なた

現地に住む未来人が教えてくれた。

時間移動に僕は失敗したらしい。

2021年に時間移動した僕に過去の記憶はない。

僕を拾ってくれた未来人は何らかのトラブルが発生した結果予期せぬ時代及び記憶喪失を引き起こしたと推測する。

僕自身の記憶を取り戻す為色々策を講じてはいるがうまくいった試しはない。

ならば未来へ戻って確かめればいいと思うが、タイムマシーンは過去にしか移動できない。一方通行の片道切符。命懸けだ。

拾ってくれた森山夫妻は彼らの本当の時代で過去を研究した結果、2000年代の空気を味わいながら生涯を終える決断をした。

僕にも理由があるはずだ。

未来から僕と共にやってきたアメリカの作家サリンジャーの小説が何かの手がかり。

初期はページを巡り考察に耽っていた。わかったことといえば凄く好きな小説だと実感することぐらいだ。

今その小説は殆ど読んでいない。答えは其処にはない。

誰か僕の異常に気づいた未来人が僕に向けて手紙でも届けてくれたら嬉しいけれども今のところそのようなことはない。

森山夫妻は記憶喪失はふとしたときに記憶が蘇るモノだ、気長に待とうと話す。

それを聴いても胸のむしゃくしゃは止まらない。実際どうしようもないから、むしゃくしゃを胸の奥底に抑えて黙って青い空を眺めている。

僕の答えは未来にある。過去を探っても答えはない。

森山夫妻は百年後からやってきた。これから百年僕は生きられたとしてもヨボヨボで何もできない。

時代の最前線を生きながら気長に記憶が蘇る瞬間を僕は待っている。

何もしなくても時間は過ぎるが、退屈だから僕は仕事をしている。

森山夫妻は未来人が過去を生きる秘訣として時代に干渉し過ぎず、現地人と共に仲良く暮らすことが肝要と教えてくれた。

森山夫妻の手解きを受けて、今僕はとても生きることに不都合がない。

友達も出来た。

毎日僕は彼らと遊んでいる。

草野球をしたり、お酒を呑んだり、ドライブをしたり、廃墟探検をしたり、彼らの趣味の幅広さには感心する。お陰でふとした瞬間に陰気な想いに駆られる僕も少しずつ陽気な思いを味わえる時間が増えてきた。

時代に生きることに適応している。

そうなると寧ろ僕の過去がフラッシュバックするときを恐れてしまう。

叶えることも難しい想いに気づいたとき僕は僕を支えていられるだろうか。

深夜の川辺で友人たちと焚き火をする。友人たちの会話を背景に流れるせせらぎに耳を澄ませる。

友人の妹チヒロは携帯と睨めっこしている。異国の地で起こった戦争の情報を確認しているのだ。

人生初の焚き火である。友人は手慣れていて、僕はその手捌きを見ているだけで感心する。

想い出が僕の中で重なる。僕のリアリズムが僕自身の明日を支える。

異常がなければ出逢えなかったのだ。この美しい時間とも。

愛している。愛しかたを僕は知らないが心の中で単語が沈み、僕の心象風景に新しい魚となって泳ぎ始める。

緑は死の色と誰かが話していたことを思い出す。

僕の心象風景は緑色だ。

「何、暗い顔をしているの」

チヒロのやさしく芯のある声が響く。僕は彼女を見る。彼女の瞳に僕が映っている。

「未来を考えていた」

「今のことを考えようよ。焚き火、一緒にやったら」

チヒロの兄セイヤとその友達ツバサは必死に風を焚き火に送っている。なかなかうまくいかないらしい。

「君はやらないの」

チヒロは黙って頷く。

「私は観る専門なの」

「じゃあ僕も同じく」

チヒロは首をブンブン横に振る。

「駄目よ。貴方はやらなくちゃ」

「なぜ?」

「やらないとわからないことがあるからよ」

チヒロは良いことをいう。未来の私が何を考えていたのか分からないが彼らとの付き合いはこうして毎日時間を重ねることで雄大に僕の中に積み重なっている。

やらないとわからない。接しないとわからない。その通りだ。

僕は落ちている段ボールを拾い、焚き火を盛り上げにいく。

するとセイヤは嬉しそうに微笑んだ。

「奴さんも参戦なされるんで」

「そろそろ観戦だけじゃ飽きました」

ツバサが手招きする。

「こっちきてこっちきて。そう。其処から」

僕は二人の先輩の動きを見ながら段ボールをジタバタ上下する。なかなか火はうまく燃え上がらない。

「ちょっと湿ってやがる」

セイヤはおちょぼ口で不満を言う。ツバサが持ってきた薪が湿っていたようだ。

するとツバサを愚痴を言う。

「これでええやんって太鼓判押したのはセイヤだろ」

口喧嘩が始まった。始まると長いのだ。僕は苦笑いする。

「はいはい。口は動かして手は止めない。森山くんもわかってる? 男は身体を動かせへいへいほー」

チヒロは愉快に歌いはじめるし、本当に愉快だ。

私は手を止めなかった。

夜風がやさしく川辺に流れる。

次第に火は大きくなる。

何故焚き火が始まったのか。

発端はいつだってくだらないことからだ。

3日ほど前にドライブをしていたときチヒロたちが小学生の頃行ったキャンプファイヤーの話になり、僕にはそのような経験がないと話すとじゃあやろうぜとなり。

彼らは非常にフランクで愉快だ。人として非常に優れている。僕の事情も未来人ということは伏せて説明したが受け入れて接してくれている。僕は彼らに救われている。もしも一人でこの時代を生きていたなら、自分自身のことばかりに想いが巡り神経が乱れていたことだろう。

「おーい」

チヒロが囁く。

彼女は敏感な子で僕が考えに耽っていると構ってくる。

時々それは邪魔だと不遜にあしらうが結果的に彼女のやさしさは僕の凝り固まった神経をほぐしてくれている。彼女は一流のセラピストだ。

「焚き火はどうですか。話で聴くのと目の前で起こるのとは全然違うでしょ」

「火の温かみを感じる」

人類は火の力を借りて偉大な文明を作った。

原始の人類が自然の神様の存在を認める理由もわかる。僕たちは自然によって活かされている。

「温かいって幸せ。こうやって温かく暮らせるってすごく幸運なことなのよ」

「その通りだ。ありがとう」

「なによ。それ」

チヒロは顔を歪ませる。あまり気持ちよくなかったようだ。

「感謝しているんだ。みんなに」

チヒロは頬を膨らませる。心なしか頬が赤い。

「私も森山くんに感謝しているんだよ。君と出逢ってから毎日楽しいんだ」

セイヤとツバサは何故かフランスの国歌を歌いながら川に向かって石を投げている。非常におかしみを感じる。

「頬赤いね」

チヒロに指摘されて自分の頬を赤くなっていることに気づく。

そうして何故か心の底から身体が燃え上がる兆候を感じた。

「君も、だよ」

「ふふ」

チヒロは微笑した。

「火があったかいからだよ」

僕は黙って頷いた。

空を見上げる。

幾千の星がキラキラと真っ黒な空を彩っている。

今日も本当にいい日だ。

間違いない。


温かい深夜は終わらない。

春夏秋冬何にも識別できない静かな風が僕らの頬を撫でていく。

火の周りに僕らは集う。少しでも離れると寒暖差が凄まじい。

僕らは目には見えないかまくらのような洞で夜通し語りあう。

人生のこと、恋のこと、世間のこと、仕事のこと、宇宙のこと、未来のこと。

話したり聴いたりしていると僕の中の過去が語りたいとうずうずしているのが分かる。もどかしい。

そう思っているのがみんなにも分かるのかいつも僕は揶揄われる。

見知らぬものに指摘されたらムッと気分が優れないけれど気がしれた奴からの適量のからかいは安心できる。

この前セイヤと話したことを思い出す。

数日前にセイヤと二人きりになる時間があった。彼と二人きりになったのはそのときが初めてだった。

しばしの無言を経て、セイヤは言った。

「僕はねハルキくん。記憶喪失になれればどれだけいいんだろうって思っていたんだ」

予期せぬカミングアウトに僕は何を返したらいいのか戸惑った。

セイヤは苦笑いする。

「此れは僕の話だ。君が戸惑う必要ない。黙って耳を傾けてくれていたらそれだけで十分だ。

僕は自分という存在に疑問を覚える。どうして産まれてきたのか。何が出来るのか。そして何も出来ない」

セイヤと出逢って数ヶ月経つ僕だが、それは否定する。

彼は異端者で大したこともできない僕にやさしくこの時代で共に生きる手助けをしてくれている。

黙って見過ごすことだってできるのに彼は手を差し伸べた。

何も出来ないことなんてない。

心の中で思っているだけでは伝わらないので僕は胸の内を咀嚼しながらしっかりと伝える。

すると彼は笑ってくれた。嘲笑や苦笑いでない。気遣ってくれる心遣いに彼は感謝した。

「こういう話はキミだからこそ出来るんだ。他の誰にも出来ない。誰一人僕が理由で顔を曇らせたくないんだ。

この生きづらく苦しい世の中で僕たちは互いに協力しあって、少しでも希望の花を胸の中で育てたら、なんてね。

またヨーロッパでは戦争が始まった。この国だって反戦を謳っているがいつ戦争に巻き込まれるかわかったもんじゃない。

だからこそ戦争がないこの時代を僕は噛み締めて生きたい。

戦うしかない時代を生きている人たちの想いも受け止めながら」

この話は途中で終わった。

席を外していたヒカルが帰ってきたから。

多分人生には本当に貴重な瞬間が潜んでいる。

このときもそうだった。

もう二度とセイヤとはこのような話はできない。

セイヤの口から話された人生観を僕は忘れない。

記憶が取り戻したときが恐くなる。僕は自分自身を護れるのか?

青春ごっこを続けながら僕らは旅の途中。そのような歌詞が頭の中に浮かぶ。ツバサがよく口ずさむこの時代のロックソング。

旅の終わりはいつだって予期せぬ瞬間訪れる。

訪れたとき後悔しないためにも貴重な今を過ごす努力を惜しまないこと。

これがよりよく人生を生きる秘訣かもしれない。

今回の焚き火のリーダー、セイヤは小さくなった火を誰よりもやさしく真剣な瞳で見守っている。

彼をみているとヒカルが囁く。

「火は最後まで見守るのが火付け人の仕事なのよ」

「それもまた焚き火のルールかい」

その会話を聴いていたツバサが笑う。

「焚き火にルールなんてない。僕らの矜持で、美学さ」

本当に火が灰となり収まるまで焚き火は続いた。貴重な経験をした。僕一人だとこんなことはしない。このような過去は存在しなかった。


焚き火の後片付けを終えて僕たちはセイヤの車へ戻る。

時計を確認すると午前4時だ。夜明けは近い。

ヒカルが寒そうにポッケに手を入れる。火から離れると寒さを思い出す。

車の中に入る。

ツバサが入らない。

「どうした。帰るぞ」

セイヤが促す。

何か凝視している。僕は彼の視線に誘導される。

空は曇っている。月の光は届かない。人工のライトが少ない田舎。

何もみえない。

「お化けでもいるの」

僕が問いかける。僕たちはよく怪談をする。実際にあった事件から創作まで幅広い。

「切り裂きジャック?」

ヒカルが欠伸をしながら呟いた。

最近発生している事件。夜中に起こる殺人事件。ホワイトチャペルの殺人鬼は姿形を変えて2021年の日本にやってきた。

「それはないだろ」

セイヤは茶化す。

ないとは言い切れない。

ツバサは黙って車の中に入る。

「気のせいだった」

シリアスな空気を崩さない。

「説明してくれ。このまま黙って運転を始めるとポルターガイストにやられそうだ」

セイヤは不満そうに突っ込む。

するとツバサは弱々しく笑う。

「大したことじゃないんだ。誰かいたような気がして」

「こんな夜中にこんな場所に?」

「だろ。だからちょっと気になって。でも気のせいだった。ごめん」

「気のせいならいいけどな」

この話は此処で打ち切りになった。

ツバサは冗談をいう性格ではないのはわかっている。

本当に誰かいたのかもしれない。

しかし深夜の邂逅はあまり気分のいいものではない。

みんな深入りを避けた。

セイヤはエンジンを入れる。

帰宅へのドライブが始まった。

みんな無言だった。セイヤはラジオを流す。

ラジオは淡々とニュースを伝える。

また切り裂きジャックが現れたらしい。

急にブレーキがかかる。

「どうしたの」

ヒカルが問いかける。

「ちょっと待ってて」

セイヤはそう言い残し、車から飛び出た。ツバサも追いかける。

僕とヒカルは車から二人の行き先を追った。その先で倒れている女性がいた。

ドクンと心臓が高鳴る。瞬きが増える。ヒカルが僕の腕を掴む。

「深夜の不必要な外出は控えてください」

ラジオから機械的なアナウンサーの声が聴こえる。

別に悪いことなんて何も起こらない。ただ胸騒ぎがする。

僕はタイムトラベラー。ただ純粋に生きてなんていられない。

現実を見ろと神様が囁く。

これから何が起こるにしても、僕の身にだけ起きて欲しい。せめてこの友人の身には何も起こってほしくない。これは身勝手な願望だろうか。

ツバサが戻ってくる。

ヒカルが小さな声で聴く。

「大丈夫?」

「意識はあるみたい。ハルキくん一緒にきて。車まで連れてくるから」

どうやら女は自力で歩けないようだ。僕は外へいく。ヒカルもついてくる。

近づいて座っている女の顔を確認する。美人だ。まるで女優のような。

違和感がある。胸の鼓動が高まる。既視感だ。デジャブ。

開くことの出来ない扉にノックが響く。

瞬きが増える。ノック音は遠ざかっていく。

「大丈夫?」

ヒカルが心配そうに僕を見る。みんな女ではなく僕を注目する。女ですら僕をみている。

何処かで遭ったような気がする。しかし記憶にない。

「おい。ハルキ」

セイヤの声で我に帰る。自分の世界に入っていた。

「大丈夫か」

「ああ。ごめん。うん。大丈夫」

まだ女は僕をみている。視線が合う。目が逸らせない。

意思を感じる。地面と繋がった強い視線だ。

「お知り合い?」

ヒカルが呟くのも無理はない。それほど見つめあっていた。

黙って僕は首を横に振る。

その行動に全肯定は出来ない。

興奮している。無駄に、意思を無視して。

出逢ったばかりだが、僕は確信していた。

この女、タイムスリップしたんだ。

そして、僕と同じく、問題児。

そんな匂いに僕はクラクラしている。このことは此処で口にする話じゃない。

帰宅した後、森山夫妻には話すが。

此れは困ったことになった。

確信が杞憂に終わればいいのだが。

とりあえず女と共に皆んな車に乗る。

セイヤが話しかけていたが彼女は何処か夢遊状態でろくに言葉を返せていない。

しかし、若く無防備な女性をこの時間帯に車以外に人が寄り付かない車道にほったらかしにはできない。

とりあえず僕たちは予定を変更し、みんながよく集まるセイヤの家へ行くことになった。


夜明けが近づく。セイヤの家に着く。

とりあえず女を連れて家の中に入る。

こじんまりとした一戸建ては昨年建てられた。

女をリビングのソファに座らせる。

女は落ち着いている。ファッションは派手だ。

無言が続く。皆んなこのシチュエーションに慣れていない。

「お姉さんは」

ヒカルが勇気を出して話しかけた。

「どこから来られたのですか」

「どこから、きた」

言葉の意味を確かめるように女はゆっくりと反芻する。思い出している。

「……」

沈默が続く。みんな注目している。

ちゃぽん。台所から水の音。

「わから、ない」

「それは思い出せないって、こと?」

女は瞬きをし、口を尖らせる。

そしてゆっくりと首を縦に振る。

緊張感が高まる。

みんな僕のほうを無意識に見た。

また現れた記憶喪失者。

そう頻繁に出逢えない存在が二人もこの場にいる。

何かの天命かと疑う。

僕は彼女を通じて自分の過去を知る予感がして、恐ろしい。

出逢ったときの悪寒が事実となり、これから少しずつ真実へ近づいていく。

ただの記憶喪失なだけはない。

おそらく未来人だ。

僕と同じように何かのトラブルに巻き込まれたのだろう。

一番恐ろしいことは似た症状者が同じ時代、場所に二人集まったこと。この事実は大概同じ時代、場所から来た推測が立てられる。それ以外の偶然があるモノか。 

僕は平静を保つ。

これは僕の想像だ。

事実が総て明らかになってから溜息を吐こう。

まだ、判断するには早すぎる。

僕は勇気を出す。

次は僕が問いかける。

「すみません。何かお話しできることありますか」

女は私を見る。

僕は彼女の瞳に吸い寄せられる。

視線を外せない。

僕の心を測られているような気がする。

僕は後ろに一歩下がる。

「何かって」

逆に彼女が質問する。

問いかけの範囲が広すぎたようだ。

「自分のことに関して」

彼女は黙る。考えている。

吟味しているのか。それとも探しているのか。

彼女は口を開かない。

痺れを切らしたのか。セイヤが口を開く。

「僕たちは心配なのです。貴方のことが。その。こんな夜明けも近い路上で一人倒れていて、何か事件に巻き込まれたんじゃないかって。力になれるなら協力しますし、なれないならそれはそれで警察とかにご案内しますし。

何にしても教えてくれなくちゃ始まりません。

貴方が何者でどうしてあの場所にいたのか。

話せないなら話せないでその情報が欲しい。

とにかく伝えて欲しい。僕たちも不安なのを抑えて貴方に協力しようとしている。貴方も手を差し伸ばして欲しい」

セイヤの意見は満場一致で賛成できる。

女は唾を呑む。みんなの様子を伺う。

自分の立場を理解したようだ。

「ごめんなさい」

女は口を開く。

「自分のことで精一杯で、何も気遣うことが出来てなかった。私も何故あの場所にいたのか。私も思い出せない。自分のことに関して何も、まるで砂漠に迷い込んだみたいに」

「大丈夫。大丈夫だから」

ヒカルが女をやさしく抱きしめる。女は話しながら痙攣が始まった。

「ちょっと、休みましょう」

そうだ。僕たちも。

もう夜明けだ。

ひとまず休んでから、また話を進めよう。


みんなはセイヤの家に泊まっていく。

僕は帰宅することにした。

気分を変える。あのまま一緒にいると息詰まる。

一人で歩く。

セイヤは送ろうかと提案してくれたが、丁重に断った。

セイヤも疲れている。

2、30分歩けばいいだけだ。そこまで遠くない。

夜が明けていく。

田舎の朝は早い。散歩や出勤する人とすれ違う。鉄道の音が響く。鳥が鳴いている。

帰宅した。家の前に車が一台止まっている。

家の中に入ると客間に高須さんと森山夫妻がいる。普段とは空気が違う。引き締まっている。

僕は客間に顔を出した。

「ただいま」

「おう。ハルキくん。朝帰りかい。元気だね」

高須さんがフレンドリーに話しかけてくる。

「僕は元気です」

「焚き火どうだった」

チヒロさんはじんわりと沁みる微笑を浮かべる。

「貴重な時間でしたよ」

「それならよかった」

「あの、何かあったんですか」

僕は切り込む。

高須さんも未来人だ。

そして彼はこの時代を管轄する存在。タイムパトロールのようなモノだ。

未来からやってきた人たちの世話をするのが彼の仕事だ。

森山夫妻も高須さんに協力しているため、彼はよく家にやってくる。

僕が森山夫妻に発見されたときも高須さんと出逢った。彼の提案であてのない僕は森山夫妻にやっかいとなっている。

「いやね。また新しい僕たちの仲間がやってきたんだ」

顔をしかめそうになる。抑えた。

今は話を聞こう。

「今度はどんな人なんですか」

高須さんは苦笑する。

「それがね、また君みたいな不良なんだよ」

「高須さん、ハルキくんは不良じゃないですよ」

チヒロさんの夫ノリヒロさんが指摘する。

「不良っていうと、もしかして」

「そうだ。手違いできてしまって、行方不明。この辺りで磁場の変化を確認したんだが、まだみつかっていない。君の方がまだ優等生だよ。すぐ見つかったからね」

ベートーベンやショパンを森山夫妻から教わった。あの悲劇的なピアノの旋律が僕の頭の中で流れ始めた。

あの女は未来人だ。

もう間違いない。確定といってもいい。

寝てなんかいられない。もう一度セイヤの家へ行こうか。いや、そんなことをすればみんなを不安がらせる。

「どうしたの」

思考の乱れが表面にも現れているのか、チヒロさんに心配される。

「高須さんのせいですよ。貴方が変なこというから」

「僕は事実を話したまでだ」

「いや、大丈夫です。僕は。ちょっと寝不足で」

言葉で安心を伝える。

しかし頭の中は乱れている。

気持ちが乱れている。

「それならいいが。しかし、最近の失踪者の増加といい何かと我々のタイムトラベルも不穏な雲が流れてきてますな」

ノリヒロさんが話す。

「我々が関与しないところで何かが起こっていると思ってもおかしくない。我々はこの時代において孤立無援だ。未来人は未来人同士力を合わせなければ。

皆さんも何かあればお教えください。力を貸しますので」

僕は一礼し自室へ帰る。

女のことは伝えなかった。

もう少し自分の中で彼女のことを整理したい。

一度寝て、起きてまたセイヤの家にいく。

それから伝えるかどうか判断しよう。


昼過ぎに僕はセイヤの家に着く。

インターフォンを鳴らす。

眠そうな顔のセイヤが出迎えてくれた。

「早いね」

「居ても立っても居られないてね」

「そういっても彼女も寝ているよ」

「じゃあ、中で居眠りでもするかな」

「そうしなよ」

勇足というところかな。流石に早すぎたか。

リビングでみんな眠っている。

僕はセイヤの部屋に呼ばれた。

セイヤは布団の中に入っている。

「俺ももう少し寝るよ。ハルキもそうしたら? 起きたら長くなりそうだからさ」

僕は深く頷く。

セイヤの部屋には布団が二つだしっぱなしだ。

僕も布団の中に入る。

電気が消える。

目を閉じる。

頭の中がごちゃごちゃしている。

眠れない。

女と話したくてたまらない。

待つしかない。

「ハルキ」

セイヤの声だ。

「落ち着け。急いでも何にもならない。むしろ色々と遠のいていく」

その通りだ。

わかっている。

落ち着けない。

「ハルキ。君が落ち着けない気持ちもわかる。彼女と君の症状は似ているからな。色々と話を聴きたい。ただまだだ。あと数時間の辛抱だ。我慢しよう。それがいい」

「わかっている。わかっているよ」

セイヤは布団から抜け出す。

部屋から消えていく。

僕は溜息を吐く。

苦しい。

セイヤが帰ってくる。

彼はワインとグラスを手にしている。

「こんなときは呑むしかない」

彼の気遣いに感謝する。

自分の甘さに嫌気が差す。

僕は彼からいただいたグラスに口をつける。

ほろ苦い。

「泣いているのか」

セイヤに指摘されて気づく。僕は涙を流している。

「みたいだね」

「君も苦労している。いまは俺しか見ていない。女の子がいるところじゃないからいいじゃない」

「そういう問題かな」

「ですです」

自分でも驚きだ。涙を流しているなんて。

「ハルキとあってから三ヶ月ほどか。どうだい居心地は」

「めちゃくちゃいいです。みんなのおかげで」

「それはよかった。僕はみんな幸せに生きてくれればそれでいいんだ」

「セイヤさんはどうなんですか」

「どうって」

「幸せですか」

セイヤは深く頷く。

「みんなの幸せが僕の幸せなんだよ」


アルコールがまわっている。

女は起きた。

待ちに待った時間がやってきた。

僕は心を落ち着けて対面する。

みんなもいる。

彼女は緊張している。

部屋の電気が消える。

セイヤの提案で僕たちは映画を見ることになった。

ノワール系のサスペンス。

セイヤの趣味だ。

男の友情と裏切り。

モニターの明かりが部屋を照らす。

正直このテンションのまま会話が成り立つのか疑問符がつく。

彼女はどのような気持ちか。

彼女の顔をみる。

モニターの光に照らされる彼女の横顔は綺麗だ。

90分で映画は終わる。

男と友情に挿入された女との別れを象徴したラストシーンは非常に心の質を綺麗にする。

映画が終わる。

部屋の電気が点く。

みんなが拍手するなか、彼女はスクリーンから目を離さない。

「どうでした。今の映画」

チヒロが問いかける。

彼女は項垂れる。そして答えた。

「エモーシャル」

彼女はそのまま身動きしなかった。

この人は作品を見る目がある人だ。僕は理解した。セイヤもそうだ。

だから誰も今の彼女に触れない。

感慨に耽っている。

感性の高い人だ。

驚くべきほど。

ずいぶん時間を経る。

彼女は起き上がる。

「ごめんなさい。私ったら自分のことで」

「いや。いいんだよ。映画とはそういうモノだ」

セイヤは深く微笑む。

「わたし、何か初対面な気がしません。こんなこと言ったら失礼かもしれませんが、ほんとうに」

みんな顔を見合わせる。

「何処かで会ったことがあるのかな」

ツバサが呟く。

「ツバサくんは顔が広いからね」

チヒロは棘がある言い方をした。

「なんだよそれ」

「なんでもありませーん」

ツバサは女遊びが激しい。リアルからバーチャルまで彼に女性のことを訊けばなんでも教えてくれる。因みに僕は聴きません。

「映画好きに悪い奴はいない。僕たちは仲間さ。金子セイヤといいます。よろしく」

「あー。お兄ちゃんずるい。わたしは妹の金子チヒロといいます。好きな映画はバック・トゥ・ザ・フューチャー。よろしくね」

チヒロはタイムスリップモノが好きだ。彼女は僕たちが何者か気づく素養をもっている。彼女に知られると色々と面倒だ。僕は友達を僕の面倒ごとに巻き込みたくない。この時代の人間として以上の付き合いはお互いにとって不幸だから。

「俺は遠藤ツバサ。好きな映画は仁義なき戦い。よろしくね」

「それだけでいいのか?」

セイヤがいじわるだ。

ツバサは応える。

「よいのです」

ツバサはソファーに座る。

次は僕の番だ。咳払いをする。

みんな僕の方を見る。

「森山ハルキです。好きな映画は気狂いピエロ。よろしく」

自己紹介は緊張する。

「顔赤いぞ。全くこの坊やは」

馴れ馴れしい装いでツバサは近寄ってくる。

「ワイン含んだんで」

「あーずるい」

チヒロが頬を膨らませる。

「俺も呑んだ」

セイヤも宣言する。

「なんでわたしを誘ってくれなかったの」

チヒロが地団駄を踏む。こういうところはやけに子供っぽい。

「まー。待て。お姉さんの自己紹介を聴こう。……話せるところだけで大丈夫ですよ」

この人は女優なのだろうか。女は姿勢が綺麗だ。

何よりも瞳が凛としている。

視線を合わせれば焼かれるぐらい強烈だ。

女は自問自答する。

僕たちは待つ。

間が生命に問いかけている。

君は君を生きているか、と。

はっきりいって僕は疑問符を覚える。

それに対して、真っ直ぐな線にする回答を僕は求めたくない。

答えられない問題に拘るよりも、崩れそうな答えと共に身を滅ぼしたい。

この考えはヤケになっているだろうか。

今ここにいる貴重な友人に伝えれば、彼らは僕の頬をぶつだろうか。

考えるのをやめよう。シリアスだ。身体に悪い。

迎えなければならない設問は望まなくてもやってくる。

招かざる客が来たとしても僕が生きる希望を絶やさないでいられるように。

その為に今を生きよう。

それを含めて、だ。

「わたしは、」

女は口を開く。

「自分が何者かわからない。ただ一つ、ネックレスにアルファベットが刻まれていて」

女はネックレスを手にとる。

「シー・エイチ・イー・エヌ。チェン」

チェン。その響き。

「何かこの響きを胸は愛してあげなさいと唱えている。わたしは名前を思い出せない。だから。チェンと呼んで欲しい」

僕も思い出せない。

鼓動が激しい。

戸惑う。

心は忘れたふりをしても、身体は見逃さない。

僕はこの人を知っている。

思い出せない。

「チェンさん。何か覚えていることはあるかい。自分のことで」

チェンは首を横に振る。

お手上げだ。

「困ったわね」

チヒロが呟く。

セイヤは首に縦に振る。

「チェンさん。僕たちが貴方に出来ることといえばこうして寝泊まりさせたり、一緒に映画を見たり、遊んだりとかは出来るけれど、それぐらいだ。これ以上のことは力がなくて、ごめん」

チェンは微笑む。

「ありがとう。貴方たちの気遣い、私は嬉しい」

「チェンさん」

チェンは僕を見る。

このまま黙ってはいられない。

「ハルキ」

セイヤが声を出す。

僕はセイヤを見る。

「君はいいんだね」

僕は深く頷く。

僕は傷ついても構わない。みんな気遣ってくれている。誰も敢えて僕の事情をチェンには明かさなかった。

僕の問題はナイーブだ。たった三ヶ月だけど、みんなの付き合い方でわかる。みんな、すごく優しい。

新しい一手を僕は打つ。みんなの為に僕は打ち明ける。自分と向き合っていく。

「まだ話していなかったけれど、僕も君と同じで記憶喪失なんだ」

チェンは黙って頷く。

「まだ記憶は戻っていない。僕はこういう時にどうしたらいいのか、先輩なりに知っている。

不安な気持ちはわかる。でも僕に任せてくれないか。悪くはしない。僕が今こうやって普通に生活できているのもみんなのおかげなんだ。大丈夫。だから」

彼女は黙って頷く。

「貴方の瞳を信じるわ」

話は動き始めた。

僕は高須さんと森山夫妻に彼女のことを伝えた。


タイムスリップは容易くない。

過去改変は未来に対し多大なる影響を及ぼす。

何事も節度をもって行動しなければいけない。

その前提を考えると、僕のような記憶喪失者の存在は全世界に対する脅威だ。僕の自然な行いが宇宙の運命を変えてしまう危険がある。

僕はそのことを口酸っぱく三人の未来人から教え込まれた。

なのでここまで、チェンのことを隠していた僕は本来ならば罰せられる。今までのような自由な行いを禁止される。

だからそうならないようにみんなと話を擦り合わせてから三人に連絡した。

とりあえず高須さんがセイヤの家に来ることになった。

高須さんはすぐやってきた。

「やぁ。こんにちは」

高須さんはニッコリと微笑む。

みんなには僕がお世話になっている記憶喪失者の生活を補助してくれるNPO団体の方と案内している。

「細かい挨拶はいらないよ。僕も忙しくてね。手短に、スピーディに行こう」

そう話して高須はリビングに脚を進める。

余りの強引さに迎えたセイヤも止められない。

「やぁ。こんにちは。ハルキくんから話は聞いていますね。高須です。あっと。みなさんの自己紹介はいりません。気持ちだけで十分」

入室してから僕とセイヤが入るまでに終了した口上に目をパチクリさせてみんな戸惑っている。無理はない。

「キミかね。記憶喪失の女性っていうのは」

高須は舐め回すようにチェンを見る。少し不気味だ。

チェンは俯いている。

皆んなは高須さんを見つめている。

「何か、覚えているかね。話せることは」

チェンは首を横に振る。

高須は笑う。

「本当にそうみたいだ。事情は大体ハルキくんから伺っている。私に任せなさい。万事問題ない。全ての手続きは私が済ませよう。なぁに。心配することはない。私は自分の善意に問いかけて行動している。皆さん本当にありがとうございます。チェンさん、でしたね。貴方が自身の記憶を取り戻すまで私は最後まで貴方の味方です。大船に乗ったつもりでご安心ください」

話は一気に進む。みんながついていけないほど高須さんは強引に話を進める。

何が高須さんをそこまで突き動かしているのか。

「とりあえず私の良き協力者の家に向かいます。チェンさん、そしてハルキくん。一緒にいきましょう。他の皆さまは大丈夫です。私にお任せください。また今度一緒にランチでもしましょう。私の奢りでね」

そして三人はセイヤの家から離れることとなる。

みたいだ。

自分のことなのに実感がない。

「どうしたのです。行きますよ。お二人さん」

高須は僕たちを置いてけぼりにしない。

高須の鷹のような視線が僕たちを誘う。

僕とチェンは顔を見合わせる。

高須は手を叩く。

「さぁ。スピーディに。細かいことは早く済ませるに限ります。若いみなさんは覚えておきなさい。老人になったときに優雅な紅茶を口に含めるためにもね」

僕とチェンは誘われるままにリビングを出た。

みんなも立ち上がる。

高須はそれを止める。

「さようなら。また逢いましょう。お見送りは気持ちだけで十分。ここでお別れ致しましょう」

高須の有無をいわせない行動力にみんな何もいえない。不安な気持ちを押し隠さない表情を浮かべていた。

僕たちは玄関を出る。

高須の車の中に入る。中は寒い。

「高須さん。ちょっと強引じゃないですか」

ハンドルを握る高須さんは微笑んでいる。

「無駄な話は嫌いなんですよ。私は」

「それにしても性急すぎる」

僕はチェンを見る。

どきっとする。

チェンは僕を見つめていた。

黒い瞳に僕は吸い込まれる。

永遠に溶けた世界がある。

チェンは視線をずらす。高須の方に顔を向ける。

そして彼女はポケットから拳銃を出した。

高須さんはハンドルを外さない。

微笑みを崩さず、口が開く。

「カミーユ・糸数・チェン。未来人ならみんな貴方の名前を知っている。名優ですから」

僕は状況を見守る。急展開すぎる。

「どうもありがとう」

チェンは掠れた響きを発する。

「貴方に撃たれて死ぬなら文句はない。しかしどうして銃口を向けてくるのか説明が欲しいですな」

「ふっ。笑わせないで切り裂きジャックさん」

何故切り裂きジャックのワードがここででるのか。困惑が止まらない。

「僕が切り裂きジャックだって? 証拠はあるのかい。とんだ陰謀に僕は巻き込まれたようだ。ハルキくん。遺言はキミの机の中に入ってある。どうか死んだ暁には後の処理は森山くん達と三人でお願いします」

「どうして僕の机の中に高須さんの遺言が入っているんですか。というかチェンさん、これ冗談ですよね。そもそも拳銃持ってるの意味わかんないし、なんですか。これ」

「貴方は黙っていなさい」

一蹴された。

「やさしくしないと。傍観者は僕たちの運命を左右するのだから」

高須さんはやけに冷静だ。

「運命なんて関係ない。私は使命を全うするだけよ」

そのとき急に車はブレーキがかけられて、大きく曲がる。高須さんはハンドルを離してナイフを取り出してチェンへ刺す。チェンは銃弾を放つが明後日の方向へ放たれて窓が割れる。ナイフはチェンのやわらかい肌に刺さる前に食い止められた。

「大人しく僕に従いなさい。悪いようにはしません」

高須さんは微笑みを崩さない。

車は田んぼに突っ込む。

衝撃がすごい。

僕は気を失った。

果たして僕は意識を戻せるのか。

考えることもできなかった。



僕は意識を取り戻した。

高須さんの車が炎上している。

中をみると高須さんが項垂れている。

助けないと。

しかし身体が動かない。どうしても動かせない。何事だ。金縛りにでもあったのか。

瞬きをする。

まるで蜃気楼のような世界だ。

先ほどまで晴れていたのに霧が充満している。

小雨が降る。僕は空をみる。

灰色だ。

僕は死ぬのだろうか。

余りにも急だが、悟った。

死ぬんだ。

「起きた?」

チェンが側にいる。

「助けて」

声が掠れる。死を恐れている。

「私が助けなくても貴方は無事よ」

「身体が動かないんだ。助けてくれ」

「じき動き始めるわ。早くここから離れましょう。やっかいごとに巻き込まれるわ」

「やっかいごと? 僕からしたら今の状況が既におかしいんだよ。なんだ、これは。意味がわからない。そうだ。高須さん、高須さんを助けてあげてよ。動けないんだ。僕は」

「あの人は死んだわ」

そっけない返事だ。

僕は車を見る。

先ほどまで面倒なほど活動的だったのに。

もう死んでいる。

「キミが殺したのか」

「そうよ」

「どうして」

「貴方は何も知らないのね。彼は切り裂きジャックよ」

「そんなわけ」

高須さんが切り裂きジャック? 理解できない。

「貴方も未来人でしょ。わかるわ。でも記憶喪失。貴方は本当の記憶喪失者なのね。だから泳がされていたのね」

「一体キミは何を話しているんだ。説明してくれ」

「とりあえず早くここから離れましょう。このままだと面倒だわ。たてる?」

「高須さんが燃えてしまう。そんなのダメだ」

「彼のことは放って置きなさい」

「嫌だ! そんなことできるわけ」

チェンは僕の頬をぶった。

「私の話を聴きなさい。嫌なら今すぐ殺す」

意味不明だ。

混乱する。

状況が全く頓珍漢だ。

夢じゃないのか?

もう僕は死んでるんじゃないか。

わからない。

「しっかりしなさい。早くここから離れる。其処からよ。何事も」

僕はゆっくりと立ち上がる。僕は車に向かう。

「何をするの」

「救いだすんだ。このまま燃えてしまうなんて」

バキュン。

僕は倒れる。

痛い。

銃弾が僕を襲った。

そして僕の頬に彼女の拳がやってきた。

再び僕は意識を失う。

今度こそ、本当に死ぬんじゃないのかな。

案外余裕じゃん。僕。

死ぬのに。


目が覚める。

空は灰色だ。

天国の風景は殺風景だ。

瞬きをする。

僕は自分の身体を確かめる。

五体満足だ。

立ち上がり、周りを確認する。

「ここは」

「空き地よ」

チェンの声が聞こえる。彼女も死んだのか。

「天国にも空き地があるのか」

「何寝ぼけているの。天国じゃないわ」

「地獄か?」

チェンは苦笑する。

「ある意味ね」

「ある意味? 言葉遊びはやめてくれないか。僕は確か」

フラッシュバックする。意識を失う前に何があったのか。

高須さんが殺された。この女に。

そして僕も彼女に殺された。

じゃあ彼女は誰に殺されたんだ?

「君は誰に殺されたんだい」

「さっきから貴方は何をいってるの。私も貴方も死んでないわ」

「……」

僕は生きている。

死んだと思い込んでいた。

むしろあのまま死んでいたら気持ちよかっただろうに。

僕は生き残ったのだ。

この残虐な女と共に。

「高須さんは」

「死んだわよ」

「なぜ、殺した」

「本当に貴方は何も知らないのね」

そうだ。僕は何も知らない。

未来からきたこと以外、僕の過去は不明だ。

「君もそうじゃなかったのか。あれはポーズだったのか。じゃあそれは何のために」

「私はね、未来から逃亡してきたのよ」

「逃亡? どうして」

「酷い世の中になってしまったから」

チェンの表情は変わらない。

僕は真っ直ぐな瞳に隠された悲しみを想像する。 

未来はどうなっているんだ?

「余りよくわかんないけれど、逃亡してきたのはいいとして、それと高須さんに何の関係があるんだ。何故殺したんだ」

「あの人は切り裂きジャックよ。未来からきた人を抹殺するのがあの人の仕事」

頭に疑問符が浮かぶ。チェンが何を話しているのかわからない。

「私が何を話しているのかわからない顔をしているわね」

「高須さんが切り裂きジャックだなんてとんちんかんもいいところだ」

もしそうだとしたら高須さんはまともな顔をしている奴が一番怪しい典型的なタイプのサイコパスだ。

「それが本当なのよ」

「なにか証拠をくれよ。このままじゃ高須さんが報われない」

「貴方がどの時代からきたのか知りませんが、私が過ごした時代ではタイムスリップが政府の取り決めで事実上禁止となり、それに反抗するモノとそれまでに過去に行った人間を抹消する政策が産まれたのよ。彼は過去にやってきて、未来からやってくる人間を殺す使命をもっていて、実際実行していた」

彼女が話すことは事実か妄想か。

物語みたいな話だ。現実と認めるには話が飛躍している。

僕は判断できない。

誰も助けてくれない。

信用するしかないのか。

判断するにはまだ早い。

「そんなの、とんでもないデタラメだろ。あり得ない」

「有り得ないけれど、事実起こってしまった。私も政府に反抗して限界まで戦ってきたけれど、もうどうしようも無くなって過去へ飛んだのよ」

「何故そんなことに」

未来を想像する。

幸福も不幸も予想する。

しかし彼女の話はリアルな未来だ。

吐き気がする。

そんな時代が僕のリアルだとしたら、いやだ。

やめてくれ。

「地球という船で生きるものを選別するために」

「選別?」

「何故人類は過去に飛ぶこととなったのかは知っている?」

改めて聴かれると答えに戸惑う。

理由は存在するのか。

考えてみる。

「過去の世界で生きてみたり、達成できなかった現実を覆すため」

「それもあるけれど。一番の目的は資源分配よ」

「つまり?」

「未来人が過去に行き、その時代の資源を消費して生きること」

意味がわからない。

どういうことなんだ。

それではまるで。

「ウロボロスみたいじゃないか」

蛇が自分の尻尾を食べていく。

そうして蛇は自分を殺す。

最終的に消える。

「地球を汚した先祖に対する子孫の返答がこれよ。私たちは自分を殺せないし、責任を他人に委ねる。人類皆兄弟極めけり、というわけ」

壮大な話だ。

地球という方舟で生まれた人類はこの星が力尽きるまで総てを頂こうとしている。

強い種族だ。

「大丈夫? 話について来れている?」

「あぁ。大丈夫」

「それならよかった。気分、悪そうだったから」

チェンから心配されることが初めてで新鮮だ。

嬉しいが、先ほど高須さんを殺したこともあって、どのように受け止めたらいいのかわからない。

「しかし未来人の行動は自分の命を守っているだけで根本的解決に繋がらない。過去の資源がある時代で生きる人数が増えるほど地球が駄目になるタイムリミットが早くなるだけ。

だから私の時代の政治家は自分を守るため、タイムマシーンを独占し、過去に行った人間を抹消することにしたのよ」

「気持ちはわかる。しかしそんなの許されるわけない」

「でも起きてしまった」

頭が整理できない。僕はどうすればいいのだろうか。話が壮大すぎる。

「タイムスリップは過去への片道切符。未来で戦い抜くことが出来なかった私は私なりに過去で戦い抜くわ。切り裂きジャックは山ほどいる。私は負けない」

「どうして高須さんが切り裂きジャックだと判断したんだ? 違う善良な未来人かもしれないじゃないか」

「残念ながらのうのうと生きていられる未来人なんてこの世界にも一人もいないの。未来人は過去にたどり着いた瞬間、殺されるモノなのよ。そういう風に台本が造られたの。最終的に」

チェンを信じるとしよう。

そう仮定したなら。

「僕を匿ってくれている森山夫妻も切り裂きジャックだというのかい」

「残念ながら。実際手を下していなくても協力者であることは間違いないわ」

僕は唾を飲み込む。

状況はかなり切迫している。

人生の岐路がやってきた。

「君は僕が協力しないといったら僕を殺すかい」

彼女は僕をみる。

「私と敵対するならね。そうじゃなかったら何もしない。貴方は記憶喪失しているのよね。未来から過去に飛ぶものには何らかの事情がある。貴方の事情は私と敵対するものかもしれない。そうなら今のうちに消しておいたら方が好都合」

彼女は拳銃を僕に向ける。

ほら。運命がやってきた。

「どう? 死にたい」

「死にたくない」

「だから殺さない」

彼女は拳銃を下げる。

僕は大きく息を吐く。

「互いに協力し合いましょう。それが一番よ」

「わかったよ。わかった。うん」

「話が早いわね。ありがとう」

僕は此処で死ぬ予定はない。少なくとも過去を思い出してから、未来を選ぶ。

殺されるのはそこからだ。

「早速だけど貴方の庇護者の家を紹介して」

「高須さんみたいに、消すのかい」

「もちろん」

彼女は躊躇がない。言葉通り僕が案内すれば実行するだろう。

まだ彼女を信用するには情報が足りない。

死にたくはないが、全面的に協力するにはリスクがある。

誰かを死ぬのを見逃してまで加担することは人道に反する。

此処は一つ提案する。

「案内しよう。ただし条件がある」

「なに?」

「先に森山夫妻と話させてくれ。君の話が本当か確かめたい」

「そんなことすると貴方の命が危ないわ」

「危なくていい。僕は一つずつ手順を踏んで納得して協力したい。後悔したくないんだ」

チェンはため息を吐く。

「貴方が死んでも私の行動は変わらないけれども、危険を見逃すわけにはいかない。承知したとはいえない」

「まだ半信半疑なんだ。君の話を信用するには情報が足りない。高須さんを含めて三人が君の話通りの敵だとしても僕は彼らに世話を受けた。その仁義を無条件で無碍には出来ない。君の話通りなら、僕は君に協力するけれども、まだ、まだなんだ」

チェンはため息を吐く。

先ほどより大きい。

「わかったわ。どうなっても知らないわよ。死んでもおかしくないのよ。いいのね」

僕は黙って首を縦に振る。

彼女は大きく肩をすくめた。

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