緑が響く、その場所で

枡本 実樹

緑が響く場所

綺麗―――。

他に、言葉が出ない。


わたしは今、生まれて初めての長野県の旅を楽しんでいる。

「来てよかった。」

思わずこぼれてしまった一言に、独り言云っちゃった。と、我に返って笑みがこぼれる。


お母さんもここに来たのかな。

それとも、来れなかったのかな。

だとしたら。

『お母さん、見えてる?ココ、本当にきれいだよ。』

晴天の眩しい空に向かって、わたしはお母さんに届けば・・・と思った。



二年前。

わたしは、ひとりぼっちになった。

こんなにも、突然なんだ。

そう思った。

あまりのショックに、何も考えられなかった。

母が、交通事故で突然逝ってしまった。

病院からの連絡。駆け付けた時は、もう話せなかった。

手を握って、一瞬握り返してくれた気がした。

そのまま、電子音が最期を告げた。


春休みに旅行しようね。と話していた。

母との旅行は、前々からスケジュールを練って、というものではなく。

ざっくりとこの辺に行きたいね。というところに、数日前に飛行機か電車かバスか、どれか空いてる便に予約をとって、ふらりとした感じで出掛けていた。

若い頃は一人旅が好きだった。と話す母は、その突然思い立っての旅にとても慣れていた。

わたしはそんな旅が好きだった。

大好きな母となら、どこだって楽しかったのだ。

何もないような田舎でも、母とのおしゃべりや、一緒に食べる御飯が、どれも楽しい時間に変えていたのだと思う。

どこに行く?何食べる?そう訊くわたしに

「直感よ、直感。思い立ったとこに行って、思い立ったことすればいいの。」

母はいつも笑顔でそう答えていた。

自分の感覚を信じて、自分らしく生きるのよ。後悔しないように。って。

いつも笑ってる人だったな・・・。


高校を卒業して、四月からは電車で三駅先の会社で働くことになっていた。

これから少しずつ、恩返しするからね。って思ってたのに。

何もしてあげられなかった。


九州の端っこの小さな町に、わたしは母と二人で暮らしていた。

父の記憶はない。

母は一人っ子で、両親はわたしが生まれる前に他界していたらしく、祖父母もいなかった。

だから、母はわたしにとっての唯一の家族だった。

母は、わたしにとって母であり、姉であり、親友だった。


バリバリのキャリアウーマンだった母は、わたしにとって憧れの人だった。

家にまで仕事持ち込んでごめん。なんて、夜中まで資料を作ったりしてたこともあったけど。そんな後ろ姿も、なんかカッコよかった。

休日はいつも遊びに連れて行ってくれたり、お弁当は毎日手作りしてくれてた。

美人で優しい人だった。

彼氏でも作ればいいのに。そう言うわたしに

「わたしには六花りっかがいるからいいの。」

そう言って笑ってた。

でも、どこか悲しげだった―――気がする。


母がいなくなって、どうしたらいいのか解らないわたしに、寄り添って、一通りの手続きなんかを手伝ってくれた人がいる。

母の親友のナツメさん。独身で美人。

母とは違うタイプの美人。背の高いモデルさんみたいな人で、ドラマに出てくるバリバリのキャリアウーマンがそのまま画面から出てきたみたいな人。

わたしが幼い頃からよく泊りにきたりもしてたので、親戚もいないわたしにとって、唯一信頼できる人だった。

ふさぎこむわたしに寄り添ってくれた。


一年目までは、本当に色々あった。

初めての就職先では、傷付くこともたくさんあった。

そんなときもナツメさんは相談にのってくれた。

お母さんなら、きっとこう言うんじゃない?って。

本当にお母さんが言っているような表情が思い浮かんでくる言葉ばかりだった。

好きなことをしないといけない―――。

それからわたしは、好きなこと探しをした。

そして、一年後に上京すると目標を定め、新しい生活に向けての準備をして、先日、退職した。


週末のディナー。ナツメさんが、母と三人でよく行っていた、小さな個室のある和食レストランの予約をとってくれていた。

以前は、思い出の場所を見ると悲しくて、足を踏み入れることなんて無理だった。

でも、いまは懐かしくて、その場所も、その味も、思い出が愛しかった。

上京して、バイトをしながら専門学校に通うこと。住む場所は専門学校にも比較的近いシェアハウスに決まったことを報告した。

ナツメさんは、大きな一歩になりそうだね。とニコニコしながら聞いてくれた。

そして、あるものを手渡された。

「もう、大丈夫そうだね。家に帰ったら開けなさいね。」

紙袋の中には、ラッピングされた包みと、ノートサイズの箱が入っていた。


家に帰って、中身を見てみる。

ラッピングされた方は、ナツメさんからのプレゼントだった。

素敵なフォトフレームと、わたしの名前が入った万年筆だった。

一緒に入っていた手紙にはこう書かれていた。

六花りっかちゃんの新しい生活が素敵な日々で溢れていますように。

箱の中身は、二年前にお部屋の整理を手伝ったときにね、今じゃないなと思って、勝手に預かっていたの。ごめんなさい。

でも、こんなに早く渡せる日が来るとは思ってなかった。あなたの行動力、さすが親子だね。新しい一歩を応援しています。

でも、もし辛くなったら、いつでも帰ってきなさいよ。

また、いつでも連絡ください。待ってます。』

ありがとう、ナツメさん。


箱の中身は、浅葱色のカバーがついた古い手帳だった。

開いてみると、わたしが生まれた年から一歳になるまでの年のスケジュール帳で、予防接種の予約やら、買い物のメモやらがほとんどで、よほど忙しかったのか、日記っぽいものはほんの少し書かれている程度だった。

ハラリ。何かがこぼれ落ちる。

ポストカード?写真?

一枚はポストカードだった。

森の中を白い馬がゆったりと歩いている絵。

中学生の頃、美術の教科書に載っていて、あまりの美しさに心惹かれたのを憶えている。

もう一枚は写真。

そこには、わたしが二人いた。

写真館で撮ったのだろう、Happy Birthdayの背景の前にフリフリのドレスを着たわたしが二人座っていた。

どう・・いう・・こと?

写真の後ろには【六花・風花 一歳 おめでとう。】と母の文字で書かれている。

風花?

手帳に何か書かれていないかと捲ってみるも、風花に関する情報はなかった。


その日から、母の遺品を調べてみたり、ナツメさんに訊いてみたりしたけれど、あまり詳しいことはわからなかった。

母がナツメさんと出会ったのは、こっちに住んでからで、いつかお酒を二人で飲んでた時に、母が一度だけぽろっとこぼした『もう一人子供がいたんだけど、なくしてしまった。ごめんね。』と哀しそうに、苦しそうに話して泣いていたこと、深くは訊けなかったと教えてくれた。


わたしには双子の姉妹がいて、亡くなってしまって、離婚したのだろうか。

遺影の母は、優しく微笑んでいて、当たり前だけど、答えなんかくれなかった。


そうこうしているうちに、上京する日が近付いてきていた。

あれから色々調べているうちに、ポストカードの風景が気になって、上京前に少しだけ旅に出ようと思った。

こんな気分の時、母なら行くよね。そう思ったからだ。

そして、信州・八ヶ岳の御射鹿池みしゃかいけに行くことにした。

自分の直感を信じて動きなさい―――。

そう言われてる気がしたのだ。



そして、今、この場所に来て、ボーッと過ごしている。

本当に綺麗な場所。

東山魁夷はどんな気持ちであの絵を描いたのだろう。

鏡に映ったような景色。

ん。

鏡に映る・・・。

映るはずもないのに、目の前にわたしがいた。

目の前のわたしもビックリしている。


「こんにちは。綺麗な場所ですね。」

鏡のわたしが話しかけてくる。

ハッとした。

鏡でも夢でもない。

でも、咄嗟に言葉がでない。

「よくいらっしゃるんですか?わたし初めて来たんですけど、いいとこですね。」

相手は気にすることなく、にっこり笑ってまた話しかけてくる。

「わたしも、初めて来ました。突然思い立って。」

そうなんとか答えると。

「そうなんですね。わたし先日、亡くなった父の遺品を整理してる時に、手帳に挟まってたポストカードの絵が気になってしまって。東山魁夷の絵画の場所ですよね?」

初めて会ったのに、まるで昔からの友達みたいに、自然と話す彼女にビックリしながらも、わたしもなんだか自然と話し始めていた。


それから、わたしたちは日が暮れるまで話し込んでしまった。

好きな食べ物。好きな音楽。家庭環境。

日本の端と端に住んでること以外、わたしたちはとっても似ていた。

不思議ですね、と笑い合って、すごく居心地のいい時間を過ごした。

彼女は北海道の端っこに住んでいて、今春から上京するらしい。

お互い、知り合いのいない中で上京することが分かり、

じゃあ、また会いたいですね、と連絡先を交換することにした。


スマホに彼女の名前を入れる時。

風花かざはなと書いて、“ ふうか ”と読みます。」

指が止まる。

「わたしは、数字の六に花で、“ りっか ”と読みます。」

彼女の指も止まって、わたしたちは顔を見合わせた。


いつのまにか、涙が頬を伝っていて。

鏡の中のわたしも同じだった。


お母さん、わたし、ひとりぼっちじゃないかも。


自分の感覚を信じて、自分らしく生きるのよ。後悔しないように―――。


ありがとう。空に向かって、そう呟いた。

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緑が響く、その場所で 枡本 実樹 @masumoto_miki

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