濃霧

「僕って捕まったらどうなるんですか?」


「法廷で裁かれ、おそらく死刑になるものかと。」


「可哀想だと思いませんか。こんな子供が、間違えて能力を使っちゃっただけですよ?」


「仕事。」


そうですよね。仕事ですもんね。仕事に感情は挟まない、素晴らしい職業意識だと思います。はい。


兼沢の周りで徐々に質量を増す「白」を見ながら考える。これからどうしようかな。


今は、感情を発露する演技をしている余裕がない。周囲を見回し、感情を引き出すようなものを探す。

ところで、苦痛という言葉があるが、これは苦しいという感情と痛いという感覚を並べた言葉である。しかし、この感情の浮かぶ状況を考えてみると、案外、痛いだけのときも苦痛という言葉を使ってしまったりする。

つまり、腹痛の時とかは確かに、痛く、苦しいという両方の性質を兼ね備えた言葉として「苦痛」という表現を使うが、一方で、包丁で指を深く切ってしまったときなど激しい痛みを表現するときにも「苦痛」という表現を使える。


なら、「痛み」すなわち「苦痛」、つまり「苦しい」ということで、痛みは感情の発露に繋がるのではないかと考察してみる。

結論としては、拍子抜けするような単純なものだが、何にせよ、痛みを加えられるものがあればそれは、感情の発露への引き金になり得る。


ということは。と、視界の左端にある木を見る。


昼食のあと、少しばかり体を動かしたくなることがある。

あれは、まだ大学に入ったばかりのことだろうか。高校生の頃のような感覚でいた僕は自分の運動能力を過信し、「久しぶりに木登りとかしてみようかな」と思い立った。

そこで、ベンチから立ち上がってすぐ目の前にある、やや細めの木の、いちばん低い枝に手を掛けたわけである。


結果としては、その無謀な挑戦は大失敗し、当時70キロあった僕の全体重を掛けた細枝は根元からバッキリと折れて僕の体と一緒に地面に叩きつけられた。



その木が今、僕の視界の左端の、少し動けば手の届きそうな位置にある。


「白」の能力は、動きの速いものではなさそうだ。多少の動きを咎められることはないと思う。


折れ、尖った枝に近づき、手を伸ばせば届くほどの位置にあるそれに手を掛け、ぶら下がる。

体重で枝が手に突き刺さるかと思ったが、枝の尖端は感じられても突き刺さる気配はない。敵前で木の枝にぶら下がるという意味の分からない行動をとっている自分、という字面に耐えられなくなる。


「恥ずかしいわw」


と、自分で突っ込みを入れてみるが、なおさら恥ずかしい。…しめた、今だ。


「黒」


と、吹き出す黒。埼珠大で今も授業を受けているであろう同輩方には申し訳ないが、僕自身も命の危機なので許してほしい。


「白は少し勢いづく。」


兼沢の声が聞こえる。「黒」と感覚を共有すると、あらゆる感覚に激しいノイズが混じっているのが分かる。黒く綿密に組まれた結合のせいで、僕自身の視界では黒にしか見えない「黒」も、密度にすればもはやモノクロテレビの砂嵐程度に「白」と混じり合っている。


そのせいで、「白」を通して兼沢の独り言が聞こえる。


「そろそろ宜しいでしょうか。」


なにが宜しいのか。


「黒、止まれ。」


「白」によるノイズが大きく、発生源である兼沢の様子は殆ど捉えられない。


「全て、僕の周辺に集まれ。」


「白」に侵食されない完全な、ほとんど凹凸のない形状を作りたい。しかし、周りの木々を破壊してしまうのは忍びない。


「半径1メートル、残りの広がりは地中と地上、同じ分だけ上下に円柱状に延びて。」


息苦しい、という感覚に似た、周囲に「黒」が集まる感覚がある。


「僕を上に押し上げてくれ。」


体全体に加速度が加わる。射出されるような速度で高度を上げ、下を向いて傾いたまま止まる。上空100メートルくらい。感覚共有しているだけなのに目がくらむような気分になる。


「残りは全部、地下の方へ。」


地下に刺さる「黒」は、すでに感覚共有の範囲を外れている。一方で地上の「黒」は領域を狭め、もう少しで円柱に変わる。


「僕の顔の前の黒だけ、仕舞って。」


「黒」の感覚共有はノイズがひどく、「白」に対して有効に働かない。今の状況は自分の視界を使って確認するしかない。


最後の「黒」の薄膜が消え去ると、視界は一杯の「白」に埋まる。


「これは、確かに……やばい。」


語彙力が死ぬくらいには脳が混乱する。文字通り、頭が真っ「白」になる、なんつって。

もとより昼と夜のあるこの星で、ほとんどの人は「暗闇」というものを経験したことがあるだろうと思うと、黒一色より白一色のほうが精神に悪いのではないだろうか。


1997年のカナダ映画に、「CUBE」というのがある。内容には触れず、脱出ゲームの傑作だということだけは記しておくが、この映画の最後のシーンには脱出ゲームによくある「日常に戻ってきた感」が全くない。

実際のところ、どうなのだろうか。最後は日常に戻れたのか、それとも一回り大きなキューブがあったのか、もしかしたら地球最後の生き残りで、外には手つかずの自然と折れたエッフェル塔が朽ち果てて広がっているのかもしれないが、とにかく真っ白な光だけが成功者の目の前に広がり、終わる。


続編が出ているからそれを見れば何か事情が分かるのかもしれないが、分かってしまったらそれも寂しいような、もしくは、全く違うストーリーで同じ脱出ゲームが行われているとしても、初作と比較してしまい、がっかりしてしまう可能性が怖くて未だ見れていない。


CUBEの最後のシーンは、制作者の意図が何だったかは知らないが、僕に深い不安を植え付けた。そのせいで、忘れられない映画になったというのもあるが、とにかくそのときの感情に似た不安感が僕を襲う。


「黒。」


こんなにも広がった「白」に対して、「黒」の影響力など大したことはないだろう。全力で、勢力を広げろ。


「あと、僕を地面に降ろしてくれ。」


エレベーターほどの速度で、僕の体が下がっていく。どういう仕組みか、顔の前に開いた窓は閉じることが無い。


指示をすれば閉じるのだろうが、白には見入ってしまうような力がある。DHMOではないが、光というものには毒性と依存性があるのだとよく分かる。


僕らは強い光を見続ければ、失明してしまう。一方で人間社会は、光が無ければ成り立たないだろう。


理解を越えた状況に陥った時、人は視界に頼って状況を判断しようとする。聴覚や嗅覚ももちろん使うが、一説では感覚のうちの8から9割を占めると言われる視覚の影響力は伊達ではない。

視界を覆う「白」の中で、僕は瞼を閉じることが出来ない。閉じたくない。


「白」に、自分の精神が操作されている気分。癪だな。


「黒、白を全部食え。」


体に伝わる一瞬の浮遊感と、真っ暗闇の安心感。


どうやら数十センチ下にあった地面に尻もちをついたらしい。ひんやり湿った感触が尻に伝わる。


「黒」は「白」を削り取ろうとするが、捉えどころなく「白」は逃げていく。「黒」の領域の端を高密度なものにすれば「白」が領域に入り込むことはないが、包み込もうとするとほんの隙間からすり抜けていってしまう。

全く削り取れない「白」に対し、「黒」もどことなくイライラしているように感じる。


「黒」


どこまで、出来る。どこまで、この白を蹂躙できる。


どこまでも、色よいという返事はないが、以前より精密になった黒と僕の感覚が白の性質を再認識する。


白の粒子は捉えどころがない。つまり、全く「結合しない」。とはいってもある程度は密集する性質を持っているから万有引力を除いても互いに引っ張りあう力を多少は持っていると考えられるが、一方で、結合することによるメリットをすべて失っているといえる。

初めに思いついたものだからもっとよく考えれば他にもあるかもしれないが、結合することによるメリットを一つ上げるとすれば「硬くなる」ということだ。特に、宿主が硬くなる。


逆に言えば、「白」は結合できないことによって宿主を危険にさらしてしまっているということになる。明らかに、僕が突くべき隙だ。




僕の「黒」の領域は、大体、行川植物園を覆うくらいである。

不思議と空気抵抗を受けない群体生物の黒ではあるが、白からの抵抗というか圧力は受けるようで、容易に領域を広げることが出来ない。


その「黒」の領域に、既に兼沢の姿はない。


僕の思考は巡り、理性が感情を上回る。僕が自分から止めなければ止まることがないと思っていた「黒」の放出が、弱まっているのを感じる。


完全に放出が止まるかと思った直後、「黒」が僕に、激しい感情を流し込んでくる。一昨日か、もう少し前のことだったか、能力を得た日の夜もこんな感じの気分だったなと思う。


僕の冷静な、決して優秀とは言えないが、感情的な時よりは幾分ましな思考と、外付けの「黒」の感情によるエネルギーというか爆発力というか何というか……

なかなか、僕らはいいコンビなんじゃないかと思う。


神経を集中すると、大まかにではあるが兼沢の場所が分かる。原理はドップラー効果

と同じく。こんなに精密に粒子一つ一つの速度が認識できると知って僕も驚いているところだ。



ところで、ドップラー効果って名前が有名になりすぎて、もはや理系っぽくないとすら思われているところがなかろうか。


「おまえリケーなんだろ!なんかリケーっぽい単語言ってみろよ!!」


「うーん……うーん。……ドップラー効果?」


「えー!ドップラー効果だろ!そんなん俺でもしってるぜ!あれだろ!きゅう急車の音がなんか変わるやつだろ!!」


とガキ大将みたいな人に言われるという被害妄想を、小学校高学年か中学の入りたてくらいに抱いたことがある気がする。あいにくこんなに砕けた日常会話をするような友人は身の回りにいなかったから、幸か不幸か、こんな感じで馬鹿にされたことは一度もないが。

並の小学生の知識なんて大学生から見れば、理系だろうと文系だろうとほとんど変わらない。ドップラー効果くらいで馬鹿にされた気分になるなと過去の僕に言いたい。


さて、おおよその位置を特定してからは早い。あとは兼沢を覆い包むように黒を張ってしまえば、寄生する「白」ごと一網打尽だ。他愛ないな。


僕は、勝ちを確信する。


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「青緑」#009999


無限に増殖し、宿主の体の中で網状に結合する群体生物。宿主が寄生されていることに気付くのは稀であり、死後、切開されたときに取り出されることはあってもすでに脆くなっていて何の役にも立たない。宿主の神経を激しく鋭敏にしたり鈍化させたりし、時々、宿主を死に至らす。





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