後編

 久しぶりに人と話したな。

 そう思いながら玄関の鍵を開けて中に入る。誰もいない快適な空間が何処となく寂しく感じた。

 だが、それも一瞬。

 スリッポンを脱いで台所にビニール袋を置く頃には、すっかり気にならなくなっていた。


「おかずは温めて、か」

 比較的新しい冷蔵庫の上、年季の入った電子レンジを見る。前の住人の置き土産だが、まだ十分に現役だ。白いビニール袋に手を突っ込むと、コロンと大きなラムネに当たった。

「これか、おまけ」

 懐かしい、両端が捻ってあるラムネをパーカーのポケットに入れ、他の容器を取り出す。


 四角い透明なパックが一つ。穴の空いた段ボールで固定された円柱状の大きさの異なる白黒の容器が一つずつ。

 半透明の丸い蓋に覆われて、中ははっきりと見えない。

 それから、じんわりと温かい小さな丼が並んだ。


 透明なパックを電子レンジの皿に乗せて、扉を閉める。ツマミを回すと、ジジっと鈍い音を鳴らしてターンテーブルが動き始めた。

 視線をずらし、狭い部屋を見渡した百合子の焦点が、壁に立てかけてある丸い折り畳みのテーブルに合う。

「たまにはテーブルで食べるか」


 広げたテーブルの上に段ボールに収まった容器と丼を置いただけで、満足感が湧いてきた。

 台所に向かって、流し上の網棚に置かれたままの箸と、何の模様もない味気ないグラスを手に取る。そのまま透明なグラスに蛇口の水を注いだ。


 チンッ


 電子レンジから役目を終えた音が鳴る。

 グラスと箸を持ったまま、扉を開けて容器を掴もうとするも、熱く持てない。

 仕方なく、パックの端をふっくらとした人差し指と親指でつまみ、グラスの上に器用に乗せた。


 落とさないように丸テーブルにグラスごと置くと、百合子はどっかりとフローリングに座った。

「いただきます」

 箸を持ったまま手を合わせてペコリと頭を下げる。彼女のお腹から地鳴りのような音が部屋に響いた。


 段ボールから円柱状の白い容器を外して、蓋を開ける。

 ゆらゆらと揺れる薄茶色の液体から、ふんわりと柔らかな味噌と昆布の匂いが香った。

 コクリ。

 ほのかにしょっぱい味が口いっぱいに広がり、胃がポッと温かくなる。


「味噌汁なんて、いつぶりだろう……」

 百合子の箸が味噌汁を混ぜる。じゃがいも、半透明になった玉葱、くったりとした優しい緑のキャベツ。クルクルと具が踊る。無言で、もう一口飲む。

 体がじんわりと温まる。


 そっと味噌汁を置いた彼女の手が、黒光りする円柱の容器に伸びる。蓋をゆっくりと開けると、容器一面に広がる淡いクリーム色が目に入った。緑の三つ葉がちょこんと乗っていた。


「茶碗蒸し?」

 スプーンを持って来ようと考えるよりも早く、百合子の箸が柔らかな断面を削ぎ取っていた。

 フルフルと頼りなく揺れて、今にも崩れ落ちそうな茶碗蒸しを急いで口に入れる。舌で押し潰す間も無い。幸せだけを残して、するりと消えた。


「溶けた……」


 今度は箸を沈めてみる。すると、弾力のあるものに当たった。

 摘んで引っ張ると、一口サイズよりも更に小さな鶏肉が現れる。

 鶏肉に付いた小さなクリーム色の破片ごと口に放り込むと、ジワッと濃厚に染み出した旨味に脳髄ごと支配される。


 もう一度、百合子が箸を沈める。鮮やかな赤色に白いカニ身のようなものが出て来た。

 味わってみると、カニの風味が名残惜しそうに消えていく。

「宝箱みたい」


 ある程度箸を進めたところで、彼女の手が自然と丼に伸びる。

 力を掛けると、パコッと音を立てて蓋が外れた。

 薄茶色にオレンジ色をした人参と干し椎茸が映える。炊き込みご飯だ。ゴクリと百合子の喉が鳴る。

「絶対、美味しいんだろうな」

 ほのかに香る醤油の匂い。お米がしっとりと艶めいていた。

 箸の先に乗るだけ乗せて、パクリと食べる。


 僅かなエグみと芳醇な椎茸の旨味を筆頭に、牛蒡の雑味に油揚げのコクがクルクルと口の中を巡る。噛めば噛むほど、旨味がにじみ出てくる。グニョグニョとした蒟蒻の食感も、何とも言えず楽しい。


「最後のおかずは……」

 と言いながら、百合子はグラスの上に乗せたままの容器を下ろした。

 もう、熱過ぎることはない。

 透明な蓋を開けると、白に赤が入り混じる、めでたい色合いの団子が二つ。上にパラパラとかかるのは、分葱か。トロリとした黄金色の餡がキラキラと輝いていた。


 グッと箸を斜めに入れると、何の抵抗もなくスッと切れる。

 ふわふわとしたそれは、思ったよりも弾力があり、口の中でもちもちと跳ねる。頬を動かして咀嚼すると海老と白身魚の味がした。

 舌の上で餡と混ざり、優しい塩気が加わる。

 ゴクンと飲み込めば、ほんのりと名残を残して、腹へと消えた。

「美味しい……」


 どれもこれも優しい味なのに、もっと食べたくなる。彼女のふっくらした手が握る箸の動きが止まったのは、全てが空っぽになったときだった。

 透明なグラスに口を付けて、傾けた。水がゴクゴクと食道を流れる。

「ぷはっ」


 さっぱりとした口に少しだけ寂しさを感じていると、おまけのラムネを思い出した。百合子はポケットから大きなラムネを取り出し、端をギュッと引っ張って口に放り込む。

 コロコロ、ジュワッと甘酸っぱい。


 決して多い量ではない。でも、最近では感じたことのない満足感と多幸感に満ち溢れていた。

 箸を空の容器に乗せ、手を合わせる。

「ご馳走様でした」

 久しぶりに味わった満腹感。お腹が程よく重たい。

 百合子は上気した頬を緩ませた。

「また行こう」


 了

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はなのごはん ユト (低浮上) @krymk

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