特別なマオが普通になった特別な一日

葵トモエ

第1話

『第六感』という言葉がある。だがそれは、持たざる者たちが使う言葉であって、常に持っている者にとっては、普通の感覚なのだ。

だがもし、その普通の感覚のひとつが、ある日抜け落ちたらどうなるのか?


私の名はマオ。私は、何か行動に出ようとすると、必ず声が聞こえる。回りを見ても、誰も私に声をかけている様子はない。でも、確かに聞こえる。私はその声を、誰でも聞こえるものだと思っていた。


子供の頃からそうだった。両親が仕事で海外に行くために家を出ようとしたとき、いつもなら笑顔で見送る私は、どうしても嫌だと言って両親を困らせたことがあった。結局予定していた便に乗り遅れた両親は、次の便で向かったのだが、最初に予定していた便が墜落事故をおこし、両親は危うく難を逃れたのだ。


学生時代のことだ。先生が試験範囲を発表すると、私は、

「○○は出す。△△は出ないんですね、先生」

と問いかけた。その時の先生は、真っ青になって私を見ていた。だって、問題で出るのはここだって、声が聞こえるんだもの。それ以来、試験の前には問題を聞いてくる学生で一杯になったが、私はその学校を退学した。私は別に職員室に忍び込んでいる訳ではないので、警察に捕まることはない。退学したのは、試験問題予想的中100%、という肩書きがついてしまい、試験問題をすべてバラされては学校側の立つ瀬がない、といわれたためだ。


私は、近未来占い師、というものになった。


近未来、と限定したのは、すぐ先のことについては声が聞こえるが、数ヵ月先のことについての声は聞こえないからである。だから、

『今日、宝くじを買おうと思うが当たるだろうか』

という質問には答えられるが、

『いつ宝くじを買えば当たるのか』

という質問には答えられないのだ。


歯が痛い。歯医者に連絡したら、明後日来て、と言われた。明日一日の我慢だ……でもこの痛み、我慢できそうにない。今あるのは、期限切れの市販の鎮痛薬……効かないのはわかっている。声がそう告げる。でも飲まずにいられない……飲んで寝よう。


翌朝、なぜか痛みは止まっていた。なんだ、効いたじゃないか。声もたまには間違うんだ…………

「え!?」

と私は思わず声をあげた。声、声、声……聞こえない!!


私が何か行動を起こそうとすると聞こえていた、私の行動を決める声が聞こえないのだ!どうして?……夕べのあの、期限切れの鎮痛薬のせいか?


「……で?」

「……で?って、声が聞こえなくなったのよ」

私は、私のこの感覚のことをわかっている、学生時代からの友人に電話した。もちろん、声は聞こえないが、私にはそうするしかなかった。すると友人は、

「マオも普通になったんじゃない。いいことよ。声なんか聞こえる人は、普通いないんだから。今日は普通のマオとして過ごしたら?」

とあっけらかんとしている。

「普通って……私の普通は声が聞こえることなんだから、これは特別よ」

「じゃあ、普通になった特別な感覚のマオが、普通の人として過ごす、特別な一日を楽しんでみたら」


ということで、私の普通の人としての、特別な一日が始まったのである。


まずは今日着る服を選ばなくては……昨日までは服を着るまでは5分とかからなかった。その日の服なんて、声に従えば迷うことなんてない。だが今日は……ああ、もう!何を着ればいいのか、わからない!

「まず、今日の気温に合わせるのよ。今日は暖かいから、ブラウスに薄目の上着を羽織ればいいんじゃないの?それから色。上半身と下半身で、色のバランスを取るのよ」

電話で泣きついた私に、友人が教えてくれた。みんな、毎日こんなことしてたの?友人は

「これが普通の感覚よ」

と言った。普通の感覚って、疲れる。


結局、一時間以上かかって今日の服を選んだ。黒のブラウスに白のパンツ。バランスとれてるから、これにした。朝食は食べたくなかった。服を考えるので疲れたから……考える?今まで私、何かを考えたことあったっけ?必要なことは、いつも声が聞こえて、そのとおりにすれば間違いなかった。

『キョウノフクハ、コイ、イロ』

占いの結果に不満な客にコーヒーをぶちまけられても大丈夫なのだ。


仕事は休み。声が聞こえないんじゃ、仕事にならない。家にいてもすることがないから町に出て、通りを歩いていると、

「あぶない!なに考えているんだ!?」

いや、何も考えていないし……声?いや、これは私の感覚の声ではなく、男の人の声。

「そこは車道だぞ!!」

聞こえたとたんに私は強い力で腕を引っ張られ、尻餅をついてしまった。車が私スレスレに通りすぎた。危うく轢かれるところだった。


「痛いじゃない!」

と顔を上げると、若い男が、怖い顔をして立っていた。

「助けてあげたのに文句を言うんじゃありません!あなたは頭が働いてないんですか?車道に突っ立ってるなんて!」


いつもなら、危ない状況になる前に、

『アト、5ホアルクト、シャドウ。デタラ、クルマトブツカル』

という声が聞こえるから、そうしたら止まればよかった。今は聞こえないから、つい車道まで歩いてしまったのよ……と言いたかったが、普通の人に言ってもしょうがない。それに、いつもなら近づいてくる人物が、私にとって有益か否か、声が教えてくれるのに、今日はそれがない。この男が何者なのかわからないので、どう対処すればいいのか。

「すいません」

私は軽く頭を下げて、歩き出そうとした。だが、今度は回りの視線が私に向かっているのに気がついた。

「おしり」

とさっきの男が小声で言うので、後ろを見返すと、白いパンツのヒップのところが、真っ黒になっていた。尻餅をついた場所が、土の上だったのだ。もう、最悪だ~!!すると、ふわっと何かが肩にのった。男物のコート。彼が自分のコートを私にかけたのだ。

「とりあえず、これで隠れるから。家は近くなんですか?」

私が首を振ると、

「じゃあ、買いにいきましょう。僕が手を引っ張って転ばせてしまったんだから、責任とりますよ」

と言って歩き出した。私は、

「知らない人に買ってもらうわけにはいかないわ」

と断った。すると、

「僕も、ずっとコートをお貸しするつもりもないのでね。とにかく、着替えてもらわなくちゃ」

と言われ、仕方なくついていった。


彼が選んだ服は、明るい色のワンピース。

「色々考えましたが、あなたは黒や白より、この方がお似合いです」

と言って笑った。

「いつも、色々考えるの?服を選ぶのに?」

私は聞いた。彼は、

「いつも、ではありませんが、大切な時には考えますよ。普通でしょ?」

考えることや、悩むことは普通のことなのか。私は声の通りにしてきたから、悩むことも考えることもなかった。それが普通だった。今日は、声が聞こえないから仕方ないのだ。特別なのだから。


「どこに行くんですか?」

彼が聞いた。

「本屋です」

と答える私……でも行き方がわからない。いつもなら、声が方向を教えてくれていたのに……

「変わった人ですね。行く先もわからず歩いていたんですか?……世話の焼ける人だ……案内しますよ、本屋まで……何泣いているんですか?」


私は泣いていた。服も選べず、本屋の場所もわからず、私はこれからどうなるのかわからず……今は普通の人間がしていることがひとつもできない。私の行動を決めていた声。その感覚がひとつ無くなってしまっただけで、私は私の普通がすべてできなくなってしまったのだ……それが悲しくて、泣いた。


気がつくと、私は彼に、自分に起きたことをすべて話していた。彼は黙って聞いてくれた。

「あなたが『考える』ことを学んだことは、無駄ではありませんよ。普通の人の感覚を知ったのですから。今日は、あなたにとって特別な一日ですね。近未来占い師のマオさん」

彼が私の名を呼んだので驚いた。

「僕は石塚、といいます。以前、あなたに占っていただいて僕の人生は変わったんです」

石塚?どこかで聞いたような名前……と、その時、あの痛みがやってきた。どうやら、あの期限切れの鎮痛薬が切れたらしい。あまりの痛みに、私は、

「歯……歯が痛くて……明日まで待てない……!」

と彼に言うと、彼は、

「じゃあ、行きましょう、歯医者!」

と私の手を引っ張った。


私が連れていかれたのは、

『イシヅカ・デンタルクリニック』

という歯医者。私が昨日電話した歯医者だった。

「あなたが予約した、『佐藤真央』さんだったのですね。普通の名前なんで気がつかなくて、失礼しました。占い師のマオさんは、僕にとっては特別な方でしたのに……」

どういうこと?と聞きたかったが、口を開けているので聞けない。

「以前、開院した場所で全く流行らなかったため、移転先に色々悩んでいたとき、あなたが言ったんです。『決めてよい』と。僕はそれでここに決めた。あなたの特別な感覚が僕を動かした。お陰で繁盛しています。そして普通のあなたにも出会えた。特別な占い師でない、普通の女の子のあなたを知ることができて良かった」

彼が笑った。私の心臓、なんでこんなにドキドキしているの?治療が終わって、歯の痛みも無くなったのに、まだドキドキが続いている。


「これからも、僕とお付き合いしていただけませんか?」

その言葉に応じるように、私の中で、声が聞こえ始めた。戻ったんだ。私の普通。近未来の予想……その声は言った。


『ワタシハ、コノオトコト、コイニ、オチル』


終わり




















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