わすれんぼ病
しらす
ぼくは何かをわすれていく
ぼくらは毎日すこしずつ、何かをわすれていく。
ふつうの人はみんなそうだと言うけれど、そういうのじゃない。
たとえば僕のお母さんは、今日の朝は「ゴミ」というものをわすれていた。
「ゴミ」そのものを忘れたお母さんは、きのうの夜に家じゅうのゴミばこからまとめていたゴミぶくろを見て、「いったいこれ何かしら?」と首をかしげていた。
「ゴミだよ、お母さん。今日はゴミの日だよ。お父さんが持って行くんだ」
そう言ってからぼくはしまったと思った。先しゅうの月よう日の朝、お母さんは「お父さん」もわすれてまだ思い出していなかった。
「よその人が何で家にいるの、出て行ってください!」
とオニみたいな顔でおこったお母さんは、こまった顔でもごもご言うお父さんをおい出してしまった。
「しばらくすれば思い出すかもしれない」と言ってお父さんは出て行った。今は毎日、会社でねているらしい。
ぼくはお父さんの代わりに、学校へ行くとちゅうでゴミを出しにいった。
この、ふつうはわすれないような事をどんどんわすれていく病気は、半年くらい前にとつぜん、しかも世界じゅうで始まった。
「わすれんぼ病」とよばれている病気だ。
どうして、どんな「メカニズム」で、こんなことがおきているのかはえらい先生たちにも分からないらしい。
そしてわすれたことを思い出した人は、今のところ一人もいないと、テレビのニュースでやっていた。
ぼくもちかごろ、何人か自分のクラスに知らない子がいると思って先生に聞いたら、「クラスのお友達じゃないの」と言われた。
でもそう言われた子の方も、ぼくのことが分からないみたいだった。
ぼくらはおたがい、先生がいないとクラスメートだという事が分からなくなっていた。
ゴミを出しにいった次の日ぼくは、あるクラスの女の子がだれだか分からなくなった。
「あんな子、うちのクラスにいたっけ?」
と、ぼくはとなりの席のゆうじ君に聞いた。
するとゆうじ君は、ものすごくびっくりした顔をした後、ぼくの耳に手を当てて小さな声で言った。
「さやかちゃんだよ。きのうまであんなに好きだって言ってたのに、どうしたの?」
「ぼく、そんなこと言ってた? ほんとに?」
「ほんとだよ! 君がさやかちゃんを忘れるなんて、そんなのありえないよ」
「でもぼく、ぜんぜんおぼえてないよ。ちがう誰かとまちがえてない?」
ゆうじ君はちょっとあきれたみたいに口をぽかんとさせた。
だけどぼくは、本当にその女の子が思い出せなかった。
「こうき君とか、たけし君なら忘れてるのもしかたないって思ったけどなぁ……」
「こうき君とたけし君って、あのぼくが忘れちゃった子?」
「そう、よくケンカしてたし、あいつらイジがわるかったし」
「さやかちゃんとはケンカしてなかったの?」
「しないしない! それにいつもさやかちゃんの前だとてれちゃって、ぜんぜんしゃべれてなかったし」
「そうなんだ?」
そのとき、ぼくは急にきのうの事を思い出した。
きのうはたしか、帰りにコンビニへ行って、アイスを二つ買った。そしてだれかといっしょに食べた、と思う。
だけどその時、だれがいっしょだったのか、なぜかぼくは思い出せない。
ゆうじ君に聞いたら「ぼくじゃないよ」って首をよこにふった。
「きのうはさ、さやかちゃんと教室にのこってたじゃん。ぼくは先に帰ったから、その後のことは知らないよ」
「さやかちゃんと? ぼく、ぜんぜんおぼえてない。でもだれかとアイスは食べたんだ……」
そこまで言いかけて、ぼくはあっと気がついた。
お母さんとお父さんはよくケンカしていた。
お父さんは声が大きくてどなるから、いつもお母さんの負けだった。
お母さんがお父さんをわすれる前の日も、お母さんはケンカに負けていた。
お母さんがゴミの事をわすれた日の前の日、お母さんは
「どうしてこんなだるいこと、しなきゃいけないのかしら」
とぶつくさ言っていた。
ぼくがわすれたクラスメートは、ケンカばかりだったらしいから、きらいな子だったんだと思う。
むこうもぼくがきらいだったから、イジがわるかったんだと思う。
みんなみんな、きらいな事なんだ。
きらいな事をわすれていってるんだ。
「わすれんぼ病」で何かをわすれた人たちはみんな、きらいな事やいやな事をわすれているんだ。
これが「だいろっかん」ってやつなのかな。
ひょっとしたら、えらい先生たちにも分からなかった、大はっけんかもしれない。
と、思ったところでぼくは、さやかちゃんという女の子が気になった。
ぼくはさやかちゃんが好きだった、とゆうじ君は言う。
それが本当なら、ぼくはどうしてさやかちゃんをわすれたのか、ってことになる。だから思った。
きのういっしょにアイスを食べたのは、ひょっとしてさやかちゃんで、そこでぼくは何かいやな事を言われたんじゃないんだろうか?
今日のぼくはさえてる。これが「だいろっかん」ってやつなんだ。
クラスのみんなのまんなかで、かわいいピンクのスカートをはいて、わらっているさやかちゃん。
だけど、好きだったはずのぼくが、わすれちゃうくらい何かいやな事を言ったんだ。
でも、あの子はぼくに何を言ったんだろう。
いくら考えても思い出せない。
思い出せない。
思い出せない。
おもいだせない。
おもいだせない……!
ああ、なんでだろう、とてもあたまがいたくなってきた。
……。
ふ、と目がさめた。
ぼくはいつの間にか、ほけんしつのベッドでねていた。
「だいじょうぶ?」
のぞきこんで来たのは、あのさやかちゃんという女の子だった。
「たおれて頭をうったって聞いたからびっくりしたよ」
「だいじょうぶ、どこもいたくないよ」
「そっか、よかった」
そう言ってさやかちゃんは、本当にほっとしたように、にっこりわらった。
ぼくはどうしてこんなかわいい子をわすれちゃったんだろう。
好きだったって聞いたけど、わすれちゃうなんてもったいない。
そう言えば、ぼくはなんでたおれたんだろう?
何か大はっけんをしたような気がするけど、頭がもやもやして、まだねむいみたいで、思い出せない。
でも、忘れちゃうくらいなら、きっとたいしたことじゃないんだろうな。
そう思ったぼくは、さやかちゃんに手をひっぱられて、教室にもどっていった。
わすれんぼ病 しらす @toki_t
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