耳かき姫

詠野万知子

耳かき姫

 ある王国に生まれた姫の誕生パーティでのこと。

 仲間外れにされた魔女は、不吉な予言を贈りました。


「姫は十六の誕生日を迎える。

 その日、耳かきで耳を刺されて死ぬだろう」


 気の毒に思った妖精が、魔女の予言を祝福で塗り替えました。


「死ぬのではなく、百年眠るだけ」


 その日から、王は国中の耳かきを燃やすように命じます。


 数日間、街のいたるところから耳かきを焼く煙が見え、それは痛ましい光景でした。

 そして国から耳かきという道具は消え失せたのです。


 それから十六年経ったある日のこと。

 姫は無事すくすく育ち、好奇心旺盛で元気な娘に成長していました。

 

 その日は姫の誕生日でした。

 お祝いのパーティーで偉い人と挨拶してばかりの時間に飽きてしまい、姫は城内を散歩しに行きました。

 古い庭を見つけます。庭にひとりの老婆がいます。


 そこで、姫の人生では縁のない、はじめてのものと出会ったのでした。


「おばあさん、それは何? なぜ耳に棒を入れているの。危ないわ」


「お嬢ちゃん。大丈夫、これはと~っても気持ちがいいんだよ。ヒッヒッヒ……んんッ……ふぅ……ほれ、とれたとれた」


「わぁ……」


「これはね、『耳かき』っていうんだよ」


 耳垢という概念の存在しない王国で育った姫にとって、それは不思議な光景です。


 耳の奥を棒で突き、心地よさそうに脱力する老婆。

 老廃物をかきだす様子は、なにやら見てはいけないような気もして、だからこそもっとよく知りたいような好奇心も疼いてしまって。


「お嬢さん。やってみるかい?」


「いいの……? 私にもできる?」


「ああ、できるとも。まずは私がやってみてあげようね。さあ、膝に頭をお乗せ」


「ありがとう……」


 姫は出会ったばかりのおばあさんの膝に、そっと頭を委ねました。


 どきどきと高鳴る胸は、痛いくらいに弾んでいます。


 耳に近づいてくる気配に、ぶるりと背中が震えてしまうのを必死でこらえました。


 そうして、やがて耳かきの先端は姫の奥へと、音もなく静かに潜り込み──


「あ……っ」


 耳の内側に触れられる初めての経験は、姫には未知の刺激でした。


 身体の内側で異物の音を聴いている……

 妙に恐ろしいのに、なぜか心地良い。


「おばあさん……これは、何をしているの?」


「身体の中の悪いものをかきだしているんだよ。ひっひ……」


 こりこり、こりこり。


 耳の奥を、丸い小さなスプーンのような道具がかき回します。


 異物に優しくひっかかれて、耳の内側の悪いものをかきだされる心地よさに、姫はたまらず身震いしました。


「あぁぁ……」


 身体に力が入りません。

 もう、おばあさんに身をゆだねるほかにありませんでした。


 おばあさんは姫の耳元に唇を近づけ、生暖かな息吹をそっと吹き込みます。


「ふーっ……ふーっ……」


「あっ……! あっ……!」


 姫はもう夢中でした。


「それじゃあ、反対側もやろうねぇ」


「はい……」


 言う通りに身体を反転させて、反対側の耳の運命も託します。


 こりっ……こりこりっ……

 こしょこしょっ……

 ぞり、ぞり……


「あぁ……」


 姫は熱っぽい吐息を漏らしました。


 おばあさんも感慨深そうな息をつきます。


「すごいねぇ……16年ものだよ。お嬢ちゃん、耳がよく聞こえるようになったんじゃないかい?」


「ええ……なんだかとってもすっきりしたわ」


 この国には、16年ものあいだ、耳かきが存在しなかったのです。

 ですから、姫ははじめて自身の耳掃除を経験したのでした。


「なんだか生まれ変わったみたい……」


「けっこうけっこう。それじゃあ、最後の仕上げだよ」


「あっ……」


 また、あれをされるのです。


 姫は期待に胸を高鳴らせました。


 おばあさんの唇が、触れるほどの近くで、姫の耳に息を吹き込みます。


「ふーっ。ふーっ……」


「あぁあああ……っ」


「ふーっ、ふー……ふーっ……」


「ひゃぁあん……」


 頭の内側からとろとろと、甘い蜂蜜が湧きだしているような……不思議な幸福感が全身に広がっていきます。


 おばあさんは、いつまでたってもふーふーをやめません。


 姫もついには身もだえすることもできずに、ただぐったりと身を横たえるばかりでした。


 そうして、姫はいつしか深い眠りに落ちていたのです。


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耳かき姫 詠野万知子 @liculuco

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