公園

帰宅してすぐに寝入ってしまったらしい。

起きたときの癖で、枕元のスマホを開くと、親から連絡が来ていた。めちゃくちゃ心配しているっぽいけど、なんか返信する気分になれなかったので画面を閉じる。


気分が浮かないな。


人といるのは楽しいんだけど、その分、一人になってしまった時の寂しさを強く感じる。

能力を手に入れてからこの二日間、感情を感情の発露と関連して考えがちで、浮かんだ感情をとりあえず表現してみようという気分になったりする。


寂しいという感情は、発露が難しい感情だと思う。


恋しさともいえるような寂しさ。英語で言うならmissのような寂しさは、悲しみに似た感情として捉えられるが、lonelyというのは捉えようがない。

そもそも、と決めつけられるものではないが、僕の場合は感情表現を人とのコミュニケーションのための手段として外付けで使っているところがあるので、独りでいることと感情を表現することは矛盾しているようにも思える。


「寂しい。」


と、呟く。手で目を覆い隠す。


布団の上で足を延ばして座り、上半身だけを持ち上げて座っている。長座体前屈のように上体を前に倒し、太ももに頭を付ける。視界がやや暗くなる。


「寂しい。」


悲し気な声が出てきた。その声のせいで気持ちがちょっと落ち込んでしまった。


時間は8時58分。1限には間に合わない時間だ。2限は休みだから、今から急いで授業に行く気にはなれない。

大学に向かいがてら、散歩でもしようと思う。





大学の最寄駅は行川おいかわ市駅という。埼珠大学は行川市キャンパスの1キャンパスからなり、理学部と工学部のみで構成されている理系大学である。

埼珠県の埼珠大学というから、初めて聞いた人は国公立大学だろうと思いがちだが、埼珠大学は私立であるので、ややこしい。

国立大学は各県に少なくとも一つある、というイメージがある。埼珠県で言うその国立大学は埼珠医科大学であり、こちらは名前が私立っぽくてなおさらややこしい。


行川市は埼珠の中でも東亰に近く、一端は東亰の中の一つの区に触れている。埼珠県の中ではどちらかというと発展した市で、日和に比べて高層のマンションなどが多い。

一方で、昔からの市の方針なのか、自然公園なども多い市で、都会だからと言って自然が少ないわけではない。


埼珠大学の近くには埼珠県立の植物園があり、理学部のどこかの学科とも共同研究しているらしい。

近いとは言っても僕が普段使っている梅の綺麗な公園ほど身近ではないが、やや苔むした赤レンガ敷きの遊歩道と薄暗い森の雰囲気が好きで、たまに行っている場所である。


線路を挟むように置かれた行川市駅のプラットフォームへ、進行方向から見て左側の扉から降りるとすぐに登りの階段がある。

東武蔵鉄道の駅はたいていがこの形で統一されている。だから、電車がいているときは階段から降りたところで電車に乗ると、降りるときにもホーム上をあまり長く歩かなくていいから少し得した気分になる。


駅から出ると小さなロータリーがあり、ロータリーの中心には雑草の生い茂った緑地と、錆びた金属製の青い時計塔がある。

小さな青い円錐形の下に3方向を向いた、鈍い金色の時計は9時17分を指している。


ロータリーから一直線に伸びる車道の奥にはT字路があり、その突き当りには小さく「…大学」という文字が見える。白い看板に角ゴシック体の文字で見えるその文字の左側には「埼珠」と続くわけだが、ちょうどそこが、僕や坂家の通う埼珠大学ということになる。

まるで総合大学のような名前をしているが完全に理系大学だから、埼珠大の学生はジョークでよく「埼珠理科大学」などと呼んだりしている。国立大学でもない、総合大学でもない、二重のフェイクである。

この特別感は大学外の友人などに話してもいまいち理解してもらえない。とくに大学に詳しい友人なんかには「世良大学は?」とか言われてしまうわけである。ちなみに世良大学というのは歴史の教科書の主役ともいえるあの世良県にある私立文系の大学で、埼珠大学よりも長い歴史を持っている。


どうせなら突き当りの中心に堂々と「埼珠大学」と掲げてしまえばいいのに、何故かそうなっていない看板の右側には大学のテニスコートが少しだけ見える。

テニスコートに沿って続く歩道を右側に進むと、区画を区切る細い道があり、そこで埼珠大学の敷地は終わっている。


横断歩道を渡ると、巨大な森林公園が左手にずっと続いているのが分かる。わずかに右方向に湾曲した二車線の車道の先には、白く低い塀と柵を挟んで深緑の木々が見える。

ここが、埼珠県立行川植物園である。


埼珠大学からの距離としては最も近い公園がここになるのだろうが、講義棟からはちょっと遠いからちょっと使いづらい。

しかし、雨の日にはちょうど降られないところにベンチがあったりするので、そういう時は便利に使える。飲食禁止の看板を見たことが無いから勝手に中で昼食を食べているが、本当に飲食OKなのかは半信半疑である。


横断歩道から左に曲がり、さらに道と森林を仕切る塀に沿って歩くとすぐにT字路があり、そこも左に曲がると、植物園の入り口に着く。

園を囲う塀と同じ白色に塗装された大きな門の左右に立つ、2メートルはありそうな柱の左側に付けられた立派な青銅製の看板には重厚な文字で「埼珠県立行川植物園」と書いてある。


初めにここの名前を見たのはこの大学の受験に来た時で、受験の帰りにはふらふらと大学の周辺を散策して気を晴らす習慣のあった僕はすぐにこの植物園を見つけた。

受験で緊張していることもあり、行川市駅の到着アナウンスすら聞いていなかった僕はここに来て、看板を見た時に行川いくかわと読んだ。それから駅に戻って駅名から、ここが行川おいかわ植物園であることを知ったわけだ。


とまあ、そんな小話を持ちネタとして持ってはいるが、披露するタイミングは今のところ一度もない。

そもそも、隣の大学に通っているくせに僕の学科には行川植物園のことを知っている人はほとんどいないし、さらに、「行川」をよく見る読み方である「ナメカワ」とか「ギョウガワ」とか読まずに「イクカワ」と読んでしまったせいで、純粋にここ独特な読み方であるという「オイカワ」をネタにする前に難読漢字の行川の読み方が分からないという二重のボケは、説明するのが面倒くさいし、長ったらしく説明したところで冷めてしまって面白くない。結局、僕の方が誰かに話したいだけの、大して面白くない話なのである。


だからまあこういう風に、頭の中でたまに自分に対して話すことによって、話したい欲を消化しているわけである。



入り口から続く、不思議なほどグニャグニャしたレンガ敷きの小道を、1分ほど歩くと一つ目のベンチがあって、そこに一人の壮年の男性が座っている。


ワックスでがちがちに固めたややM字寄りのオールバックは「白」色に染まり、年中湿っていてカビだらけの、焦げ茶色と緑の混じったような色のベンチに平然と腰かけている人間の服装とは思えない、折り目のついた背広も、髪ほどではないが白色である。

男性は背もたれを使う様子もなく、猫背になることも無く、一寸ちょっとの乱れも無いピンと張った背筋のまま、不透明な白い蒸気を吹き出しながら首を地面と平行に回転移動して、僕の方を見た。


「『黒』の方。まさかここで会うとは思ってもみない。ちょうど、休憩をしていたところでして。わたくし、明るいところが苦手でして、この植物園は非常にわたくしの身体に合っている。」


ほとんど感情の感じられない、無機質な抑揚の声は、怖い。


「わたくしは埼珠県警警備部公安課。兼沢かねさわ直衛なおえと言う。」


「えっと、公安課って、いわゆる公安ってやつですか?」


警察については良く知らないが、公安というとなんかやばそうなイメージがある。


「え、もしかして僕を逮捕しに来たんですか?」


「そう。」


「そう。」じゃないが。

常人の0.75倍速くらいの速度で頭をゆっくり上下させた兼沢を見ながら、僕はどう反応して良いのか分からず、フリーズする。


「なら、全力で逃げますけど。」


と言ってみて、リアクションを見る。


兼沢は全く言葉を発することなく、身動きすることもなく、つまり僕の言葉に反応した様子が全くない。


「『黒』…」


僕は戸惑ってはいるが、今の声は感情の発露としては弱いらしく、「黒」は僕の皮膚の下で留まったままだ。


「僕の体を覆って。」


万が一を考えて、服の中に「黒」を潜ませておいてよかった。辛うじて体を覆い隠せるほどの「黒」で体を覆い、最低限の防御を固める。


_______________________________________________


「白」#FFFFFF


無限に増殖し、結合することなく拡散する群体生物。あるいは、煙状に結合するともいえる。広いスペクトルの光を発し、別世界では神聖なものとして、聖職者の一部が宿主となっていた。宿主が冷静であるとき、宿主の意思と無関係に体の外へ溢れ出る。

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