いる
姫路 りしゅう
第1話
夜中にふと目が覚めることがあるだろう。
なぜかそのまま、妙に寝付けなくてさ。
普段は意識していない秒針の音とか、冷蔵庫のぶうん、って音がやけに気になりはじめたらもうおしまいだ。
その次に感じるのは、異物感。
まるで部屋の中に誰かがいるかのような感覚。
鍵は締めたか? 窓は開いていないか?
記憶を手繰り寄せて、セキュリティに想いを巡らせるだろう。
そしてその間、目は決して開かない。開くことができない。
そりゃあそうだよな。
だって、部屋に何かが“いる”気がするもんな。
万が一そいつの姿を見てしまった時、ましてや目が合ってしまった時には、いったいどうなってしまうかわからない。
そんな思考に、頭を支配されるんだろう。
でもな、その思考は間違っちゃいないんだ。
部屋に何かが“いる”気がする時。
そういう時って、“いる”んだぜ。
よかったな、目を開けなくて。
**
「岩崎に相談した俺が馬鹿だったわ」
「だぁあ、待て待て、悪かった。変にビビらせるようなこと言って悪かったよ!」
タツキは岩崎の小話に気を悪くして、飲みかけのコーヒーを置いた。
普段の彼ならこんな話は笑い飛ばしていただろう。怖い話やホラー映画はむしろ好きな部類だった。
しかしタツキが好きなのはあくまで、視聴者という絶対安全圏から眺める怪奇現象である。
自分が当事者になったときのことなんて想像もしていなかったし、外から眺めるのと実際に体験するのでは全く怖さのレベルが違うということすら知らなかった。
言ってしまえばタツキは、岩崎が揶揄したようにビビっていたのだ。
「タツキが本気で相談しに来たことがよくわかった。わかったからもう少しだけ座っていけ」
岩崎は右掌をタツキの方へと向けて「まあまあ」と宥めた。
そこまで言われたら仕方ない、と思ったタツキは喫茶店のメニューを広げて「ここはお前持ちでいいんだよな」と言った。
「どちらかというと普通相談者が全額払うだろ……まあいい。じゃあもう一回悩みを整理しようか」
岩崎は姿勢を正して、人差し指を一本立てた。
「夜中、部屋の中から誰かの気配がする。簡単に言うとこういうことだな?」
タツキは頷いた。
**
はじまりは数日前。夜中にふと目が覚めた彼は、部屋の中に人の気配を感じた。
しかし、ドアの鍵を閉めた記憶はあったので気のせいだろうと思い、念のためうつ伏せの姿勢のまま耳を澄ませた。
何も聞こえない。
しかし、人の気配だけはくっきりと感じられる。
異臭がするわけでもなければ、もちろん何かに触れられているわけでもない。
それでも。
ナニカガイル。
それだけははっきりと分かった。
恐ろしくなったタツキは掛け布団を被り、目を閉じたまま何かに祈る。
もちろん眠れない。
数分、あるいは数時間が経ち、タツキは意を決して勢いよく掛け布団を投げ捨てた。
ワンルームの部屋は窓から差し込む街灯と月あかりでほんのり様子がうかがえる。
果たしてそこには……何もいなかった。
「……ふぅ」
気のせいだったことに一安心したタツキは、そのまま目を閉じ、いつの間にか眠りに落ちていた。
**
「って言うのが初日の話か」
岩崎が相槌を打つ。
「ああ。それだけだったら別にとある不思議な夜、ってことでよかったんだが……」
「翌日も、翌々日も全く同じ感じで夜中に起こされている、と」
岩崎の言う通り、タツキはここ数日間毎晩同じ現象に見舞われていた。
そのせいか、彼の顔は少しだけやつれている。岩崎の小話にイライラしてしまった原因の一つはシンプルに寝不足だろう。
「で、俺に相談しに来たってことね」
岩崎は同じ学科の男子生徒で、都市伝説やオカルトを愛している変人だ。
そして、オカルトを好むあまり民俗学や宗教学についても精通してしまった知識人でもある。
その変人っぷりは学内でも有名で、彼が創立した超常現象研究会というサークルには定期的に不思議な依頼が舞い込んでくるそうで。
依頼人が後を絶たないということは、きっちり解決しているということ。
そう思ったタツキは、胡散臭いと思いつつも相談することに決めたのだった。
岩崎は言葉を続ける。
「五感、ってあるだろ」
「おかん、あかん! みたいなやつだろ」
「言葉を口に出したときの雰囲気の話じゃなくて。触覚、味覚……あとなんだっけ」
「そのマイナーな二つから消費する奴おらんのよ。山手線ゲームでどうしても息子に勝たせたいお父さんか?」
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。これらはまとめて人間の五感と呼ばれている。
「でも、人間にはもう一つの感覚があるって言われている。それが、第六感」
「シックスセンスってやつか」
岩崎は頷く。
有名な映画や音楽アルバムのタイトルにも使われるほどの言葉なので、タツキにも耳馴染みがあった。
「第六感は、五感以外の感覚の総称だから本当に多岐にわたっていてさ。まずは直感。これはきっと無意識のうちに処理している経験則。あとは虫の知らせとか。これは……マーフィーの法則の一個だと俺は思っている」
独自の論を展開していく岩崎に気圧されながらも話の内容をかみ砕いていく。
「で、今回俺が提言したいのが、霊感だ」
「……」
霊感。
幽霊を感知できる感覚。
「幽霊が本当にいるのかなんてのは知らん。でも、この世ならざるもの、人間の五感には映らないもの、というのはいてもおかしくない。タツキはそれを感知する能力が優れていて、そして本当に毎晩、何かがいるんだよ」
岩崎は囁くように言った。
「だから、俺が最初にした話はジョークでも何でもなくて。お前の部屋には本当に何かがいる可能性がある」
「そんな……それっていったいどうすればいいんだよ」
縋るような声色で尋ねると、岩崎はあっけらかんとした表情で回答を示した。
「そいつは何もしてこないんだろ。だったらたぶん、何もしないのが正解だろ」
「……でも」
「タツキの言いたいことはわかる。何かが起きてからじゃ遅いって言うんだろ。でもなあ」
岩崎は気だるそうに頭を掻いた。
「なんか知り合いの除霊師とかいないのか。紹介してくれよ」
「俺のことなんだと思ってるんだよ。いるけど」
いるのかよ、とタツキはつっこむ。
岩崎は少しだけ考えこんで、ポン、と手を叩いた。
「オッケー。じゃあこうしよう」
コーヒーを口に含む。
「除霊師……というか怪異祓いの専門家を呼んで、部屋を見てもらう。んでその何かが祓える類のものだったら祓おう」
そうしよう。タツキは頷いた。
「ただ、祓わなくていいもの……というか現状は無害だけど干渉することで有害になる場合、祓えない」
そういう可能性があるのか、とタツキは驚いた。
「そうなったらどうすればいいんだ」
「祓うのは諦めて共存するしかない」
「……」
「でもそしたらタツキは寝不足のままだ」
「それは避けたい」
「簡単さ。物を見たくないときは目をつぶればいい。聞きたくないときは耳を塞げばいい。それと同じで、霊感も閉じる方法があるはずだ。部屋には何かがいるかもしれないけど無害で、お前も知覚ができない。これでどうだ?」
そこにいるけど、感じられない。
危害も加えられない。
それはそれでなんだか怖かったが、確かに他に回答がないように思えた。
「わかった、そうしよう。そうしてくれ」
**
岩崎の行動は早く、その日の夜にはもう怪異祓いの専門家が家にやってきた。
挨拶もそこそこに、さっそく部屋を見てもらう。
「うーん、いないよ」
「……え?」
「だから、この部屋にそういう怪異の類はいない」
岩崎の呼んだ若い怪異祓いの女性は、部屋をぐるりと見てそう結論付けた。
そんなはずはない、と思ったタツキは丁寧な口調で反論する。
「……でも、確かに夜中人の気配で起きるんです」
「うーん、もう一つ教えてあげるね。君、霊感ない側の人間だよ」
「え? ……いや、でも」
タツキは困惑した。
この部屋には何もいないのだという。
そして彼には霊感が備わっていないという。
だったら。
「だったら夜中の人の気配は、気のせいだって言うんですか?」
そう言うと女性はゆっくりと首を振った。
「自分で言ってるじゃん、人の気配がするって」
「……」
「それが答えなんじゃないかな」
「……」
「家のカギ、変えたほうがいいかもね」
いる 姫路 りしゅう @uselesstimegs
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