2.壊れる理性と相容れぬ世代

 私はメインストリートを商業街に向かって進んだ。

 ――何度見ても、センスが古いわね。


 見えている風景は、90も近い私が十代前半に憧れた都会のネオンだった。ギラギラ光る看板の元を、ボディコンの女とDCブランドの男。

「みんなみんな、いい歳して憧れていたのね」

 私は軽く肩をそびやかした。それはそうだ、メタバースに登録しても、アバターをカスタマイズできるお金があるのは高齢者だけだ。この商業街のデザインにしても、明らかに高齢者受けを狙っている。日本がバブルに踊っていた、狂乱の時代。私たちが大人になる直前に、はじけて消えた眩しい時代だ。

 とはいえディスコの隣にホストクラブがあったり、パンケーキ屋の向いにメイド喫茶があったりと、時代設定がぶれぶれなのだが。


 まあ、楽しんでいただければ良いのだ。

 メタバースの初期背景は、つるつるのポリゴンとSFチックなガラス張りの舞台だった。あの頃の方が新時代への夢があった気がするが、今のメインユーザーは懐古主義である。デザインなんて、望まれるように作ればいい。


 ふと、私の口が笑みで歪んだ。

 お客を優先するなんて、私も大人になったものだ。

 周りの誰よりも歳をとっても、精神は20代の青二才のつもりなのに。


 その時、向こうの角から女性の悲鳴が聞こえた。私が急いで駆け寄ると、白い初期アバターの女性が紺のブレザー姿の男に押し倒されている。

「いやっ、やめてください!」

「いい反応だなあ、俺たちの時代には『いやよいやよもスキのうち』って言葉があってなあ!」

 私は反射的に飛び出して、その男の頭を思いっきり蹴り飛ばした。

「だ!?」

 男は、痛覚は共有していないようだ。何が起こったか分からぬ様子で、地面を転がりながら手で探っている。

「あ、ありがとうございます」

「いいから。逃げて」

 私が短く促すと、女性はしっかりした足取りで去っていった。彼女は若いようだ、実に自然な動きで大通りを疾走している。

 男の方は、やっと半身を起こせたらしい。足を投げたした格好で座ったまま、こちらに向かって目を剥いた。

「なんじゃワレぇ、年寄りに向かってなにしくさっとんねん! ちゅうか、なんじゃあその恰好は!?」

 ガラの悪い関西弁だ。彼の素はこちらか。

 黙っていると、男は立ち上がろうとしながらも罵り続けた。

「ああなるほど金がないんか? そうか若くて優待がないんか。かー!悲しいのう、若いもんは金がないけえ悲しいのう!この世界じゃあ色気も金じゃけえのう!若いもんはほんとみすぼらしゅうて、見苦しいわい!ああ、年寄りはええのう!おかげで一生モテモテじゃわい!」

 私は死語満載のセリフを聞き流しつつ、意識をクラウドにつないで彼のアカウントをたどり、登録された個人情報を覗く。

 ――70歳?うそでしょ?

 アカウント登録から1年以上経っている目の前の男性は、コントロールを失った影響下からまだ抜け出せていない。立ち上がるために何度も地面を確認し、脚を伸ばしすぎてはよろけ、果ては独り立ちを諦め壁に這いよってつかまり立ちに挑んでいる。まるで生まれて1年にも満たぬ赤子だ。

 ――これはマズいのでは。

 私は、亡くなった祖父を思い出していた。私と同じ歳で倒れた祖父は、日課だった水泳をやめたとたん衰え始めた。あっという間に寝たきりになり、1年の後に死亡した。


 ゲートを出た時に出会った男性。そして目の前の男。

 一日でどれだけの時間をこの空間に費やしているか知らないが、ここにいることで衰えの勢いは加速している。

 それに女性を襲った性衝動や、さっきの私への暴言も気になる。脳の認知能力が低下していたとしたら、理性での抑止は難しくなるのだ。


 男はやっと立ち上がった。そして私を見て、――こう言った。

「あ、えーと? どなた、ですか?」

 私は虚を突かれたが、直ぐに理解した。やはり脳が衰えている。

「Hey guy, are you OK?」

 私は『日本のメタバースを見学に来た外国人』のふりをして、簡単な英語を振ってみた。男は面食らった様子で首を振り、「ノーセンキュー!ノーセンキュー!」と繰り返す。

 私は微笑み手を振って、ブーツの先を商業街の向こうに向けた。


 ――外観、システムにバグはなし。

 ――ただし利用者に健康被害と認知障害が疑われる。現実に犯罪が持ち出される前に、メタバース内の監視の徹底、および利用者のアクセス時間の監視や長時間利用にたいする勧告を提言する。

 ――さっき男性のアカウントは、健康上の問題により即時凍結。セラピストおよび病院を紹介すること。

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Enlightenment~覚醒者 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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