特別になれない私とあなた

砂鳥はと子

特別になれない私とあなた

 仕事が終わると、いつもは真っ直ぐに帰る。特に金曜日の夜は早く帰って、ビール片手に映画でも見てごろごろするのが習慣になっていた。


 だけどその日何故か電車を降りて、吸い寄せられるように駅ビルに入っていた。


 何でかって聞かれても分からない。ただ何となくそうしたかった。そうしないといけないような気がした。


 第六感とでも言おうか。理屈ではない。


 直感とかインスピレーションとか。そんな曖昧なもの。


 私は地下の食品売り場に入った。


 週末だというのに私みたいに寄り道する人が多いのか、けっこう人で賑わっていた。


 数ヶ月ぶりに来たけれど、気になりつつも利用することがなかったお店がいくつかなくなっている。その代わりにまるで前からあったかのように新しい店が入っている。


 何となく私はある人の顔を思い浮かべた。


 美夏みなつさん。


 私の前の職場の先輩だった人。


 入社してすぐに私に仕事を教えてくれた人だった。


 笑顔がとても明るくて、見ているだけで心に花が咲くような、そんな素敵な笑顔の人だった。


 長らく一緒に働いていたけれど、私が営業課に異動になって離れてしまった。


 私がいなくなることで、美夏さんは少しは寂しいと思ってくれただろうか。戻って来てほしいと願うことはあっただろうか。


 異動後はそんなことばかり考えていた。


 毎日毎日あの人の顔や声や仕草を思い出して、会えない寂しいばかりが募った。


 私は美夏さんが間違いなく好きだった。


 でも異動後に美夏さんから連絡はなかったし、たまたま前の部署すみかに行ってみれば、彼女は新しくできた後輩と親しそうにしていた。


 それがショックだったのと、営業の仕事が合わなくて、転職したのが去年の春。


 私は美夏さんには何も伝えずに退職した。どうせ私が会社に存在してもしなくても、彼女の眼中にはないのだから。


 私は美夏さんからしたら、ただの後輩。いつでも替えのきくパーツにすぎない。


 目の前の新しいお店が前はどんなだったか、はっきり思い出せるかといえば、記憶はおぼろげ。確かクッキーを売ってたような気がする。でもよく見回せば、近くにクッキーを売ってるお店がある。このお店も前からあったっけ。


 記憶を探ってみても不鮮明な画像しか浮かばない。


 ここに並ぶお店もパーツにすぎない。


 お客から必要とされなければ消えて忘れられてゆく。


 あの人にとっての私と同じく。


 せっかくデパ地下に来たのに感傷的になってしまった。


 私はふらふらとフロア内をさまよって、プリンの並ぶお店で立ち止まった。


 濃い深緑の抹茶プリンに目を奪われる。


 美味しそうだ。今日のデザートにしよう。


 私はそのプリンを二つ買って、会計を終えて去ろうとした。


 その時にすぐ後ろに人がいることに気づかずにぶつかってしまった。


「ごめんなさい」


 とっさに謝って顔を上げたが、私の体がぴたりと止まる。だってそこには⋯⋯。


「美夏さん」


 私がずっと好きだった人がいたから。


「あれ、冬乃ふゆのちゃん! 冬乃ちゃんだよね!?」


 以前と変わらない向日葵みたいな笑顔を私に向けてくれる。眩しくて直視できない、あの笑顔で。


 私の第六感はこのことを予期していたのかもしれない。


 まったく、働かなくてもいい感を働かせるなんて、私の体は随分と空気を読んでくれないものだ。


「美夏さん、お久しぶりです」


「本当だよ。久しぶり。もう一年くらい会ってなかったよね。冬乃ちゃんがうち辞めたって、聞いてさ。ずっと気になってたんだよ。元気にしてるかなって」


「そうなんですか。挨拶もせずに退職してしまって、すみません。お世話になってたのに。転職のことで慌ただしくしていたものですから」 


 私の口は思ってもないことがあらかじめセットされていたかのように、すらすらと出てくる。


 挨拶しにいかなかったのはもう美夏さんに会いたくなかったからだし、二度と会うつもりもなかったからだ。


「どう、今の会社でも上手くいってる?」


「ええ、おかげさまで」


 あなたがいないから、胸が苦しくなることも、恋しい気持ちに苛まされることもなくなったから、と言いたいの我慢した。


「冬乃ちゃんがいなくて、ずっと寂しかったんだよ。黙っていなくなっちゃうなんて、あんまりだよ」


「それは、すみません。でも美夏さんは私のことなんて、異動した時に忘れてしまったのかと」


「ええ!? そんなことないよ。私そこまで忘れっぽくないけどなー」


 美夏さんは楽しげに笑う。


 私は何とか作った嘘くさい笑顔を顔に張り付かせていた。


「美夏さん、お忙しそうでしたし。それに私より新しい後輩の方が馬が合ったんじゃないですか?」


 気づけば嫌味を言っていた。


 彼女にとっては何でもない言葉だけれど。


「冬乃ちゃん、すっごく優秀だったから、しばらく忘れられなかったけどね」


 私たちは思ってもみないことをペラペラと喋っていた。


(本当に忘れられなかったなら、どうして連絡くれなかったんですか?)


 喉から出かかった言葉を飲み込む。


「あっ、美夏さん、ごめんなさい。私これから用があるので」


 もうこの人と話していたくなかった。


 私の虚しい届かない片想いだったことを、早くどこかに捨ててしまいたくて。


「引き止めちゃってごめんね。あのさ、後で連絡してもいい?」


「連絡ですか? いいですけど」


 今更何を話すことがあるのだろう。


 私の胸は虚しさであふれかえる。

 

 



 それから家に帰って、私はただそわそわしていた。抹茶プリンの味もよく分からない。せっかくいい値段のものを買ったのに、もったいないことをした。


 私は映画もビールも忘れて、スマホをじっと見ていた。あの人からの連絡を待ちわびて。


 結局その日は何も連絡はなくて、健気に待ってしまった自分の馬鹿さ加減に呆れて眠った。


 あの人はいつもそうだ。


 同じ部署で仕事をしていた時も、電話すると言って忘れてたり。


 大事な仕事の用事でなければすぐすっぽかしてしまう。そういう人だったし、私はその程度の存在でしかなかった。


 その後も美夏さんから連絡はないまま、夏になった。


 ラインの通知が鳴った時に、私は反射的に嫌な予感でいっぱいだった。


 何だか見ては行けないものを突きつけられているようで。


 恐る恐る開いて見たラインには、『結婚することになりました』の文字が並んでいた。


(ほらやっぱり、嫌な予感が当たった)


 あの人は最後まで私のことはただの後輩でしかなかった。


 知っていた。分かっていた。


 だからもう悲しい気持ちも辛い気持ちも湧いては来ない。そんなものはない。何も。


 ただあの人が結婚するという事実だけが残った。


『ご結婚おめでとうございます』


 心にもない言葉をつづる。


 今度こそ本当にさようなら、私の大好きだった人。


 画面が涙で滲んでいた。                  

 

  

 

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