宮本さんと佐々木君

しらす

今日も平和な2年A組

「おっはよー佐々木!聞いてよねぇ、今日さ、電車で何があったと思う?」


 巌流がんりゅう高校2年A組の宮本武子みやもとたけこは、いつものようにガラッと勢いよく教室のドアを開けて、クラスメートである佐々木史郎ささきしろうの机の前に立った。

 少し茶色っぽい髪が肩まで届く宮本は、はつらつとしたかなりの美人で、いつも覇気はきに満ちた顔をしている。

 一方で佐々木の方はといえば、黒髪に黒縁眼鏡のなかなかのイケメンだ。ただしその表情はほとんど動くことが無い。


「聞いてほしいなら先に概要を述べろ、宮本」


 鞄を肩から下げたまま顔を覗き込む宮本に対して、佐々木は右手にシャーペンを持ったまま慣れた様子で彼女の顔を押しのけた。

 しかし頬がふにゃりと軽くつぶれても、宮本はまるで意に介さない笑顔のままだ。


 いつもの朝の光景である。

 2年A組のクラスメートたちにとって、この二人のやり取りは見慣れた儀式のようなものだ。

 いきなりの大きな声に、たまたまその場にいた別のクラスの女子がびっくりしてそちらを見たが、それ以外は誰一人振り向きもしなかった。


「冷たいわねー! そんなんだから佐々木はさ、ラブレターの一通ももらえないんだよ?」

「別に欲しくない。それに果たし状なら貰い飽きている」

「ラブレターと果たし状を一緒にするんじゃないわよ! 全然違うじゃない!」

「大して変わらんだろう。放課後体育館裏に来いっていう呼び出しには違いないからな」

「場所は一緒でも目的は真逆だっていうの!」


 クラスの全員が内心では宮本の言葉に首を縦に振ったが、表面上は何事もなかったかのような顔をしていた。


 鞄を片づけたり、日直の仕事をしたり、友達と喋ったり。昨日のうちに終わらなかった宿題や予習をしたり、読書をしたり、スマホを見たり。

 授業開始までの時間を、それぞれが思い思いに過ごしている。ごくありふれた朝の教室の風景だ。


 ちなみに佐々木は、知性的なイケメンとして学年を問わず女子に人気がある。

 果たし状など今時いまどき渡す奴がいるのか、と思われるだろうが、陰で彼の人気をねたむ男子も学年を問わずたくさんいるらしい。

 ただし文字通りのレター手紙ではなく、最近はメールで来るようだ。


「……はぁ、あんたと話してると論点がズレるわ」

「だったらさっさと論旨を述べろ。電車で何があった?」


 やっと相手をする気になったのか、佐々木は顔を上げて宮本と視線を合わせた。

 その態度に満足したのか、宮本は腰に手を当てて胸を反らした。


「うっふっふ……聞いて驚け!」

「何だってぇ!?」

「まだ何も言ってないじゃない!!」

「宮本が驚けって言うから驚いてやったんだろ」


 しれっと返す佐々木に、宮本は「うがー!!」と言いながら両手で頭をぐしゃぐしゃきむしった。

 綺麗にとかされた髪の毛があっという間に山姥やまんばのごとくボサボサになっていく。

 美人が台無しだが、なだめようとする者は一人もいない。


「ああもう! 何で佐々木はいつもそうなのよ! 下駄箱に果たし状突っ込むわよ!?」

「色気の無いラブレターだな」

「果・た・し・状って言ってるでしよ!! もうあんたと喋るのはごめんだわ……」

「同感だ。俺もお前とお喋りするほどひまじゃない。というか予習のノート見せてくれ」

「あーはいはい、今度は何の予習を忘れたの?」


 いきなりテンションが下がって、一瞬クラス全員の肩もかくんと下がった。

 だがやはりそれ以上の変化はない。もはや彼らにとってはこんなやり取りも日常なのだ。

 いちいち突っ込んでいたらキリがないのである。


「えーと……英語と漢文と古文と数学だ」

「予習必須の教科全部じゃないのよ!」

「そういう事だ。よろしく頼む」

「なにちょっと殊勝しゅしょうそうな顔してみてんのよ!? まったく佐々木はいつもいつも……!」

「すまんな、昨日は男からのラブレターが3件も来たもんで」

「だからそれは果たし状でしょうがっ!!」


 実はこの佐々木、知性的イケメンの顔をしているが、成績は進学校であるこの巌流高校ではちゅうだ。

 ぶっちゃけそんなに成績は良くない。そもそも勉強は苦手なタイプだ。

 眼鏡の原因は子供の頃に外で遊んでいて、畑のくいで目を突いてしまったからという、ちょっとやんちゃな武勇伝のせいである。

 そもそも肉体派なので、いくら果たし状を貰っても平然としているのだ。


「で、電車の中で例のとおる様とやらとは会えたのか?」

「分かってるならなんで話を横道に逸らすのよ!」


 通様というのは、宮本が密かに片思いしている3年生で、ついでに前生徒会長だ。

 勉強もスポーツも芸術もできる文武両道を地で行く男子生徒である。

 彼に密かに恋をしている女子は多い。宮本もその一人なのだ。


「毎日その話題だからな。期末試験の内容より簡単に予想できる」

「期末の予想を立てるな! 真面目に勉強しろ! て言うか果たし状なんて無視しなさい!」


 まったく正論である。

 だがそんな佐々木に毎日ノートを貸してやるのも宮本なのだ。

 彼女の方は成績優秀と言っていいレベルで、定期試験の後には名前が貼り出される常連である。


「すまないな宮本、俺が至らないばかりに……」

「だからその一見殊勝そうな顔をやめなさいっての!」


 キーキー言いながらも、宮本は鞄を下ろすとオーダー通りにノートを取り出した。

 それをうやうやしく受け取ると、佐々木は一心不乱に書き写し始める。

 そうなるともう佐々木が返事をしなくなるので、宮本も諦めて自分の机に戻っていく。


 教室には静けさが戻った。

 宮本は佐々木と喋るのをやめると、ぴたりと静かになって、お気に入りの恋愛小説を鞄から出して読み始めた。


 巌流高校2年A組の朝は、今日も平和である。

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