「わたるまさる」

緋雪

「わたるまさる」

 私の夫は、お笑い番組が好きじゃない。

 古典的な漫才形式のやつなら見るんだけど、所謂いわゆる一発屋とか、リアクション芸人とか、いじられ役とかの芸人さんは凄く馬鹿にしてて、その人達が出てきた途端、チャンネルを変える。私に断りもなく。


 私がお笑い好きなのは、「わたるまさる」というピン芸人さんを応援しているからだ。

 みんなに、

「何でお前、名前、二人分やねん!」

「二人分ギャラもらえるかな、と思いまして。」

「そんなわけあるかい!」

とか、

「お前、今日は相方休みか?」

などと、先輩芸人から優しくいじってもらっている。 



 実は、「わたるまさる」君は、私の中学、高校の時のクラスメイトだった。




まさる、ネタ書けたか?」

「もうちょい。ってか、お前もちょっとは考えろよ〜。」

僕らは1週間後にひかえた文化祭に向け、必死でネタを考えていた。

 中学最後の文化祭の出し物、しかもトップだ。しょぱなから客を減らすわけにはいかない。ガツンとインパクトのある漫才やって、客を呼ぶのが僕らの使命だ。


 文化祭は、部やクラスごとに展示や模擬店、お化け屋敷なんかがあって、どれも楽しそうなんだけど、目玉は、何と言っても2時から1時間半ほどのステージ発表だった。ダンスを披露するグループがいたり、ジャグリングをする奴、ギターとキーボードのセッション、落語をする奴なんかもいた。

 僕らはそのトップバッター。僕らの集客力で、ステージ発表を盛り上げねば!と一生懸命だった。

 

 僕らのコンビ名は、「わたるまさる」。相方、ツッコミ担当の神田航かんだわたると、ボケ担当の、僕、竹内優たけうちまさるの名前を並べただけの、実にシンプルなものだ。「でも名前を覚えて貰うのには効果的だろ?」と航が言うのでそれにしたのだった。

 

 航は学年トップクラスの成績を誇る優等生。だから、奴の作るネタは斬新でユニークで、見る側の心を鷲掴わしづかみにしてしまうような力がある。なのに、ネタを書くのはいつも僕の仕事。全部僕が考えてるかと言うと、実は、骨組みは航が考えていて、僕は、奴の天才的な文章に仕上がってしまっているネタを、僕の才能をフルに使って、凡才的に手直ししているだけなのだが。

 航いわく、

「優はすごいと思うよ、俺は。だって、み〜んなにわかりやすいし、平和な笑いにしてくれるじゃん。」

…褒められてるのかどうかは微妙な所だが。



「ふぅ…緊張したなぁ。」

「あはは。お前、途中でセリフ飛んだぞ。」

航が笑う。

「よーし、来年リベンジな!」

僕が拳を作ると、

「中学の敵を高校で取るのかよ!」

と、航がニヤニヤ笑う。

「うんうん…あっ…」

「俺と同じ高校入らなきゃ置いてくからな。」

「あ〜。」

航がトップクラスの成績だったのを忘れていた僕は、それから猛勉強しないといけなくなったのだった。


 航と同じ高校に入れたのは、まさに奇跡的だった。合格発表の紙の下の方に、ホチキスで番号を止められたのではないかしら?と思うくらい。



「おい、航、ネタ書けたのかよ?」

高校生になると、頭がいい奴ばっかりだから、航のネタの方がウケるようになっていた。

「うるせえな、お前も考えろよ。」

今度は、ネタの作り方が逆になっていた。僕が平凡で平和な骨組を作り、それを航が小難しい言い回しの、変に哲学的な、でも笑えてしまうという天才的なネタに翻訳するのだった。

 おかげで僕はセリフを覚えるのに難儀なんぎした。


 そんな高校生漫才師は、時々、町内会の余興なんかにも駆り出されたりもして(そういう時は、僕の平凡ネタが多かったが)、いつの間にか、学校や僕達の住む町内では、すっかり人気者になっていたのだった。

 

「竹内、お前、進路はどうするんだ?」

2年生の後期、先生から呼び出された。

「もう漫才とかやってる場合じゃないんじゃないか?お前の成績では国立大は無理だぞ?私立にするのか?」

「…。」


 考えてもいなかった。そうだ。僕達はずっと高校生ではいられないのだ。


「航、航はどうすんの?進路。」

「あー、そうだなぁ。とりあえず国立一本かな。うち金ないし。」

やっぱり大学に行くよなぁ。

「俺、これ以上は航と一緒には進めそうにないな、多分。」

「そっか…。」

「あっ、でも、高校の間はやるよ。一緒に。やらせてくれ。」

「よし、じゃあ、来年の文化祭をもって解散な!そん時は派手にやろうぜ!」

二人、約束した。



 航はその後、有名国立大に進み、僕は就職の道を選んだ。



 航との連絡は頻繁にしていたし、時々一緒に飲みに行ったりもした。学生時代に一緒にやった漫才のネタで盛り上がったりもした。やっぱ、あそこはああするべきじゃなかった?とか、あそこで噛んだら台無しじゃん!とか。二人で話すのは大抵漫才の話。僕らは本当に漫才が好きだったんだなあと今更ながら思った。



 そんなある日、航が電話に出なくなった。最初は都合が悪くて出られないのかなと思っていた。が、時間を変え、日を変えても出なかった。連絡をくれとメッセージを入れても既読がつかない。

 僕は直接、航のアパートを訪ねた。何度チャイムを鳴らしても出てくる気配がない。そもそも居るのかどうかもわからない。


 嫌な予感がして、その足で、航の実家へ向かう。


「ああ、優ちゃん、久しぶりね。」

航のお母さんが出てきて、僕の顔を見て笑ったが、どこか疲れたような顔をしていた。

「あの…航と連絡がとれないんですけど…」

僕の言葉に、うつむいてうなずく。

「航はね、今、病院なの。入院してて…。」

「えっ?どうしたんですか?事故か何か…?」

僕は焦る。嫌な予感しかしないのを、跳ね除けようとする。

「見舞いに…お見舞いに行ってもいいですか?」

必死でそう言う僕に、航のお母さんは首を静かに横に振った。

「ありがとうね、優ちゃん。でも、今は無理なの…。」

お母さんの目から涙が一粒こぼれる。


「ごめんなさい。話して貰ってもいいですか?」

僕は、航のことは勿論、お母さんの気持ちも全部聞いてあげたかった。僕なんかでよかったら、お母さんが耐えている気持ちをぶつけてほしかった。


「頑張りすぎたのね、航は…。」

航のお母さんは静かに口を開く。

「頑張っても頑張ってもできないことがあるなんて、それまでの航には考えられなかったことだから。」

具体的に何があったのかは聞けそうになかったが、僕は黙って聞いていた。

「生きてりゃ、できないことだって幾らでもあるのにね。あの子、死のうとしたの。」

「えっ?!」

大きな衝撃を受けた。

「その前から眠れなくて、病院にかかってたんだけど、そこで出してもらってる薬を、一気に全部飲んでね。」

言葉が出なかった。

「あ、大丈夫よ。命に別条はなかったの。ちゃんと意識も回復して。」

お母さんは笑う。溢れる涙を堪えるように。

「でもね、航は、病室に閉じこもってしまって、誰とも話さなくなったの。誰の面会も拒絶して。私が行く時だけは、少し落ち着いていて、短い会話は交わすんだけどね。」


 家に帰っても、航のお母さんが話してくれたことが頭から離れなかった。

「僕が航をなんとかしてやろうなんて、そんなことできるわけないじゃないか。」

涙がポロポロこぼれた。


 2ヶ月後、僕は会社を辞めた。


 お笑いの養成所に入って、芸人を目指した。芸名は「わたるまさる」。学生の時のままだ。最初のうち、僕は全然売れなかった。芸人さんって、こんなに大変な思いをしてのし上がって行くんだ。と、厳しさを身にしみて感じた。


 「これを、航に見せてくれませんか?」


 僕は、航のお母さんに、ネタの原稿を渡した。短い手紙と共に。

「芸人になったんだ。でも、ネタがイマイチみたいなんだよね。見てくれよ。」

 何度も何度も持って行って、渡してくれるよう頼んだ。



そうして、半年が過ぎた頃のことだった。


「昨日ね、優ちゃんの原稿、見てたみたい。」

航のお母さんは、ニコニコしてそう言った。

「よっしゃ!!」

僕は叫んだ。

 何かの賞を取るより嬉しかった。取ったこともないのに。


 しばらくして、航のお母さんから手渡された原稿には、赤ペンで沢山の書き込みがあった。

 涙が出た。お母さんと一緒に泣いた。


 それから、僕の人気は急上昇した。いじられキャラとしてだけでなく、ピン芸人としてローカルの番組や演芸場、全国ネットの番組でも、ネタをやらせてもらえるようになった。ギャラは勿論、航と折半だ。


「最近ね、航、テレビ観て笑うようになったんですって。」

お母さんが嬉しそうに言う。



航、航、頑張らなくていい。半分だけでいい。あと半分は僕に頑張らせてくれ。な?




「お。こいつ、普通にネタやることもあるんだな。」

夫がビールを片手にソファに座った。私は、チャンネルを変えられてなるものかと、リモコンを私の後ろに隠す。

「あははは。面白いな、こいつ。」

お?なんかいい感触だぞ?

「発想がいいな。なかなか哲学的なことを言ってるんだけどわかりやすい。」

分析を始めてしまった。


ネタが終わって、夫は、ビールを一口飲むと、


「休んでるみたいだけど、相方も凄いやつなんだろうな。」


そう言った。

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「わたるまさる」 緋雪 @hiyuki0714

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