いつかこの物語を書き終える日まで

宵埜白猫

もし運命なんてものがあるのなら……

『お疲れ様』


 バイト終わりに開いたスマホの画面に、可愛らしいスタンプが表示される。

 一年間欠かすことなく続けてきた、彼女との日課だ。

 僕も愛用の猫スタンプで挨拶を返して、短い会話が始まる。

 3月も中旬に差し掛かりコートが暑いだとか、それでもやっぱりまだ寒いだとか、そういう他愛ない会話が愛しくてたまらない。


『そういえば和希かずきくんももうすぐ社会人だね』

『ここまで長かったよ……』


 さきさんの言葉に様々な記憶が頭をよぎった。


 彼女と出会ったのは2年ほど前のことだ。

 まだ大学3回生だった時に、友人に連れられて行った彼の兄の結婚式で出会った。

 彼は「結婚式なんて一人で行くには恥ずかしい」と言っていたが、今思うと祖母の死で気力を無くしていた僕に気を遣ってくれていたのかもしれない。

 そうして新婦の友人として出席していた咲さんの声に、僕は不思議と惹かれたのだ。

 その日から毎日言葉を交わして、久しぶりに会うことになった昨年の2月、僕はついに彼女に胸の内を明かした。

 デートと言って良いのかどうか、ショッピングモールを彼女とただ歩き回った一日の終わりに。


「咲さんが好きです。僕と付き合ってください」


 ロマンチックの欠片もない、ありふれた告白。

 何十年も前から使い古された言葉が口を突いたとき、僕は内心驚いていた。

 7つも離れている上に、留年が確定している僕がこんな事を言っても彼女を困らせるだけだからと、せめて卒業が確定するまでは言わないつもりだったのだ。

 けれど、きっと彼女はこんな馬鹿げた告白を断ってくれるだろう。

 いつも子ども扱いしてくる僕のことなんて、きっとなんとも――


「……はい」


 雑踏の喧騒に、なぜその声がかき消されなかったのか不思議なくらい、小さな声だった。

 しかし、その声を聞いた瞬間、僕は胸の奥が静かに熱を持つのを感じた。

 彼女の顔を見ると、耳まで紅くなっているのが分かる。


 あぁ、これは駄目だ。

 そう思った次の瞬間には、咲さんは僕の腕の中にいた。


「和希くん?」


 戸惑う彼女に、僕はなんて言ったんだっけ――


『和希くん私に告白した時にハグしながら「絶対幸せにします!」とか言うから一瞬プロポーズされたのかと思ったよ(笑)』


 思考を繋ぐかのように送られてきた咲さんからのメッセージに、僕は顔が熱くなる。

 まだ電車の中であることを思い出して、深呼吸を一つ。


『プロポーズはもっといろいろ落ち着いてからちゃんとします』


 もうほぼしてしまってるのでは? と思わなくもないが、やられっぱなしも性に合わないので躊躇わずに送信する。

 すると数秒の間を置いてあたふたしているウサギのスタンプが送られてきた。

 普段はしっかりしようと頑張ってるのに、こういう初心なところもあってほんとに可愛らしい。


『なんで君はそういうことをサラッと言えちゃうかなぁ』


 照れ隠しのような文体に頬を緩めながら、


『一生分のこういう言葉は、全部咲さんに言うって決めてるので』


 そんな本心を、少しだけ冗談めかして返してみる。

 実際、彼女に出会えていなかったら、付き合っていなかったら、僕はちゃんと卒業が確定していたかも怪しい。

 就活だったり卒論だったり、そういう心が折れそうな場面で頭に浮かんだのは、いつも咲さんと笑っている幸せな青写真だったからだ。

 まあこんなことは本人には恥ずかしくてとても言えやしないけど……。


『ふふ、なあにそれ?』

『咲さんを初めて好きだって自覚した時に、この恋が僕の人生を大きく変えるような、そんな予感がしたんです。もし運命なんてものがあるなら、それはきっとこういうのの事を言うんだろうなって。……だから』


 僕の人生という長い物語を、いつか書き終えるその日まで。


『愛してます、咲さん』


 もう何度も二人の間で交わされた言葉。

 けれどいつも特別な響きを持つその言葉を。


『うん。私も愛してるよ、和希くん』


 いつか、二人の物語を描けるように、伝え続けよう。

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