客をして飲み物を運び、俺が瑞希さんを経由して調理し、文乃さんは俺たちのフォローやお会計などの総合的な業務。これがカフェ『ファミリア』の従来の営業スタイルだ。
客足が少なくなってきた頃、俺は文乃さんに気になったことを尋ねる。
「そう言えば文乃さん、佐奈さんはどういう業務を主体で行うんですか?」
「基本的には接客という瑞希ちゃんに近い役割をしてもらう予定だ。でもできればレジも覚えてほしい所かな? その時間に調理を担当できるのは私しかいないからね」
「それって、瑞希さんが今やってる業務よりも大変なんじゃないですか?」
「今のところは私がレジを兼任しているから負担は半分にしてるみたいな感じなんだ。けど彼女、かなりハイスペックみたいでね。物覚えの良さは二人を圧倒的に凌駕しているよ。だからもしかしたら、って感じかな?」
期待しつつも無理はさせないつもりらしい。また新しく誰かを雇うのか、それとも文乃さんが佐奈さんの至らない部分を補うのか方法はわからない。だが、一つだけ明らかなことがある。
「文乃さん、働きすぎじゃないですか?」
「私かい?」
お昼からとはいえ、彼女は明らかに労働基準法とかそう言う範囲を超えて働いている。途中で休憩はあるのだが、所詮は一時間程度。ここまで長時間の労働の疲労がそれで取れるとは思えない。しかもそれが週に5日もあるのはキツくないか?
「私は特になんとも。これでも仕事にしか能がない人間だからね。それに、このカフェがオープンしてから私は毎日楽しいよ」
そう言って笑顔で笑う文乃さん。そうであるならいいのだが、いつか爆発してぶっ倒れないか少し不安だ。そうなったときは瑞希さんと一緒に支えるだけだが、できればそんな時が訪れないことを願う。
そうしてそのまま閉店時間まで絶え間なく仕事は続く。今日は夏休みが終わった平日ということもあってかいつもより若い客層が多い気がした。もしかしたら今後の経営に何か影響を及ぼすかもしれないが、その辺の指示は文乃さんに従えば間違いないだろう。
「ふえー、すっごい手際」
カウンター席に座りながらなんだかんだ閉店まで俺たちの業務をずっと見ていた佐奈さん。コーヒーなんてずっと前に飲み干し、今では4杯目だ。あとケーキは2個目。もちろん追加分はオプションです。
「最後まで残らなくてもよかったのだけど……佐奈ちゃんは見ていてどうだったかな? やっていけそう?」
「えっと、はい。今のでだいたいどういう流れでお店が回っているのかはわかりました」
「さすがだね。それじゃ明日からはメニューやそれに使われ散る食材を覚えてもらうよ。アレルギーのお客さんに対してきちんとした受け答えができるようにならないとね」
「はい、がんばります」
そうして佐奈さんは追加分のお題を払いそのまま店を出ていった。あの口ぶりから察するにこの店の営業スタイルをなんとなく理解したのだろう。確かに文乃さんが言っていた通りハイスペックな人なのかもしれない。あの調子なら明日までに本当にメニューを覚えきれてしまうかもしれない。俺でさえ三日ほどかかったので少し複雑な気分になりそうだが。
「それじゃ、二人とも終わったかな? 今日はもう上がっていいよ」
そうして閉店処理を終え俺たちもそれぞれ上がる。いつもはこのまま少しだけ夜更かししたりするかもしれないが、また明日は朝から学校だ。ある意味で文乃さんより忙しい毎日になるかもしれないが、楽しくなりそうな予感がしてきた。もしかしたら文乃さんもこういう思いの下働いているのかもしれないな。
そうして俺も部屋に戻り明日の授業のために少しだけ予習をする。今日の授業の内容はかなり理解できたので復習の必要はなさそうだ。それと冷蔵庫の中を確認し、明日のお弁当の食材があるか確認する。
「あしたは……オムライス風のお弁当でも作ってみようかな?」
今日はオムライスの注文が多かったので自分でも食べたくなってしまった。ケチャップライスを作ってその上から卵を被せるタイプのお弁当。今から想像しただけでも作るのが楽しみだ。
「よし、やることも終わったし寝るか」
そうして俺は今日も一日を終える。だけど、あれ?
何か忘れているような………………
「七識くん、どうしてカフェなんかに?」
帰るふりをしてひっそり息を殺し舞宵の後をつけていた私。こんなこと良くないっていうのはわかっているんですけど、昨日一緒にいた女性が誰なのかとても気になるんです!
一緒にカフェの中に入っていったと思えば、中にいた綺麗なお姉さんたちと仲良さそうに話してたし、もう何が何だか……
「こ、こうなったら私も中に……」
こうなれば飛び込んで確かめてみるしかない。そう思った私は覚悟を決めてあのカフェに入店してみようと思いました。けど……
「やめてあげて」
「はわっ!?」
誰かに後ろから声をかけられて思わず変な声が出てしまいました。まさか不審者!? いや、でもどちらかと言えば私の方が不審者っぽい振る舞いを……って、あれ?
「猫宮さん?」
私に声をかけてきたのはここ最近以前にもまして大人しくなった猫宮さん。一学期は七識くんと距離が近かったのでドギマギしていましたが、そう言えば彼女も彼と仲がよかった。もしかしてショックで思わず私と同じ行為を?
「二重尾行、大成功」
あ、単純に私がつけられていただけでした。きっと彼を追いかけることに夢中になりすぎて気づかなかったのでしょう。いや、それ以前に……・
「猫宮さんは、どうして私を?」
「なんか、やらかしそうだったから」
「や、やらかしそうって、別に私は……」
「今は、そっとしておいてあげて」
どこか大人びた目で彼が入っていったカフェを見つめる猫宮さん。もしかして彼女、七識くんのことについて何か知ってる? そう言えば七識くんと猫宮さんは幼馴染だとかなんとか聞いたことがあった気がします。兄弟姉妹のように育ったとかなんとか。
「それに、私の連絡を忘れるくらい楽しんでるみたいだし」
「連絡? 彼と何か話したんですか?」
「ううん、あんまり話せてない。今はまだ、ね」
そう言いながら踵を返して私が来た方向と逆方向に歩き始める猫宮さん。たぶんこのまま帰路に就くのだろう。私はカフェを見つめてどうするか迷うも今入るのはやめることにした。
「猫宮さんからしてみれば、不公平ですよね」
ここは公平に行くことに決めた。まずは彼と再び仲良くなり、そのうえでこのカフェのことについて聞いてみよう。そうすれば、私がわからないことも彼から答えを教えてもらえるはず。
「私も帰ろっと」
私も来た道を戻るように歩き始める。その足取りは彼のことをこっそりつけていた時より僅かにだが軽くなっていた気がした。
記憶喪失の青年はカフェで働き学園に通う ~失った分の幸せを取り戻すまで~ 在原ナオ @arihara0910
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