感謝のピエロギ神戸風

白里りこ

おおきにな

「今晩、田中さんらにな、ピエロギを食べさしたいねんけど」


 朝、実家の一角を貸している難民の娘、ハンナ・クラインが、達者な神戸弁で私にそう告げた。

 クライン一家はもう私の家に一年ほど滞在している。本当はここからアメリカまで逃れる予定だったのだが、手続き上の問題で足止めを食らっているのだ。幼いハンナはその間に日本語を覚えてしまったらしい。


「ピエロギ? どないな食べ物や」

「あんな、小麦粉をこねたものにな、おいもやチーズが入っとうねん。ソースもかかっとって、うまいんやで。作ってもええ?」

「そりゃあもちろん構へんけど、作るための材料は買うてこれるんかいな」

「お母さんはな、神戸ジューコムの人らから良うしてもろてるから、お金は大丈夫やて」

「そら大事なお金やないけ。とっとかんくてええの。うちからお金出したろか」

「ええの。そないなことより私らはな、田中さんらにお礼がしたいねん。これでもうお別れやさかい」


 国の政策で、神戸にいる外国人は移住させられることになっていた。クライン一家ももうじき上海に行かされる。


「分かった。ほな楽しみに待っとうわ」

「やったー」


 思えば過酷な状況である。クライン家はユダヤ系ポーランド人。欧州で戦争が始まってからは、彼らはドイツから迫害を受けることとなった。よってポーランドから隣国のリトアニアに逃れ、そこからシベリア鉄道でソ連を横断し、紆余曲折を経て、ユダヤ人共同体である神戸ジューコムを頼ってここまで来た。その厳しく長い旅路を思うと涙ぐましいものがある。幼いハンナに関しては特にそうだ。


 私の実家はそれなりに金持ちだったから、父に進言すればクライン一家を受け入れる余地があった。ほとぼりが冷めるまで彼らのことを匿っていられると思っていた。

 だが日本もまた戦争を始めた。もう何もかもこれまで通りというわけには行かない。クライン一家ともお別れだ。寂しいが仕方がない。


 ハンナたち親子三人は、寒い中を楽しそうに買い物に出かけた。このところ日本も大不況だから買い物も大変だろうに、大事な資金を私へのお礼のために使ってくれるという。何という温かい心を持った人々だろう。


 私の母は、帰ってきたハンナとハンナの母に台所を貸した。私にはよく見えなかったが、ハンナたちは大いにはしゃいでいるようだった。彼らの言葉でぺちゃくちゃお喋りをしながら準備を進めている。


「親切にしてくださってありがとうございます」

 私は英語でハンナの父に話しかけた。英語が達者な彼は、苦笑した。

「とんでもない。親切にしてもらっているのは我々の方です。せめて恩返しをさせてください」


 やがて異国情緒のある香りが漂ってきた。私は未知の食べ物への期待でわくわくし始めていた。

 夕飯時になったので、私と、私の父母と、クライン家の三人は、食卓を囲んだ。

 机には、それぞれのための洋風のスープが配膳されており、真ん中には見たことのない半月型の白い食べ物がどっさり載った皿が置かれている。これがピエロギというやつか。


「田中さんらに、おおきにの気持ちを込めて、『感謝のピエロギ神戸風』です」


 ハンナが自信満々に言った。私たち親子は拍手をした。

 いざ実食である。お祈りの時間を設けてから、スプーンとフォークを手に取る。


「では、いただきます」

「いただきます」


 スープには鶏の出汁が使われており野菜がころころと入っている。洋食屋さんにありそうな味だが、少し雰囲気が違う気もする。


 そしてピエロギだが、これは私も大変気に入った。分厚い小麦粉の皮に、じゃがいもとチーズを混ぜた具が包んであり、それを茹でてソースをかけてあるようだ。皮のモチモチした食感がたまらなく好みで、しかも中身のほくほくとした具と絶妙に合っている。チーズの風味も効いていて食べやすい。ソースの味は玉ねぎとにんにくと、オリーブオイルというやつか。妙に病みつきになる味だ。

 気づけばあっという間に一つ食べ終えてしまっていた。そして次から次へと手を出してしまう。魔法のような料理である。


 私たちはぺろりとピエロギもスープも平らげてしまった。


「ごちそうさまでした。いやー、うまかったで、ハンナちゃん」

「ほんま?」

「ほんまほんま。ハンナちゃんも、お父さんもお母さんも、おおきにな」


 ハンナは嬉しそうに母語で私の言葉を両親に伝えた。私たち親子三人も、ハンナたち親子三人も、お腹いっぱい、笑顔いっぱいだった。


 三日後、ハンナたちは船に乗せられて上海へ旅立つこととなった。

 私は港まで彼らを見送りに来ていた。

 

 上海でどんな生活が待っているのか、私たちには知る由もない。日本とドイツは同盟国だから、日本もユダヤ人を優遇するというわけではなさそうだということも、薄々分かっている。

 もし可能だったら英語で手紙を送ってほしい、と私はハンナの父に住所を書いた紙といくばくかの金を渡していた。だがそれも届くかどうか……。


 そもそもこの戦争の行方が全く分からない。周りの日本人は勝つ気満々でいるが、私はやや懐疑的だった。もし負けが込んできたら……欧州で行われているような、飛行機による爆撃とやらが、ここ神戸にも来るかも分からない。


 ……まあ、先のことを考えても詮無いことだ。


 ボォーッと汽笛の音が鳴る。出港である。


 今はただ、彼らの未来に幸あらんことを。

 私は祈った。

 彼らと私では信ずる神も違うけれど、心は通じ合うことができた。だからきっと祈りもどこかに届くだろう。


 もし戦争が終わって、私たちがまた巡り会うことができたなら、またピエロギをご馳走してもらいたいものである。



 おわり


 

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