【コミカライズ】最強の老騎士は迷宮で屋台を引く

瘴気領域@漫画化してます

「はて、ワシ何かしでかしたかの?」

「どうしてワシの屋台には客が来ないんじゃ……」


 王都の一角。屋台が立ち並ぶ広場で白髪の老人が頭を抱えていた。

 大量の串焼きが積み上げられた屋台の中で、なぜじゃなぜじゃと嘆いている。


 老人の名はバルディン。

《王国の宝剣》と称され大陸最強と名高い騎士であったが、60歳の誕生日を機に家督を息子に譲り、前々からやりたかった飲食店を開業したというわけだった。


 立派な店舗を構えるだけの資金もあったが、バルディンはその選択をしなかった。

 いい歳をして、屋台ひとつから成り上がるサクセスストーリーにあこがれていたのである。


 しかし、結果は見ての通り無惨であった。

 開業初日こそ、新店効果でいくらか客は集まったのだが、リピート客が増えずにあっという間に閑古鳥が鳴いてしまったのだ。

 今日に至っては、まだひとりも客がいないというありさまである。


「味には自信があるんじゃがのう……」


 バルディンは売り物の串焼きを一本取って頬張った。

 豚肉と玉ねぎを交互に刺しただけのシンプルなものだが、独自に工夫した香辛料がまぶしてある。


 やや塩辛い味付けだが、これはバルディンのこだわりだった。

 騎士団の野営で部下たちに振る舞うと、美味い美味いとみんな喜んで食べてくれたのだ。


 夕食時を過ぎて、広場を歩く人もまばらになってきた。

 他の屋台は売り切れたり、今日の売上目標に達して片付けているところばかりだ。


「むうう……もう全品半額にしてやるか! いや、いっそ十分の一で!」

「ちょっとおじいちゃん、無茶はやめときなよ」


 やけになって値札を書き換えようとしたバルディンに、若い女が声をかけた。

 使い込んだ革鎧に短く切りそろえた青い髪。スラリとした長身は猫のように引き締まっている。


「おお、冒険者のお嬢ちゃん。串焼きを買ってくれるのかね?」

「どうせ投げ売りしようとしてたんじゃない。味見してあげるから一本くらいサービスしなさいよ」

「むう、仕方がないのう」


 女の指摘の通り、捨て値で売ろうとしていたのだ。

 サービスの代わりに正直な感想を聞くのも悪くないとバルディンは串を差し出した。

 女は遠慮もせずにそれを受け取り、さっそく肉にかぶりつく。


「もぐもぐ……うーん、肉質は上等。鮮度もバッチリ。少し味付けが濃いけど、冒険者向けにはこれくらいでちょうどいいわね」

「そうじゃろう、そうじゃろう」


 思いがけず褒められてバルディンは上機嫌でうなずいた。

 味が悪くて売れないのではないかと内心で悩んでいたところだったのだ。


「でも、これじゃ売れないわね」

「ええ、なぜじゃ!? 味ではどの屋台にも引けを取らないはず!」

「味そのものは、ね。でもこの屋台には致命的な欠陥があるの」

「教えてくれ! それは一体何なのじゃ!?」


 食べ終わった串を捨て、立ち去ろうとする女にバルディンは追いすがった。

 まさに藁をも掴む思いだったのだ。


「肉も野菜も一級品を揃えた。火加減がよくないのかと炭も最上級品に変えた。これ以上、何を工夫したらいいのかわからんのじゃ……」

「ふふ、引退した冒険者がはじめた飲食店にありがちな失敗ね」


 女は不敵な微笑みを浮かべる。

 バルディンの正体には気が付かず、引退した老冒険者だと思い込んでいるようだがそれも無理はない。


 顔も名前も売れているバルディンだったが、花柄のエプロンをして串焼き屋台を引いている老人を、《王国の宝剣》と結びつける者などいるはずもないのだ。

 事実、開業から1ヶ月ほどが経つが、これまでバルディンの正体に気づく客はいなかった。


「ありがちな失敗とは何じゃ?」

「どうせ、野営で料理が上手だと仲間から褒められて、自分には料理の才能があるとか思っちゃったクチでしょ?」

「う、うぐ……」


 バルディンは思わず口ごもった。

 まさに図星を突かれて反論ができなかったのである。


「こういう簡単な料理はね、野営中だから美味しく感じるの。せっかく街に戻ったときにはもっと手が込んだものが食べたくなるのが人情なのよ」

「そ、そういうものじゃったのか……」


 半生を騎士団で過ごしてきたバルディンには、実のところ外食の経験がほとんどなかった。

 基本的には騎士団のまかない飯を食べており、ごちそうといえばお偉方との息が詰まる会食でしか食べたことがなく、ゆっくり味わえたことがない。


 改めて他の屋台が出していた料理を思い返すと、焼きたての柔らかいパンに肉や野菜を挟んだものや、スープに入った麺料理、下味をつけた魚の切り身を酢飯に載せたものなど、野営中ではとても食べられないものばかりだった。


「しかし、ワシはこれしか作れんぞ」

「それなら傷が浅いうちに諦めた方がいいわ。迷宮ダンジョンの中でもなければ、こんな串焼きをありがたがる人なんていないんだから」

「むうう……」


 バルディンは渋面を作って腕を組んだ。

 息子たちの世話にはならんと大見得を切って屋敷を出てきたのだ。

 いまさら「やっぱり駄目じゃった」ではあまりにもバツが悪い。

 なんとかならないものかと悩みはじめたのだ。


「ちょ、ちょっとおじいちゃん。あんまり思いつめないでよ? とりあえず、その山積みの串は一旦引っ込めて、数本だけにしなさい」

「む、なぜじゃ?」

「こんな時間に在庫が山積みになってたら、いかにも『売れ残ってますよー!』ってなもんじゃない。ほんのちょっとだけ出しておいて、売り切れ寸前に見えるようにするのよ」

「おお、なるほどのう。お嬢ちゃんは商売上手じゃな」

「うふふ、当たり前じゃないの」


 女は青い髪をサラリとかきあげ、背筋をピンと伸ばした。


「何を隠そう私こそが、あの《冒険商売人》サルタナよ! いまは一介の冒険者に過ぎないけれど、いつか大陸一の商会を築き上げてみせるわ!」

「おお、《冒険商売人》か、それはすごいのう」


 孫娘と同じくらいの年齢であるサルタナが大きな夢を語る様子に、バルディンは目を細めて喜んだ。

 自分では認めようとしないが、バルディンは筋金入りの孫馬鹿である。

 身につけている花柄のエプロンも、開業祝いに孫娘からプレゼントされたものだ。

 バルディンはこのエプロンを、国王から下賜された国宝の鎧よりもずっと大切に思っている。


 サルタナはバルディンの反応を見て、自分も名前が売れてきたのだと勘違いして胸を張った。


「ふっふっふ、私を知ってるなんておじいちゃんも少しはやるじゃないの」

「いや、すまんの。名前ははじめて聞いたんじゃが」

「うっ」


 サルタナの顔が恥ずかしさで赤く染まる。


「と、とにかく商売に無理は禁物だからね! それじゃ!」

「うむ、心配してくれてありがとう」


 足早に去っていく、サルタナの背を眺めながら、バルディンは考えた。

 この広場で商売をする以上、他の屋台に負けない工夫は必要なのはわかった。

 しかし、バルディンにそんな料理の心得はない。

 何十年も作り続けた串焼き以外にすぐ作れるものなど思いつかなかったのだ。


「いや、待てよ。広場で売れないのじゃから……」


 それが、バルディンの脳裏に天啓が降りた瞬間だった。

 その日の商売を終えると、さっそく屋台の改修に取り掛かったのだった。


 ちなみに、サルタナのアドバイスどおりに串を出す本数を減らしたら、何本か買い求める客が現れた。

 なんとか売上ゼロは免れたのである。


 * * *


「ちくしょう、またハズレね」


 王都の郊外にあるダンジョンの地下2層。

 鋭利な刃物で切り取ったような真四角の通路の奥で、宝箱の中身を見て舌打ちをしたのは《冒険商売人》サルタナであった。


 宝箱の中身はボロボロに錆びた小剣が一本。

 これではクズ鉄屋に持ち込んで銅貨数枚がせいぜいだろう。


「あーあ、私も屋台でいいから、早く自分の店が持ちたいなあ」


 広場で屋台を引く、妙に浮世離れした老人と出会ってから数日が経っていた。

 あのときは大見得を切ってみせたが、サルタナはまだまだ駆け出しの冒険者だ。

 実のところその日その日を食いつなぐので精一杯だった。


 サルタナが冒険者になったのには訳がある。

 大店おおだなのぼんくら息子と結婚をさせようとする実家が嫌になり、家を飛び出して冒険者になったのである。

 実家はそれなりの商会であったから、商売の基本は叩き込まれていたのだが、何よりも腕っぷしがものをいう冒険者稼業でその知識が役立つことは滅多になかった。


「何かこう、高純度の魔石とか、古代のアーティファクトとかぽろっと落ちてないものかなあ」


 思わずそんな夢のような願望を口にしてしまう。

 だが、それがあながちあり得ない空想と言えないのがダンジョンだ。


 どこからともなく魔物が現れ、突拍子もない場所に宝箱がわき出る謎の迷宮。

 異界につながっているとも、はるか古代に滅びた上位種族が作った文明の残滓ざんしとも噂されるそこからは、小国が丸ごと買えてしまうような貴重品が発見されたこともあるのだ。


 そんな一攫千金を夢見て、危険を冒してダンジョンを探索する者たちが冒険者だ。

 王都の近場にある広大なダンジョンには、今日も多くの冒険者たちが集まっていた。


「ひぃぃっ! 助けてくれぇぇぇえええ!!」

「し、新種の魔物だぁぁぁあああ!!」

「は、早く逃げろぉぉぉおおお!!」


 サルタナが探索を続けていると、背後の通路から男たちの悲鳴が近づいてきた。

 2層に強力な魔物は生息していないはずだが、ごく稀に深層から迷い込んでくることがある。


 サルタナは急いで脇道に身を隠した。

 サルタナは女で、しかも商人だ。荒事にはまったく自信がない。

 太刀打ちできそうにない魔物と遭遇したときは、逃げるか隠れるに限る。

 幸い、大騒ぎしながら逃げている冒険者達がいる。

 彼らを囮にすれば、自分が新種の魔物とやらに気づかれることはないだろうと判断したのだった。


「ぎぇぇぇえええ! おーたーすーけー!!」

「速いって! 速すぎるって!!」

「うぐわぁぁぁあああ!!」


 脇道から様子を見ていると、逃げる冒険者たちをものすごいスピードで追い抜いていく戦車のような姿が一瞬だけ見えた。

 冒険者たちは風圧に巻き込まれて転んだりしているが、怪我はないようだ。


「な、なんとか命は助かったな……」

「何なんだよあれ、新種の魔法生物ゴーレムか?」

「いや、人型の何かが引いてたぞ?」


 命拾いした冒険者たちが安堵しつつも愚痴を言っている。

 一瞬のことだったが、サルタナの目にもその魔物の姿は目に映っていた。

 箱型の馬車のようなものを引いていたのは、花柄のエプロンを身に着けた白髪の老人に見えたのだが……まさか、見間違いだろうとサルタナは頭を振った。


 * * *


 謎の魔物と遭遇してから半日。

 先へと進んだサルタナの鼻に、何やら香ばしい匂いが漂ってきた。


 場所はダンジョン3層の水場の近く、冒険者の間では俗に「休憩所」と呼ばれているエリアである。

 入り口から3日ほどで到着できる位置にあり、ダンジョンでは貴重な清浄な水がわく泉があることから、中層以降を目指す冒険者なら必ず立ち寄る場所だった。


 ダンジョンは深く潜れば潜るほど、強力な魔物が現れる確率が高まる代わりに貴重な産物を得やすくなる。

 この王都近郊のダンジョンでは、いまのところ7層までが確認されていた。


「じいさん、オレにも5本、いや10本くれ!」

「馬鹿野郎! そんなに買ったら俺の分がなくなるだろうが!」

「てめえは干し肉でもかじってろ!」

「ほっほっほっ、まだまだ在庫はあるからの。取り合わなくても大丈夫じゃぞ」


 休憩所にやってきたサルタナの目に飛び込んだのは、信じがたい光景だった。

 あろうことかダンジョンの中に屋台が設置され、冒険者たちが群がっていたのだ。


 そして、満面の笑みを浮かべて串を焼いているのは、あの日、広場で出会った脳天気な老人だったのだ。


「ちょ、ちょっと!? おじいちゃんこんなところで何してんの!?」

「見ての通り、屋台の営業じゃが? お嬢ちゃんの忠告に助けられたわい」

「そんなアドバイスした記憶ないけど!?」

「ほっほっほっ、謙遜せんでもいいんじゃ。ダンジョンの中ならワシの串焼きも売れると教えてくれたではないか」


 たしかにそれに近い意味のことは言った。

 だが、決してダンジョンの中で屋台をやれなどという意味ではなかった。


「それより、いいところに来てくれた。お客が多すぎて手が回りきらんのじゃ。また何か良い知恵を貸してくれんかのう?」

「知恵って、あんたねぇ……」


 サルタナは破天荒な老人の行動にため息をつきそうになるが、慌てて止める。

 ダンジョンの3層まで屋台を引いてきて、平気な顔で営業をするような老人だ。

 きっと現役のときは凄腕で鳴らした冒険者だったに違いない。


「儲け話の匂いがする……」


 サルタナはごくりと生唾を飲んだ。


「ん、何じゃ? 最近耳が遠くての。小声ではよく聞き取れんのじゃ」

「あ、いや、何でもないのよおじいちゃん。手が足りないなら私も手伝うからさ、儲けは山分けよ!」

「それはありがたいのう」


 サルタナが老人の隣に立ってさっそく手伝いをはじめた。

 老人が串を焼くことに集中し、サルタナが代金と引き換えに商品を渡すという形に自然と役割が定まる。

 数え切れないほどの串焼きを売り、在庫が尽きる頃にはサルタナはへとへとに疲れ切っていた。


「今日はこんなところで営業終了ね。そろそろ野営の準備をしなきゃ」

「む、なぜじゃ?」

「夢中で気づかなかったのかもしれないけど、もう日が沈む時間よ。知ってるだろうけど、ダンジョンの魔物も夜になると凶暴性を増すんだから」


 サルタナは老人に懐中時計を見せる。

 時計は高級品だが、何日もダンジョンに潜り続ける冒険者には必需品だった。


「とはいっても明日の仕入れもあるからのう。戻らんわけにもいかんのじゃ」

「明日の仕入れって、ボケちゃってるの!?」


 ダンジョンの入口から休憩所までは、ベテランでも3日はかかる道のりなのだ。

 屋台を引きながらではもっと時間がかかるだろう。

 どうがんばっても、明日の仕入れに間に合うわけがない。


「朝一番で仕入れたものだけを売ると決めておるからの。毎朝仕入れんことには商売ができんのじゃ」

「だから間に合うわけが……って、えっ、朝一番で仕入れたものしか売らないって、今日売ったものは?」

「もちろん今朝仕入れたものじゃよ」


 会話をしながらも、老人は屋台をテキパキと折りたたんでいく。

 そしてそこに現れたのは、あちこちを鉄材で補強したまるで戦車のような姿の屋台だった。


「なんかこれ、既視感あるんだけど……」

「街に戻るのなら、お嬢ちゃんも送っていくぞい?」

「えっ、あ、はい」

「それなら屋根にでも座っておいで」


 理解が追いつかないまま、屋台に登ったサルタナは大いに後悔した。

 王国一の駿馬しゅんめでも到底追いつけない猛スピードでダンジョンを駆け抜ける屋台に、死ぬ思いでしがみつき続けるという体験をするはめになったからだ。


「ちょっと、おじいちゃん……少しは加減してよ」


 もはや半死半生のサルタナに、老人はとぼけた顔で応えた。


「はて、ワシ何かしでかしたかの?」


 * * *


「うふふふふ、今日も売上は絶好調ね」

「ほっほっほっ、お客に喜んでもらえて何よりじゃ」


 サルタナがダンジョン中に悲鳴を轟かせてから数週間。

 バルディンたちは今日もダンジョン内で屋台を営業していた。


 これは儲かると見込んだサルタナは、しれっと共同経営者のような顔でバルディンと行動を共にしている。

 屋台での超高速移動にも慣れ、いまではもう悲鳴を上げることはない。


「やっぱりさ、もうちょっと値段上げない? それか原価を抑えるか」

「どちらも気が進まんのう」


 ここ数日、バルディンとサルタナの間でしばしば交わされるやり取りだった。

 サルタナは、価格を上げるか食材費を抑えて利益を増やしたかったのだ。

 一方のバルディンはいまひとつ気乗りがしない。

 さほど特別なことをしているつもりもないので、そんなことをすればせっかく着いてくれた常連客が離れてしまうのではないかと不安でもあったのだ。


「ここにはこの屋台しかないんだから、多少値上げしようと食材をケチろうと、お客さんが離れる心配なんてないの」

「うーむ、そうは言っても、ここが儲かると噂が広まってしまえば、真似する者も出てくるんじゃないかのう」

「だーかーらー! こんなところまで屋台を引いてこれるのはおじいちゃんだけなんだって!」

「そうなのかのう。騎士団の若い連中でも何人かできそうなやつがおるがのう」

「騎士みたいなエリートが、屋台なんかやるはずがないでしょ!」


 こんな具合に、値上げに関する話は平行線である。

 なお、バルディンが騎士の中でも頂点に立っていたスーパーエリートであったことには、サルタナは未だに気がついていなかった。


 屋台の営業をしながらそんな会話をしていると、休憩所の入口の方から冒険者たちのどよめきが聞こえてきた。

 続いて、金属が触れ合う音に、重たい車輪を引く音が近づいてくる。

 二人が視線をそちらにやると、金属鎧に身を包んだ集団が巨大な馬車のようなものを引いて入ってくるところだった。


「何あれ? 冒険者にしては物々しすぎるじゃない」

「あれは王国軍の鎧じゃのう」

「なんで王国軍がダンジョンなんかにいるのよ?」

「なんでじゃろうなあ」


 不審そうなサルタナに、バルディンがのんびりと応じる。

 王国軍は、地上の魔物や領土的な野心を隠さない帝国を警戒するために、国境や領内で警備をするのが主な任務なのだ。

 明文化された決まりがあるわけではないものの、地上は軍、ダンジョンは冒険者というのがこの国の不文律であった。


「おい、バルディン! こんなところで屋台をやっているとは本当だったのだな!」

「むっ、その声はマクベスか?」


 金属鎧で身を固めた兵士たちの間から、高価な衣服に身を包んだ男が進み出る。

 年の頃はバルディンと同じくらいか。

 痩せぎすな印象はあるものの、表現し難い威圧感をまとっていた。


「お主も引退して屋台を引くつもりになったのかの?」

「なるかっ! 俺はな、貴様を連れ戻しに来たのだ」

「王国の宰相が自らやってくるとは……。さてはお主、暇じゃの?」

「暇なわけあるかっ! 貴様が引退したせいで帝国が調子に乗って挑発をしてくるから死ぬほど忙しいわっ!」

「忙しいのならさっさと帰った方がええんじゃないかのう」

「誰のせいで忙しいと思ってるんだこのクソジジイ!」

「お主だってジジイじゃろうが」


 周囲の冒険者たちは突如としてはじまった老人同士の口喧嘩に呆気にとられている。

 サルタナも一瞬呆気にとられたが、聞き捨てならないセリフを聞いて口を挟まずにはいられなかった。


「ちょ、え、いま宰相って言った? もしかして、この鶏ガラみたいなおじいちゃんって、《万象知悉ばんしょうちしつの》マクベス閣下?」

「誰が鶏ガラかっ! いかにも、俺がマクベスだ」

「で、で、おじいちゃんの名前って、バルディンって言うの? ひょっとして、《王国の宝剣》バルディン……?」

「そういえばきちんと名乗ったことはなかったかのう。その二つ名は面映ゆくて好きじゃないんじゃが、たしかにワシはバルディンじゃよ」

「マジっすか……」


 サルタナの顔から血の気が引いた。

 王国最強の騎士バルディンと言えば、冒険者の間にも様々な武勇伝が伝わっている。

 曰く、オーガ人食い大鬼を素手で殴り殺しただの、曰く、ドラゴンの首をヘッドロックでへし折っただの、曰く、数千の敵兵を怒鳴りつけて追い返しただの……とても人間業とは思えない逸話ばかりだった。


 そしてサルタナは、そんなことはつゆ知らずに英雄バルディンを相手にずいぶん気安い態度を取り続けてしまっていたのだ。

 無礼討ちだとばかりにひき肉にされて魚の餌になってもおかしくなかった。


「ばばばばバルディン様、ここここれまでの数々の無礼……なにとぞなにとぞお命だけはぁー!」

「なになに、気にしとらんからええんじゃよ」


 飛び上がって勢いをつけ、その場にジャンピング土下座を決めようとしたサルタナをバルディンが止めた。


「孫娘が増えたようで楽しかったからの。これからもいままでどおり接してくれた方がうれしいのじゃ」

「ふん、そのとおりだ小娘。そいつは生粋の孫馬鹿だからな。同じ年頃の娘を見ると気持ち悪いくらい優しくなるのだ。というか気持ち悪い」

「なんじゃとこのクソジジイ!」

「事実を言って何が悪い!」

「あわわわわわ」


 当面の命の危機は去ったが、伝説の英雄と、一国の宰相というツートップの口喧嘩に挟まれて、サルタナは生きた心地がしなかった。

 それでも、なんとか状況を掴まなければと言葉を絞り出す。


「そ、それでマクベス宰相閣下はなぜわざわざダンジョンまで……? 地上にいるときに声をかければよろしかったのでは?」

「こやつがそれで素直に戻るようなタマに見えるか?」

「見えない、ですね……」

「商売に失敗すれば諦めて騎士団に戻るものと思って静観していたのだがな。まさかこんなところで営業をするとは、脳筋バルディンとは思えぬ知恵を絞ったではないか」

「このお嬢ちゃんに知恵を貸してもらったからのう。痩せぎすマクベスの乾いた脳みそよりよっぽど柔軟で頼りになるわい」

「この小娘が、だとぉ?」

「ひぃぃぃ……お願いだから私を巻き込まないで……」


 マクベスの鋭い視線に射抜かれ、サルタナは心臓が止まる思いだった。


「ふん、なかなかよい発想だったな。この国の若者にも人材が育っているようだ」

「えっ、あ、あれ? ありがとうございます?」


 だが、意外なことにマクベスは満足気にうなずいている。

 予想外の反応に、サルタナは思わず御礼を言ってしまった。


「お嬢ちゃん、マクベスは気に入った若者には男も女も見境なく声をかける変態じゃからな。かどわかされないよう気をつけるんじゃぞ」

「ええっ!? そうなの!?」

「紛らわしい言い方をするな! 俺は才ある若者を見つけたら登用せずにおられんだけだ!」

「ええっ!? じゃあ意外といい人なの!?」

「悪党に宰相が務まるか! それから意外とか言うな!」


 思わず本音が洩れてしまったサルタナだが、先ほどまでのような怯えはもうなくなっていた。

 いい人だと褒めたら、マクベスの頬がぽっと赤くなったことに気がついたからだ。


「ええと、それでマクベスおじいちゃんはここまで来たんです? ダンジョンまで来たところで、バルディンおじいちゃんが言うことを聞かないのには変わりがないと思うんですけど」

「急におじいちゃん呼びとか順応力も並ではないな、小娘。まあいい。そろそろ本題だ。これを見ろ、バルディン!」


 マクベスの合図とともに、その背後にあった巨大な車がガショーンガショーンと音を立てて変形していく。


「な、なんじゃこれは!?」

「こんなもの見たことない!」


 バルディンとサルタナが同時に驚きの声を上げた。

 二人の眼前には、王都の一流店にでも備えてありそうな立派なキッチンが展開されていたのだ。


「ははは、これこそ貴様の心を折るための秘策。名付けて、移動式宮廷厨房よ!」

「な、な、な、なんじゃとー!?」

「そして人員も完璧だ! 宮廷料理長とそのスタッフを連れてきたのだ!!」


 兵士たちが一斉に鎧を脱ぐ。

 すると、金属よりの下から白いコックコートを着た料理人たちが姿を現した。


「俺たちはここで極上の宮廷料理を出す屋台を開業する。もちろん値段は市井の屋台そのままだ。バルディン、貴様の串焼きが宮廷料理に勝てるかな?」

「ぐ、ぐぬぅ……」

「で、でも仕入れはどうするのよ!? 宮廷料理なんて贅沢なもの、あっという間に食材を使い切っちゃうわ!」

「ふふふ、地上まで切れ目なく輜重隊しちょうたいが往復しておる。この移動式宮廷厨房に死角はない!」

「卑怯じゃぞ、マクベス!」

「いくらなんでも大人げがなさすぎる……」

「ふん、なんとでも言え。バルディン、これで貴様の屋台には一切客が入らなくなる。いつまで意地を張って店を続けられるかな?」

「ぐぐぐぐぐ……」


 言い争いの間にも、料理人たちは次々に調理を進めていく。

 その手さばきは素人のバルディンとは比べ物にならない。

 辺り一面を得も言われぬ芳香が漂い、休憩所にいた冒険者たちがふらふらと移動式宮廷厨房に集まりはじめた。


 それまでバルディンたちの屋台に並んでいた客たちも含めて、だ。

 バルディンの屋台に再び閑古鳥が鳴いたのは、あっという間のことだった。


 * * *


「ぐぬぬぬ、許せんぞ、マクベスめ。こんな策まで講じてワシを陥れようとは」

「ここまでやるのはさすがに引くよねー」


 マクベスが現れて3日。

 バルディンたちの屋台は売上がほとんどゼロの日が続いた。

 たまに来る客も、マクベスの屋台が混んでいて待ちきれなかった冒険者だけだ。

 その客たちも、串焼きで小腹を満たすとマクベスの店の行列に並んでしまう。


「このままだとジリ貧だし、しばらく休業する?」


 サルタナは、こんな馬鹿げたことを長期間続けるのは不可能だと予想していた。

 マクベスが諦めるまで放っておいて、仕入ロスを抑えるべきだと考えたのだ。


「じゃがなあ、それではあの鶏ガラジジイに負けたようで気が収まらんのじゃ」


 バルディンは、マクベスの屋台を血走った目で見つめている。

 鬼気迫る、とはまさにこのことだろう。


 実はこのとき、その身から溢れ出る闘気によってダンジョン3層の魔物はすべて気絶していたのだが、冒険に興味がないバルディンたちに知る由はなかった。


「お嬢ちゃん、また知恵を貸してくれんかの。マクベスに勝てる策は何かないかのう」

「そんな無茶振りをされても……。いや、そんな捨てられた子犬みたいな目で見ないで。ええと、まずは、マクベスおじいちゃんに勝ってる点と負けてる点を整理してみようか」


 まず、わかりやすく負けている点は調理の腕。

 宮廷料理人とは国の中でも随一の技術を持つ職人集団だ。

 これに正面から勝とうというのは、よちよち歩きをはじめたばかりの幼児が、大人にかけっこで挑むようなものである。


 次に、引き分けているのは価格。

 これは有利不利というより、マクベスが採算度外視でこちらの価格に合わせている。

 一品ずつのボリュームは似たようなものだから、純粋な味勝負を仕掛けられているというわけだ。


 唯一、勝っている点は食材の鮮度である。

 バルディンの屋台は毎朝地上から食材を運んできているが、マクベスの方は輜重隊のリレー形式で3日かけて輸送している。

 食材が傷まないよう工夫はしているようだが、バルディンが人間を超越した速度で運ぶのにはさすがにかなわない。


「そうか、鮮度、鮮度じゃな……」


 サルタナがここまで整理すると、バルディンの瞳に赤い炎がともった。


「おじいちゃん、何か思いついたの?」

「お嬢ちゃん、店番を頼んだぞ! ワシは仕入れに行ってくる!」

「えっ、いまから? って、おじいちゃん、そっち逆だよー!?」


 屋台という重しのないバルディンは、サルタナの声を置き去りにして走っていった。

 ダンジョンの入口に向かってではなく、深層に向かって――


 * * *


「くくく、バルディンめ。いよいよ敵前逃亡か?」


 いつの間にかバルディンの姿が屋台から消えていることに気がついたマクベスは、独りほくそ笑んだ。

 バルディンには子どものようなところがあるが、心根には一本芯が通っている。

 こちらがどれだけ大人げない手段を使おうが、負けを認めれば騎士団に戻ってくるだろうという目算があった。


 マクベスとバルディンは犬猿の仲だと世間からは見られているが、実際のところは共に長い年月にわたって王国を守ってきた戦友という意識がある。

 マクベスには、バルディンのことは誰よりも理解しているという自負があった。


 本音を言えば、長年国に尽くしてきたバルディンの第二の人生の門出を祝ってやりたいという気持ちもあるのだ。

 だが、王国宰相という立場がそれを許さない。


 バルディンの持つ個の戦力は、世界中にある戦略級の古代遺物アーティファクトを集めたものに匹敵すると他国から恐れられている。

 ともすればバルディンに頼り切りになってしまう国の現状にマクベス自身も忸怩たる思いがあるが、まだ信頼に足る後進が育ちきっていないのだ。


 あと10年、いや、せめて5年はバルディンに現役でいて欲しかったのだ。

 巨費を投じて宮廷料理人をダンジョンに派遣するというこの作戦は大臣たちに呆れられたが、それだけの本気を見せなければバルディンが戻ってくることはないだろうという確信もあった。


 だからこそ、強権を振るってまで、この馬鹿げた策を実行に移したのである。


「だがそれも、今日で終わりだな」


 マクベスの視線はバルディンの屋台に注がれている。

 あの小娘が店番をしているが、そもそも店番など不要な状況なのだ。

 今日はまだ、一人の客も串焼きを買っていない。

 バルディンがどこに消えたか知らないが、もはや逆転の手立てなどないだろう。


 マクベスが満足げに細い顎を撫でた、そのときだった。


「待たせたのう! 新鮮な食材を仕入れてきたのじゃ!」


《王国の宝剣》バルディンが、血も滴る巨大な肉を担いで戻ってきたのは。


 * * *


「おじいちゃん、これ一人で狩ってきたの!?」

「うむ、ちょうどよいトカゲがおったからのう。鶏の肉もあるぞい」

「こっちのでっかい野菜は?」

「それは玉ねぎじゃ。なぜか森があってのう、そこに生えとったんじゃ」

「ダンジョンの中で森って……まさか、7層まで潜ってきたの!?」

「むう? 数えておらんからよくわからんのう。じゃが、これなら正真正銘の採れたてじゃ! 料理の腕で勝てんのなら、こちらは徹底的に鮮度で勝負じゃ!」

「相変わらず無茶苦茶なおじいちゃんね……」


 巨大な肉を担いだバルディンに驚いたサルタナだったが、鮮度にこだわるのであれば一刻も早く調理をすべきだろうと話を切り上げた。

 バルディンが目にも留まらぬ速度で包丁を振るい、肉と野菜を一口大に切っていく。

 そしてサルタナが、切り分けられた食材に極めて常人的な速度で串打ちしていく。


「さ、作業スピードがまるで噛み合ってない……」

「なあ、じいさんの屋台は二人だけだし、ちょっと手伝ってやらねえか?」


 冒険者たちの間に、そんな声が上がる。

 すると一人、また一人と串打ちを手伝う冒険者たちが増えていった。

 彼らはマクベスがやってくるまではバルディンの屋台の常連であった。

 ダンジョンの中にも関わらず、地上と同じ価格で串焼きを売ってくれるバルディンたちに内心では恩義を感じていたのである。


「おお、みんなありがとうのう。手伝ってくれた礼じゃ、最初に焼けたものはみんなで食べておくれ」

「いいのかよ、じいさん? これはあっちの店との勝負なんだろ?」

「かまわんかまわん。お主たちの気持ちが嬉しかったんじゃ」

「へへっ、そういうことなら遠慮なく……んほぉぉぉおおおおおお!!!!」


 最初に串焼きを食べた冒険者の口から奇声が上がった。

 毒でも含まれていたのかとその冒険者に周囲の視線が集まる。

 だが、毒にあたったわけではなかった。

 視線の先には、涙を流しながら肉を味わっている冒険者の姿があった。


「なんだよ、この口の中でとろけるような柔らかさ……そして噛むたびに口の中いっぱいに広がる肉の甘味……新鮮なロックリザードトカゲって、こんなに美味かったんだな……」


 トカゲとは、冒険者の隠語でロックリザードを指す言葉だった。

 体長は5メートル以上にもなる巨大な爬虫類型の魔物で、鋼の剣も跳ね返す堅牢な鱗を持っている。

 ベテランの冒険者のパーティでなければ手を出すべきではないという魔物であった。


「こっちのコカトリス肉も最高だぜ! ぷちぷちとした肉の繊維が、ひと噛みごとにほどけて……暴れて……まるでまだ生きているような……これはさながら、味の神界大戦ラグナロクや!」


 同様に、鶏はコカトリスの隠語である。

 コカトリスとは巨大な鶏の姿をした魔物で、尻尾は大蛇になっている。

 そのくちばしには石化の毒があり、上級魔法が使える魔法使いが徒党を組んで、遠隔攻撃で仕留めなければならない魔物とされていた。


「野菜も負けてねえぞ! これがただの玉ねぎだなんて信じられねえ。採れたての野菜って、こんなに甘くて、クセがなくって、ジューシィなんだなあ……」


 試食した冒険者たちが、次々に忘我の表情となって感想食レポを叫ぶ。

 あまりにも異様なリアクションに、マクベスの屋台に並んでいた客が行列を離れてバルディンの店に殺到しはじめた。


「な、なんだ!? 一体何が起きている!?」


 予想もしていなかった事態に、マクベスはうろたえた。

 ロックリザードもコカトリスも高級食材だが、どちらもマクベスの屋台で使用しているものだったのだ。

 鮮度だけでそれほどの差が生まれるのか、マクベスには信じられなかった。


 マクベスは、部下に命じて密かに串焼きを買わせてきた。

 そして、人目に隠れながらそれを試食する。


「ぬぅぅ……これは……」


 立場上、美食に慣れていたマクベスにはその食材の正体が即座にわかった。

 それはロックリザードでも、コカトリスでもない。

 また、玉ねぎも尋常なものではなかったのである。


「なるほど、騎士団ではトカゲはドラゴンの隠語、鶏はフェニックス、玉ねぎとはアルラウネであったな……」


 いずれも、討伐には一軍の動員を必要とされる神話級の魔物であった。

 そして、このダンジョンではいまだ出現が確認されていない魔物でもあった。


「ふん、ほんのわずかな時間で未到達層まで潜って魔物を狩ってきたのか。さすがはバルディンよ、こちらの想像を易々やすやすと超えてきよる。これはもはや《神々の串焼き》とでも言うべきか……」


 いかに巨費を投じ、贅を尽くした宮廷料理でもこれには勝てない。

 マクベスは、この勝負に敗れたことを悟ったのだった。


 * * *


「だからといって、貴様を連れ戻すのを諦めたわけじゃないからな」

「なんじゃもう、お主はしつこいのう」


 マクベスは部下たちが撤収準備を進めている間、バルディンの屋台を訪れていた。


「国の行く末がかかっておるのだ、しつこくもなる」

「国の行く末、のう……」


 バルディンが、ふと遠くを見るような目をした。


「ワシらが若いころ、この国はどうじゃった?」

「昔話とは、貴様も老いたな」

「真面目に話しとるんじゃ。ちゃんと答えろ」

「ふむ、そうだな……」


 マクベスは、自身が若い頃を思い返していた。

 そのころの宮廷には腐敗がはびこり、老人たちが思うままに国を壟断ろうだんしていた。


 老害たちに何度煮え湯を飲まされたことか。

 いっそまとめて叩き切ってやりたいと思ったことが数え切れぬほどにあった。

 そんなことがあるたび、マクベスはバルディンと共に酒を飲み、この国の将来を変えることを誓いあったのだ。


「ワシとて、昔から強かったわけではない」


 バルディンもまた、昔を思い返していた。

 官僚たちの横領によって騎士団の財政は常に厳しく、乏しい兵糧ひょうろうを補うために、任務で討伐した魔物を串焼きにして食べていたのだ。

 苦しい戦いを何度も切り抜けたことで、やがてバルディンは《王国の宝剣》とまで呼ばれる強さを手に入れたのだ。


「自分で言うのもなんじゃが、この国は新しくなった。ワシらのような老人がいつまでも居座るのは、若者の成長に蓋をすることにならんかのう」

「そんなことはわかっておる。だが、帝国からの圧力は喫緊きっきんの課題だ。若い芽が育つのを待っている余裕はないのだ」

「そこはほれ、さっそく若い芽に力を借りてみてはどうかの?」

「ほう、小娘。何か良策でもあるのか?」


 バルディンと、マクベスの視線がサルタナに注がれる。

 いきなり国の将来の話だとか、自分の手に余る話を振られたサルタナは焦った。

 焦ったあまり、とりあえず冗談でお茶を濁そうとした。


「ええっと、とりあえず、友好の証にこの串焼きでもプレゼントしたらどうですかねー? なーんちゃって……」

「ほう、この串焼きを贈るか……。なるほど、それは面白い」

「な? ちゃんと若い芽は育っておるんじゃよ。この干からびた鶏ガラ頭め」

「なんだとこの孫馬鹿ジジイ! とりあえず、串焼きの用意がいるからな。王宮からの注文だから今度こそ断るとは言わせぬぞ!」

「ほっほっほっ、客からの注文なら断ったりなどせんわい」


 そういうことになり、何がなんだかわからないままサルタナは屋台の新メニュー《神々の串焼き》の串打ち作業に追われるのであった。


 * * *


 帝国。

《貪欲の蛇》の二つ名で呼ばれる皇帝の前に、王国からの進物が届いた。

 内容は肉と野菜を鉄串で貫いただけの串焼き。

 魔法で冷蔵されており、焼いて食え、ということらしい。


 毒味を済ませ、火を通した串焼きが皇帝のもとに運ばれる。

 それを見た大臣たちがあざ笑う。


「こんなみすぼらしい進物で歓心を買おうとは。王国の程度が知れますな」

「あるいは、煮るなり焼くなり好きにしろという全面降伏の証しやもしれませぬぞ」


《王国の宝剣》が第一線を退いたと聞いて、帝国には王国を侮る空気が生まれていた。

 その王国からの贈り物が、庶民の屋台で売られているような串焼きとはまったくもってお笑い草だったのだ。


 だが、皇帝の表情は晴れない。

 真剣な目で串焼きを見つめ、それから口に運ぶ。


「へ、陛下! そのような下賤げせんなものを口にされてはなりませぬ!」

「これが下賤なものとは、貴様らの目はどこに付いておる」


 この串焼きに使われている素材は、いずれも神話級と称される強大な魔物だ。

 精強を誇る帝国軍であったとしても、討伐しようとすれば甚大な被害を強いられるのは間違いないだろう。


「なるほど、《王国の宝剣》は未だ錆びずか」


 皇帝は悔しげに唇を噛み、密かに進めていた王国への侵攻計画を白紙に戻すよう命じたのだった。


 * * *


 王都近郊ダンジョン。地下3層『休憩所』。


 マクベスの屋台も撤収し、再び通常営業に戻ったバルディンたちは、いつものように冒険者たちへ串焼きを売っていた。


「ねえ、おじいちゃん。そろそろ新しいことやらない? あの串焼きをたくさん作って世界中の王侯貴族に売りまくるとか!」

「それは気が進まんのう」


 サルタナの言う「あの串焼き」とは、もちろん《神々の串焼き》のことである。

 あとからその価値を知ったサルタナは危うく卒倒しかけたが、すぐに気を取り直して金儲けの算段を立てはじめていたのだ。


「じゃが、ワシもそろそろ別の料理にも挑戦したいのう」

「それもよさそうね! ドラゴンハンバーグとか、フェニックスのつくねとかどう?」

「うーむ、それも気が進まんのう」


 どちらも挽き肉をこねて固めた料理で面白みがない。

 なんとか高級食材を使わせたいという気持ちで染まっているサルタナのアイデアはいかにも露骨すぎた。


「じゃあ、おじいちゃんは何が作りたいの?」

「そうじゃのう、ワシは……」


 バルディンは、乏しい外食経験の記憶をたどった。

 そうだ、あれだ。あれがさっぱりして、独特な香りがして美味かった。

 あれを作るパフォーマンスをする職人の姿もおぼろげながら蘇ってくる。


「うむ、ワシは蕎麦が打ってみたいのう」

「それ、定年退職した人が絶対失敗するやつ!?」


 こうして、最強の老騎士バルディンの暮らしは今日も平和に過ぎていくのであった。


(了)

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【コミカライズ】最強の老騎士は迷宮で屋台を引く 瘴気領域@漫画化してます @wantan_tabetai

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