【KAC20223】令山代緑(れい・やま・だいろく)の長考【第六感】

なみかわ

令山代緑の長考

 令山れいやま 代緑よしえはおそらくどこにでもいる30代の会社員、女性だ。名前が一発で読みづらいことからか、皆には『ダイロク』と呼ばれてきたが、それもキラキラネームの多い昨今では珍しいことでもないだろう。



(……?)

 ある日、ヨシエは頭を振った。

 突然、目の前の何も無いはずの空間に、正方形の升目、それはマルバツゲームのような3かける3の……が見えるようになった。飛蚊症、というものかもしれない。ネットで病名を検索して、近所の眼医者にかかったが、とくだんそういう診断もうけず、パソコン作業での目疲れに効くという目薬を朝夕さすようにした。


(……??)

 次は、その升目に見覚えのある漢字がばらついて見えるようになった。金、銀、飛車、角……は、上下逆。それはまさしく『詰め将棋』だった。

 先日から気になっている、将棋のタイトル戦の盤面を見つめすぎていたのかもしれない。しかし仕事帰りに自販機でどれを買おうか迷ったとき、思わずの駒を人差し指で動かしてしまう……うっかりロイヤルミルクティーのボタンも押してしまった、が。


『ポーン』


 自販機は当たり当たりと光りだす。……もう片手にカフェオレの缶をつかんで、ヨシエはどういうことなの、とつぶやいた。



 升目は5かける5に広がっていた。


(三手詰め、ですか)

 ヨシエは一昨日の偶然が偶然かどうか、確かめることにした。3つの数字を当てるくじをやってみよう、と。空間の升目を見つめる。この盤面だと5筋までしか無いが、どうせ外れても200円、三手の筋で試した、ら。

 なんとその数字が当たりとなった。



『ポーン』

 1週間ほどしてスマートフォンの通知が、当選金の振り込み完了を告げた。


 これはいよいよ大変なことになっているのかもしれない、いやでも数字3つを当てるだけならまた偶然はあるだろう。次にヨシエはサッカーくじを試すことにした。三手詰めの筋で競馬の1着から3着を当てる『三連単』というのにも挑戦してみたかったけれど、競馬に詳しい友達はおらず、ひとりでWINSに行く勇気も出なかった。



 毎日空間の詰め将棋を解いているうち、升目は7かける7、13手詰めに成長していた。

 サッカーくじは13チームの勝敗を0,1,2で予想する。ヨシエは勝手ルールとして、奇数の筋に駒を動かしたら1、偶数の筋なら2、どちらかが駒を取れば0、とした。どうせ外れても100円だが、すこし欲が出て、偶数なら0、駒とりなら2のパターンも買うことにした。どうせ外れても200円だが、ヨシエは2日会社を休んだ、そうしたら。

 なんと片方のくじが一等を当てた。



『ポーン』


 振り込み完了通知の音が、これほどまでに甘美だとは。ヨシエはお取り寄せのステーキとワインで、空間の『詰めろ』を思い出しながらにやにやした。






 半年後、ヨシエは会社をやめた。退職届に『FIRE のため』と書きそうになるほど、あっという間に金持ちになった。真剣にを解けば、確実に金品が得られた。もう、生活のために昼間にオフィスワークをする理由がなくなった。もしも当たらなくなっても、これまでの有り金を転がして(運用して)複利で食っていける。それでも食えなくなったら、また、どこかで働けばいい。


 不動産の投資だと言い聞かせて、タワマンの最上階の部屋も買った。維持できなくなったらパッと売れば良い、そう思いきった。






 20時、低層階と高層階エレベーターをつなぐ19階の広いフロアにひとりいたガードマンが、いつもは気さくに挨拶をしてくれるヨシエを見つけびっくりする。昼すぎに「映画を観に行ってきまーす」と告げた顔とは別人で、眉間のシワが切り込みほどにすさまじい。



「お帰りなさいダイロクさん、何かあったんですか?」

「……」


 ヨシエはブツブツとすこし斜め上をにらみながら、ガードマンには目もくれず高層階エレベーターに乗り込んだ。



 盤面はヨシエがこのタワマンに引っ越した頃、ついに9かける9、つまり81マスのフルサイズとなった。手数は毎回ランダムになった。難易度の高い5手詰め。


 今度の日曜日、に競馬場に連れて行ってもらう。なんでも、5つのレースの1着を当てるやつがあるそうで。もしも当たっても『ビギナーズラック』と言えば友達もだろう、この5手詰めの答え通りに馬券を買うことなど。


 1レースに最大18頭の馬が走るらしい……5手詰めの手で考えられるパターンすべてを、『スマートフォンの会員サイトからも』一万円ずつで買う。……例えば一手目が一8飛であれば、1レースめは1か8か18、とする……表向きは100円一口分だけマークシートに書く、という筋書シナリオも考えている。駒を進めた通りに競馬の結果が来るならば、直接競馬場でも見てみたかった。





 突然、が揺れた。



(えっ)

 揺れたのは盤ではなく自分のいるエレベーターの方だと気づくまでしばらくかかった。


(て、停電?)

 真っ暗で大きな箱の中に浮かび上がる将棋盤。やがて非常灯が将棋盤をライトアップするかのように点灯する。


(待って、いまの続き)

 駒は目前から一旦すべて消えてしまい……パタパタとの初形に姿を変える。


(いや、ここから出ないと)

 非常時にはすべての階のボタンを押す、それをやろうとしたがどこも反応しない。


 風の音か、外で何か起こっているのか。揺れを感じてヨシエはキャアと叫ぶ。


(嘘でしょまさか)

 それでも目の前には詰め将棋。これは一手詰め。ヨシエは恐る恐る玉を詰める3二のボタンを探す。そもそも高層階エレベーターだから18より下のものなど存在しないはずなのに、1から31まで縦3列にずらりと並んでいる……ことにも異常を感じ忘れて。

 しかし3も、一つ下の2のボタンも反応がない。

(どうして!?)

 落胆して手を滑らせて1のボタンに指が触れた。その瞬間、聞き慣れた音がした。



『ポーン』



(えええ、1?? 3二金以外の手が?)

 見返そうと、まばたきするとが出現する。……これは絶対に5五角だ。5のボタンを連打するが、何も起こらない。

 7,3,4,1,2,6,3,3……次々と変化する問題に対応するも、全くエレベーターは元に戻る気配を見せない。次も、その次も。動悸が激しくなる。


(見逃してるはず無い、今まできたんだから!!)



 次の初形は、盤に玉しかない、『裸玉』。升目が目前で拡大縮小回転を繰り返し、自分の持ち駒も確認できない。やがて盤がヨシエの周りにまとわりついた。視線と水平の、自らがとして立っていた。


 バツン、バツンと遠くから飛車角の大駒が打たれ、狙われる。あたふたと逃げて、エレベーターの壁にぶつかる。いつの間にか歩兵に囲まれている。踏み潰してしまえと、ウワアと両手を振り上げたら、遠くから真白の馬に乗る騎士が駆けてきて……それは並ぶ歩兵たちを飛び越え、金の槍を構えた。



 に心臓を貫かれる直前、ヨシエは「なぜさきの3二金ではなく1筋の何か」で正解と見なされたのか閃いた。あれはではなく、


(手数を選ぶ、ん、だ……)


 一手詰めだから1、がでは正解だったと理解した。





 故障したエレベーターの中、ヨシエは倒れ、起き上がることも、さらなる詰め将棋に取り組むことも、二度と無かった。

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