3

雨上がりの空気に自分も溶けそうになる。吐息が白い。ポケットに手を突っ込む。

二人は歩いて森山夫妻の家へ向かう。それ以外に交通手段を持ち合わせていないから。

僕は先導して進む。

農民が畑に立ち尽くしている。僕たちをみることはない。

「なぁ」

僕は振り返る。

「なに」

チェンは素朴に答える。

高須さんの件は如何に処理されるのか。現実は甘くない。現場はほったらかしであろう。

聴こうと思ったが、やめた。無意味だ。これからどうなるのか考えたくない。目を背けたい事実を僕は手に入れた。僕を護ってくれた高須さん達の裏側を見る立場となった。

抱えるしかない過去、高須さんの死に介入した苦渋を洩らしながら、森山夫妻のカミングアウトと出逢うまでのタイムリミットを数える。チェンの話を全面的に信用出来ない。出逢ったばかりだ。まだ何も話せていない。何者か知るより先に行動を共にしなければならない苦痛にお腹がきゅっと捻れる。

いいことばかり訪れない。悪いことだってやってくる。それにしたらあんまりじゃないか。

記憶は取り戻せていないが、それなりにこの時代で僕は恵まれていた。友人が出来た。破綻が突然やってきた。

「どうしたのよ」

彼女は苛立ちを覚えている。

「なんでもない」

「なら、どうして」

戸惑い。お互いに。

胸の中から言葉は発せられない。

僕は笑った。

どうして笑うのか自分でもわからない。

チェンはアヒル口になる。

「あなたの夢ってなに」

「いきなりなんだい」

これからなにが始まるのか。僕は状況を管理したいが難しい。他者が絡むといつもそうだ。

「ちょっと気になって」

「君の夢は」

チェンは空を見上げる。

僕を見る。

彼女の瞳に意識が奪われる。

瞳は青空のようだ。

何故僕は彼女の瞳に集中するんだろう。

わからない。

「ねぇ。」

僕は声を出した。

彼女は髪を掻き上げる。

「なに?」

「何処か違う世界へいかないか」

「突然ね」

「行こうよ」

「行ってどうするつもり?」

「どうもしない。ただ行きたいんだ。行ければいいんだ」

チェンは微笑む。疑問を問い返すように。

「あなたの夢はそれ?」

瞳の中に映る僕は戸惑っている。

立ちすくむ。

居場所がない。

語りたくない。語れることがない。

問われると焦る。

みんな、僕を気遣ってくれていたんだ。

安全な世界から一歩踏み出すとこれだ。だから異端者は嫌なんだ。

僕も異端者だ。

僕こそ異端者だ。

僕の夢は何だろう。

生かされた?

生きている。

目的は何か。

自分でもわからない。

記憶喪失だから。

「夢がないのね」

「そんなわけ」

「じゃあ何故答えられないの」

「記憶がないから」

「言い訳じゃないかしら」

この女はなにもわかっていない。

口に出さない。僕は思いを胸に抱える。

女は不思議そうに僕を見る。

やめてくれ。瞳の潤みが戸惑いをうむ。

「あなたって坊やね」

「君は何だって言うんだ」

「ちょっと声が上擦ってる。図星?」

僕は頭を掻く。頬が紅くなる。

蚊が肌を滑るように痒い。

リアルを割りたい。

今を遠ざけたい。

子宮の中で眠りたい。

眠れない。

僕は生きてる。

いつか死ぬ。

高須さんのように突然。

どれだけ今に尽くしていようが死んでしまう。

僕はなにをするというのか。

突きつけられている選択。

どの道も全部曖昧に答えてきたような錯覚。過去を侮辱する。今から離れた世界を軽くみて、安心を求める。

ここまで寝てる。僕は起きていない。

まだ眠っている。

死んだとて、起床できないような思い。

「現実を受け入れたくない」

「なに、それ」

「嫌だ」

走り出そうとする僕に彼女は片足を突っ込む。僕は転けた。

冷めたアスファルトが響く。

痛い。

彼女はポケットに手を突っ込む。

撃つ気だ。

「現実をみなさい」

「嫌だ」

「死にたいの?」

死にたくない。だけれども僕は迎えたくない。

森山夫妻が味方にしても敵にしても、嫌だ。

誰が悪いとか,悪くないとか。

利益、不利益。

何だそれは?

僕を巻き込まないでくれ。

勝手にしてくれ。

総てだ。

「いやなんだよ」

「ワガママ」

残念そうに僕を見る。貴方がいてもいなくてもわたしには問題ないと告げる瞳だ。

僕だって女がいてもいなくても問題ない。

それは自分自身を含めてだ。

空気が冷めている。

森羅万象を拒む。

意思は何処にある?

胸の中で僕は笑っているのか?

疑問が繰り返される。

「私だって無駄な殺傷をするためにやってるんじゃないの。貴方みたいにとんでもない馬鹿ちんを殺すなんてまっぴらごめんよ」

「俺だって殺されたくない」

「なら協力しなさい。いやなら立ち向かいなさいよ」

「君の独善的な選択肢に反吐が出る。僕は勝手にやらせてもらう」

拳銃。

音が響く。

痛い。

僕の脚に命中する。

周りに誰もいない。

僕の叫びは誰の耳にも届かない。

二人の孤独な世界。

「私だって、痛いわよ」

潤む僕の瞳に霞む女の実像。

衝撃に目を閉じる。

雫が僕の瞳に反射した。

雨か。

違う。

涙だ。

女は泣いている。

女の気持ちはしれない。

僕の世界があるように、彼女も世界がある。

それぞれは許されながら、罰せられる。

誰に対しても自己理解を押し寄せて、発狂する。

戦争のメカニズム。

戦争は終わらない。

いつまでも全滅するまでやり合う。

止まらない。

和解なんて嘘だ。

独りになるまで終わらない。

独りでは生きていけない。

だから最後は老衰だ。

滅亡だ。

涙は出ない。

気持ちが動かない。

僕は無感動な男だ。

女と違う。

自分自身でさえも忘れるような男だ。

ろくでなしなんだ。

「ごめん。僕は何もしない」

「私に殺させないで。運命に抗わなければ逆に殺戮されるのよ」

「僕を勝手に殺すなよ」

「私の手から離れるなら、貴方は大量殺戮者に手を貸すも同義だわ。さっきも話したでしょ? 忘れたの。あほなの、死ぬの」

僕はため息を吐く。

嫌な選択肢だ。知れば知るほど僕はドグマから逃れられない。彼女の話が本当なら僕は彼女に加担するし、それはつまり森山夫妻を非難することになる。

しかし彼女の話が嘘なら、高須さんを妄想を理由に殺した罪を突きつけることとなる。逢ったばかりの女。高須さんを殺した女。それは許し難いこと。

しかし、僕は自分を抱きしめようとする。

それでも僕は彼女を殺したくない。

この先を迎えたくない。

嫌だ。

しかし死にたくない。

責任から逃げられない。

慟哭の理由が溜まっていく。

いつか僕は死ぬ為に叫ぶだろう。

推測が溜まっていく。

僕は立ち上がる。

彼女は手を差し伸ばす。

「諦めてるのよ。諦めたら駄目よ。明日がある。明日がある。明日があるさ。だから生きてよ。私を信用してよ。信用出来ないなら、貴方の手で私を手離してよ。気持ち悪く生きたくないの。そうじゃない?」

本当に嫌気が差す。

僕はここで死ねない。

未来へバトンを渡す。

僕は無言で歩む。

足を引きずりながら。

「何かいいなさいよ」

「応急処置とかしてくれないんだろ? 進むしかないじゃないか」

地獄だ。最初から。

せめて最後には、おさらばするときにぶちまけてやる。

笑うとか泣くとかなんでも。

僕の心を動かせなかった世界に冷笑してやる。

そうか。これが僕の夢だ。

夢は嘲笑われるもの。

誰にも言わない。

僕は独りだ。

チェン。

君だってそうだ。

「ごめんなさい」

謝る女。

僕は首を縦に振る。

どうしようもない。

歩を進めるしかない。

面倒は事だ。

死んだっていいじゃないか。

破れかぶれだ。何もかも。

どうせ死ぬんだ。脚の一本、棄てる定めだ。

彼女は無言でついてくる。

僕も君も無力だ。

力がない。

だからどうしようもない。

ろくでなしだ。

何事も無駄だ。

それでも進むんだ。

嘲笑うんだ。

それだけが救いだ。

「進むしかないんだ」

僕は囁く。

僕の気持ちだ。

これが。

彼女は黙って頷く。

カーブミラーに映ってる。

振り向くのはしんどい。

しんどいのは嫌だ。

前だけだ。これからは。

そうしよう。

後でチェンから聴いた。

僕はこのとき歌っていた。

彼女は黙って聴いていた。

それはまるで戦場で眺める空のように見えた。

銃弾や泥や死体や敵兵よりも見つめていたい。

死ぬ前のご褒美。

何を歌っていたかなんてどうでもいい。

問題はいつだって何を思っていたのかだ。

どうせすぐに死ぬんだ。

死ぬ前に何をやったのかなんて気にしない。

お遊びだよ。

総て。


小綺麗に整理された森山家。

二人は辿り着く。

かつては約束された大地のような温かい安らぎを覚えていた。

今は違う。

死後の世界のように生命感が喪失している。

果たしてリアルはどちらが適当か。

変わったのは僕である。

どちらも正解であり、誤解だ。

これから迎える展開が胸の中を騒がせる。

チェンが狂言回しか否か。

高須さん達が殺戮者か否か。

どのように転ぼうが、僕は報われない。

真実に理解が及んだあと、僕は立場を弁えなければならない。

誰につくのか、どのように振る舞うのか。

誰と共に歩むことになっても嫌な思いをする。

一人、死んでいる。死人の事実が不幸を囁く。

誰かの暗い影を受け止める作業だ。負担が大きい。

もう孤独なレースは始まっている。

あとは何処で倒れるかだけだ。

祝福のゴールなんてない。

いつだって望まれないリタイアが待っている。

何処から始まったんだろう。

こんなとき、自分の不確定さに嫌となる。

タイムスリップする前の僕はどのような人間だったのか。

どうしてしたのか。

それは許容できるものか否か。

自分の為か、誰かの為か。

自分がやさしい人であって欲しいと思う。

そうなら、僕は傷つかない。

自分は利己的だ。

誰にだって影はある。自分にだって。

目の前の女をみる。

ふとしたときに押しつけたくなる。この女と出逢い短い時間で起こった不幸の責任を。

そんなの無茶だ。わかっている。

事象に絡まれたのは偶然じゃない。

僕も運命に恵まれている。

無知な安穏からは嫌われていたようだが。

「お願いします」

チェンは表情に乏しい。

しかし気持ちの機微は豊かだ。

感受性の弱い僕でも察する。

彼女の内面を絵画にしたらその絵からは離れることはできないだろう。

彼女の瞳から目を離せない理由。

彼女の人生から逃れられない。

彼女の人生に協力者が必要だ。

自然と求めている。

だからといって、簡単には手を貸せない。

僕にも人生がある。

他人にも。

僕は返事をしない。

何も言うことはない。

これから迎える現実を破壊したい。

欲求と困惑と不安が押し寄せる。

遠ざけたい。

女を殺そう。

僕ならいける。

現実逃避は安直な殺人欲求を呼び起こす。

ろくでもない。

僕は家の中へ進む。

なぜ進むのか。一体誰のために?

誰か一人というのなら高須さんのためだろう。

彼が死んだことに対してまだ僕は何一つ手をつけられない。

突然だった。

これから整理する。

そのための第一歩。

嫌となる。

チェンは外で見護る。

躊躇のない彼女のことだ。

僕が何かをしでかしたら、直ぐに姿を現すだろう。

そんなの知るか。

僕は僕の運命に責任を取る。

やりたいようにやらせていただく。

何がどうなろうと知らない。

僕は僕の大切なもののために動く。

それが何か、今揺らいでいる。

何一つ不確定だ。

しかし、だからこそ、水平線を意識して、空を思い浮かべて、平常心で目の前を享受する。

死ぬときが来るまで選択可能な今を迎えいれよう。

嫌がらせのようにやってくる今に対して両目を塞いでも仕方がない。

開き直って嫌らしい神様に対する不満を胸に納めながら死ねとブーイングする態度で呼吸する。

死後無能な神様を糾弾するために必要な儀式だ。

「ただいま」

「おかえり」

二人は何事もなかったように僕を迎えてくれる。

二人にはまだ知らされていないようだ。

何事もない。

当たり前だった日常に否がつく。

その感覚の違いを悟らせないようにしなければ。

僕にできるのか。

できないだろう。最初はよくても途中で破綻する。

ここで死ぬのは嫌だ。

しかし受け入れるしかない。

なんて無情なんだ。くそ。

「あれ。高須さんは」

チヒロさんが聴いてくる。僕はまばたきをする。これから嘘をつかなければならない。認証できない嘘をつくのは苦手だ。僕はチェンを護る根気はない。僕自身すら怪しいところだ。

「ちょっと用事を思い出したようで家に帰ったよ」

二人は顔を曇らせる。規定外、という感じだ。

「じゃあ問題の子は」

「外にいるよ。ちょっと待ってもらってるんだ」

僕は簡単に口を滑らせる。

当初の予定ではチェンは此処にはいない程で話を進める予定だったが、話を変えた。

全てが面倒だ。この事態をこのまま進めたくない。

新しい未来を見たい。想像を裏切りたい。

僕は別に今のままでよかったんだ。誰かが僕を利用していたなら、そのルートの延長線上で不幸を迎えたかった。

聡いフリをして愚かな囲いのなかにいる鳥のような人生を迎えるのは嫌だ。

不安で揺れ動く今に対して早くケリをつけたい。僕は何も知らないんだ。愛もないのに誰かのスパイのように振る舞うのはごめんだ。

チェン。君が正しいなら、僕に愛させてくれ。

君の力を見せてくれ。

君を愛するなら僕はどんな嘘だって受け入れる。

森山夫妻も高須さんも知らない。

君と共に地獄にだっていってやる。

死んでもいいさ。

だから君を招き入れる。

これは僕からの挑戦状だ。

「えっ」

扉の外にいるチェンは驚いている。

どうしてこんなことをするの?

表情が物語ってる。

チェン。

君は筋書きを書いていない。

そんなことをできる人なんてこの世にはいない。

この世は混沌。

なぜなら物語の書き手がいないから。

なることなんてできない。

僕は足掻く。

僕がなる。

さぁ一緒にいこう。

僕は彼女の腕を取り、中に招き入れる。

「チェンっていうんだ」

僕はチェンを紹介する。

森山夫妻は微笑む。

社交辞令で留まらない慈愛に満ちた夫妻の挨拶が始まる。

二人を見ていると殺戮者に思えない。

チェンは正気を取り戻そうと躍起になっている。

不測の事態に戸惑いを隠せない。

ごめんなさい。

謝罪の気持ちはある。

言葉、態度にはださない。

第三者として状況を見守る。

君はどうするのか。

チェンは夫妻から飛び出す質問に無難に答える。

事を荒立てない。

そして夫妻からタイムスリップの説明を受ける。

未来についての話も聞く。

僕との関連性など。

そして高須さんの話も。

そして色々話が終わったあとにチェンは一瞬の隙をついて、二人を射殺した。

彼女は僕も射殺しようとしたが、やめた。

僕は彼女にその理由を訊かなかった。

僕は夫妻が死んだことに心が動かない。

いつからか現実から気持ちが離れていた。

高須さんが死んだときから頭がおかしい。

気持ちが辛い。

今まで起きたことのどこまで本当で、嘘か自分でも判断が出来ない。

目の前にチェンがいる。

チェンは白いソファに座っている。

その前に二人が横たわる。

射殺された男女。

三人は話していた。

そうだ。少しずつ記憶が鮮明となる。

森山夫妻にチェンは打ち明けた。未来の記憶があると。

そしたら夫妻は微笑んだ。その笑みは本当に見ていて苦しくなる類のものだ。僕は目を逸らした。

チェンは話をやめなかった。彼女は二人が何者か知っていると話した。

「そうですか。それで貴方はどうするつもりですか」

ノリヒロさんは語る。

「私は虐殺を認めない」

チェンは答える。

「私たちだって認めたわけじゃありませんよ」

「ならどうして」

「誰だって死にたくないじゃありませんか。だから仕方なかったのです」

「協力したということですか。殺されないために」

二人は頷いた。

そして。

チェンは容赦なく二人を殺したのだ。

僕は見守っていた。

何もしなかった。

何かできたはずだ。

しかししなかった。

「なぜ僕を殺さない?」

チェンは答えない。

僕はテーブルに置かれた冷めた紅茶を口に含める。

カーテンを開く。

外はすっかり暗い。

「取り乱しているの」

声が震えている。

「どうして」

「意味がわからない。自分が揺らいでいる」

人を傷つけてはいけない理由がわかる。

何があろうと、どうしようとそれは崩したら駄目だ。

道徳と倫理を失った人間が迎えるのは地獄だ。

僕は目にしている。

不幸な事態を。

呆気なく三人も死んだ。

チェンの話の真偽が明らかになることもなく森山夫妻の死を僕は受け入れた。

僕は何を大切にしているのか。

ただ生きていることだけなのだろうか。そうだとしたらなんて貧しいのか。

「切り裂きジャックはもうこの世から消えたのだろうか」

三人が殺戮を犯していたならもうこの世から切り裂きジャックは消える。

「3人では収まらない。まだ沢山いるわ」

「君は全員を殺すつもり」

「そうよ。それの何がおかしいの」

彼女は涙を流している。

「何もおかしくないよ」

彼女は僕の頬を打つ。

「うそつき」

案外傷つく。

うそつき。

その通りだ。

僕は諦めた。

命をあきらめた。

投げやりになった。

だから必要な情報を知らないまま時を過ごした。

三人死んだ。死者は帰ってこない。

目の前の女も抱き締められない。

僕は道を失った。

愛することができない女と共に歩めない。

後悔する。

いつだって遅いんだ。これは。

「私はやり遂げる。もう止められないのよ。戦うしかない。虐殺を認めない。だから闘い続けるのよ」

チェンは出て行った。

僕は死体を前に立ち尽くす。

何もできない。

始まらない。

どうしたらいいんだ。

僕は。

どうすることもできない。

このまま後悔を胸に生きるしかない。

すっきりできないまま生きる。

戦わなかった人間の宿命だ。

「ノリヒロさん、チヒロさん、ごめんなさい」

この二人がこのように死なない未来を僕は迎えたかった。

そんな気持ちは矮小だった。

だから何もしなかった。

僕は二人との関係を見捨てた。

二人と出逢って数ヶ月の虚実のような安穏さは取り戻せない。

まだ僕は生きている。

何をしたいのか。

どうするか。

常に迫られている。

二人の死体を埋めよう。

僕にできることはそれぐらいだ。

早速取り掛かる。

穴を掘ろう。この家の庭に。

二人が暮らしたこの家で。

二人の慎ましい生活。

僕が来なければこうはなっていなかった。

彼らが何をしたのかなんてどうでもいい。何かを捌くのは他者だ。自分にとって大切なことは自分との関係だけ。参考にはするけど、あくまで参考。

僕は僕によって起こった問題に謝罪したい。

死んだあと待っている判決で僕は地獄行きを臨もう。

死者を前にしてできることはそれぐらいの覚悟だけだ。

さて。

死体を埋めたあと何をしようか。

とりあえず散歩をしよう。

気分を変えなければならない。


目の前に広がる風景は平和だ。

飛び交うのは鳥や虫だ。銃弾ではない。

散策する。あてはない。

数時間で知人を三人失った。恩人をだ。

哀しみは少ない。自分は壊れているのか? 壊れているんだろう。

記憶喪失者である自分に甘えて、僕は何一つ選んでいなかった。崩れてしまった土台に息が乱れる。

生きていれば止まらない。自殺するわけにもいかない。

どうすればいいんだろう。何をするんだろう。

何もしたくない。このまま僕を放置してくれ。

思いは募るが甘えた願望は叶わない。生きていくために労力を割かなければならない。

何もかも出鱈目に思える。川が見える。橋の上。いっそのこと飛び降りて溺れてみようか。頭を掠める光景。却下だ。

あの女は生きているだろうか。殺戮の輪に入っては出るときは屍だ。実際はわからないが、高須さんたちはそうやって輪から外れた。

みんなどうかしている。何故お互いを憎み合わなければならないのか。誰が始めたのか。どうして続くのか。いつになったら止まるのか。そして僕も参加する羽目となるのか。未来はわからない。

僕も手にすることとなる。自分を守るために誰かを殺戮する。そうして悲劇の輪を磨く。

目の前に友人がいる。

「セイヤ」

彼は微笑んでいる。

「やぁ」

「こんなところでどうしたの」

不自然だ。何故彼がここにいるのか。

「あの子を知らない。君と一緒にいただろ」

チェンのことか。

「どうして」

おかしい。何故そんなことを。

「探しているんだ。君なら知ってると思って」

「知らない」

「一緒にいただろ」

「いた。でも今は知らない」

「なぁ」

セイヤは近づいてくる。

ゆっくりと。

足音が鳴る。

「教えてくれよ。助けてくれ」

「助けてくれ? どういうことだ」

「理由は訊かないでくれ。事情がある」

僕は問いかける事をやめた。

しかし、頭の中がぐにゃりと歪む。

何故セイヤが彼女に拘るのか。

僕の知らないところでいろいろなことが繋がっているようだ。

憶測だ。僕は蚊帳の外だから。

しかしずっと外にいたい。

外にいたとしてもいつか、知らないうちに胸にナイフが刺さることがあるかもしれない。

それでも僕は知りたくない。

耐えられない。

「本当に知らないんだ。力になれない」

セイヤは残念そうに口角を下げる。

「僕たちは友達だ。そうだよな。ハルキ」

改めて訊くまでもない。

果たして僕は何を信じたらいいのか。

拠り所がないんじゃないか。

どうしたらいい?

セイヤまで一連の事情に絡んでいるのなら、本当に僕は頭を抱えて街角のマンホールの下へ潜り込むしかない。

それを現実にするしかないなんて冗談はよしてくれ。

「俺になにかあったらヒカリを頼む」

彼はそう言い残して僕から離れる。

彼の背中を見守る。

僕は何も返せなかった。

そして彼の姿を二度と僕は見れなかった。

行方不明になってしまったから。

どうしようもない。

どうにかしてくれ。

叫ばない。僕は。


僕は孤独に部屋の中にいた。

外には出て行かない。

充分な備蓄はある。

いつかなくなることはわかっている。

それでも誤魔化したかった。

僕は悲しみに溺れていた。

悲しみのベールを被り、目の前の事実から目を逸らしていた。

僕は誰かに手を貸すことができた。

死んだ高須さんたちにも、チェンにも、セイヤにも。

誰かに手を貸したなら、誰かを傷つけることになっただろう。

しかし僕のおかげで誰かは喜んだはずだ。

僕が手を貸さなくても世界は周っている。

結果的にみんな死んだ。

チェンやセイヤだって死んだんだ。推測だ。間違っていて欲しい。でもそう考えてしまう。

僕が手を貸していたなら、誰かはもう少しこの世の風景を眺められたかもしれない。

いいじゃないか。

僕は諦める。

もう終わったことだ。

僕は閉じていたカーテンを開く。

日光が眩しい。

これが生きるということだ。

ピンポン。

チャイムが鳴る。

来客だ。

誰だろう。

僕は開けにいく。

無用心に。

外には無表情の男がいる。

彼はポッケからナイフを出す。

遂に僕にも最後がやってきた。

いつかこの時が来ると思っていた。

いつだって突然だ。理解している。

僕は刺されて玄関で蹲る。

お腹から血を流している。

風景が白濁する。

孤独だ。

これからもこれまでも。

ようやく終わるのだ。

ろくでもない人生が。

さようなら。

誰にも言い残さない。

洒落た生き方さ。

違うよ。

誰かの声が最後に響いた。

気のせいだと思う。

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ノーサプライズ 容原静 @katachi0

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