笑いの絶えない素敵な一家

澤田慎梧

笑いの絶えない素敵な一家

 「笑いの神様」と呼ばれたお笑い芸人・松沢笑太郎まつざわ しょうたろうが死んだ。

 テレビ局での撮影が終わった後に楽屋で倒れた、いわゆる突然死だった。


 数々のバラエティ番組の司会を務め、お茶の間に笑いを提供するだけにとどまらず、売れてからも地方営業に手を抜かず全国を行脚し、人々を笑顔にしてきた笑太郎。

 彼の笑いによって救われた人々は沢山いる。児童養護施設や刑務所、被災地など、笑太郎は場所を問わず公演に駆けつけた。「こんなに楽しい気持ちになれるのなら、もう少し頑張ってみよう」と思わせる何かが、笑太郎の「笑い」にはあった。


 その分、笑太郎の死によって人々が受けた衝撃も大きかった。

 けれども彼は、そういった先々までを見越して、こんな遺言を残していた。


『オレの葬式は盛大にやってな! 念仏とかはいいから、後輩の芸人たちでも呼んで、ずっとネタをやってもらうんだ! 笑顔溢れる葬式にしてくれよ!』


 その遺言通り、笑太郎の葬式は「お別れお笑い会」と銘打たれて盛大に行われた。

 祭壇ならぬステージには満面の笑みを浮かべた笑太郎の遺影が掲げられ、ベテランから若手まで、笑太郎と交流のあった芸人たちがその前でネタを披露し続けた。

 悲しみに沈んでいた弔問客たちの表情にも、思わず笑顔が戻るほどの楽しいお別れ会となった。


 ――中でも、笑太郎の遺族の笑顔は鮮烈であったという。

 彼らは終始、声を上げて笑い続け、最後には喉が枯れ果ててしまい、締めの挨拶には急遽代理を頼むほどであった。


「きっとあれは、悲しみの裏返しなのだろう」


 弔問客たちは、笑顔の下で遺族たちが包まれているであろう悲しみの大きさを慮った。


   ♪ ♪ ♪


「あ~笑った笑った! もう一生分笑ったわ!」

笑美えみ姉さん、流石に笑い過ぎじゃなかった?」

「そういう笑子しょうこだってお腹抱えて笑ってたじゃない」

「ほらほら二人とも、折角のなんだから、ケンカしないのよ」

『は~い!』


 「お別れお笑い会」が終わった夜も、松沢家の食卓には笑顔が溢れていた。

 笑太郎の妻・夏笑なつえも、長女の笑美も次女の笑子も、夫であり父である人を送ったばかりとは思えぬ、晴れやかな笑みを浮かべている。


「ほ~んと、親父のやつ、ぽっくり逝ってくれて助かったわ~」

「ね~? 介護とか絶対にやりたくなかったんもんね」


 互いのグラスにビールを注ぎながら、笑美と笑子が笑い合う。

 父親の急死を肴に酒を飲むその姿は、傍から見れば異様極まりない光景に映るだろう。だが、彼女達にとって父親の死は、祝杯をあげるのにふさわしい出来事だった。


 笑太郎は、文字通りお笑いに生涯を捧げた男だった。

 決して妥協を許さず自分に厳しい「お笑いの求道者」。それが笑太郎だった。

 そして彼は、その姿勢を自らの妻子にも強要していた。


『他人の目がある場所では常に笑顔でいろ。もちろん、オレの前でもだ』


 生前の笑太郎の口癖だ。彼は妻子に、常に笑顔でいることを強いた。

 悲しい顔や辛い顔はおろか、無表情を少しでも見せれば「辛気臭い! オレは常に笑顔を浴びてなきゃいけないんだ! 笑え!」と怒鳴りつけ、時には暴力まで振るった。


 笑太郎の常軌を逸した行いはそれだけではない。

 元々、彼が親からもらった名前は「正太郎」といった。彼はそれを「正しいことは面白くない」と宣い、戸籍レベルで「笑太郎」に変えてしまった。

 妻の名前もそうだ。夏笑の名は元々「夏英」と書いたが、笑太郎が「英という字はなんかお高く留まっていて不愉快だから変えろ」と言って、強引に変えさせたのだ。

 もちろん、娘達の名前を決める時にも、彼は強権を振るっていた。


 思えば、笑太郎が父らしい行いをしたことは一度もなかった。

 働きづめで殆ど家に寄りつかなかったし、たまに帰って来たかと思えば怒声を浴びせ暴力を振るう。

 それでいて、授業参観などには「良き父親」の顔をして欠かさず出席していたのだから、余計に笑えなかった。


 松沢笑太郎は文字通り「笑いの神様」だった。彼の与える「笑い」が、沢山の人々を救ってきたのも事実だ。

 しかしその裏で、妻子が犠牲を強いられてきたことを、人々は知らない。

 家族からして見れば、とんだ皮肉だった。皮肉過ぎて笑うしかない、最悪のブラックジョークだ。


「少しは悲しくなると、思っていたんだけどね。せいせいした! としか思えないわ」


 テーブルの片隅に飾られた笑太郎の遺影を指で小突きながら、夏笑が笑う。酷い男ではあったが長年連れ添った夫だ。少しは惜しむ気持ちが湧くと思っていたのだが、そういった感情は欠片も浮かばない。

 それどころか、これからは笑顔を強いられなくていいのだと、明るい気持ちでいっぱいだった。


「ママの言う通りだわ。――というか、『悲しい表情』なんてどうやって浮かべればいいのか、忘れちゃった!」

「あら、姉さんも? 実は私もよ。お別れ会の間も、少しは神妙な顔してやろうかと思ったんだけど、駄目ね。笑顔以外の表情を忘れちゃったみたい」

「二人もそうなの? 実は私も! これは、明日から表情を作る練習をしないとね!」

『アハハハハッ!』


 母娘三人で笑い合う。

 彼女達の笑い声は、夜中まで続いたという。


 こうして三人は、笑太郎の死によって悲しみに暮れることもなく、自分達の人生をリスタートさせた。彼女達はきっと、強く生きていくことだろう。

 笑太郎による「笑い」の強要が、彼女達に夫であり父であるかけがえのない人間の喪失という一大事を、平然と乗り越えさせる精神をもたらした――そう考えると、確かに笑太郎の「笑い」は万人を救うものだったのかもしれない。



(おしまい)



(家族は大切にしましょう)


(割と本気マジで)

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笑いの絶えない素敵な一家 澤田慎梧 @sumigoro

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