僕の目に映る世界

サトウ・レン

僕の目に映る世界

 彼女のいない世界に、僕は興味がない。


 観たい映画がある、と同棲中の彼女に言われた。観たいものがあるなら、好きに観たら、と僕は答えた。彼女は映画好きだから、僕が加入している定額制の動画配信サービスから流れる映像を、よく眺めている。冷たい、と彼女からの言葉が返ってくる。一緒に行こうよ、と近くのレンタルビデオ屋の名前を挙げた。つまり今回の彼女の目的は、映画ではなかったみたいだ。


 ということで、僕たちはデートをすることになった。

 近所の、書店が併設されたそれなりに大きいレンタルビデオ屋だ。


 何、観たい?


 そう僕に聞きながら、新作DVDのパッケージを嬉しそうに眺めている。裏側の紹介を確認したいのだろうが、手に取れずに困っていたので、僕が代わりに手に取って、裏側を見せる。ありがとう、と彼女が言う。むかしの彼女は、絶対にひとの手は借りず、なんでも自分でやる性格だったが、いまはたまに僕にこうやって甘えてくれる。他のひともいるから恥ずかしいな、と、一瞬、そんな気持ちも萌すが、誰も僕たちのことなんて気にも留めないだろう。


「あんまり映画観ないからな……」


 じゃあ、私が映画を好きになったきっかけの作品を観ようよ。そう彼女が言う。一度、観たことのある映画でいいんだ、と僕が聞くと、自分の趣味としての映画は、自分ひとりの時で満足させるから、と返ってきた。あと一度どころかすくなくとも十回は観てるから、と添えて。


 その映画は、ブルース・ウィリス主演の『シックス・センス』だった。観たことはないが、内容はなんとなく知っている。タイトルを彼女が告げた時、僕の第六感が頭の中で警告音を発した。彼女に何か含みがあるような、そんな。


 家に帰ると、ふたりで横に並んで、ソファに座る。テレビの画面で映画を観るのは、本当に久し振りだ。映画の途中、触れた感覚はなかったが、隣を見ると、彼女が僕の肩に頭を寄せていた。目を瞑っていたので、寝ているのか、と思ったが、そうではなさそうだ。ぱっと開かせた目を、僕に向ける。


「なんで、『シックス・センス』を選んだの?」

 と僕が聞くと、さっきも言ったでしょ、という言葉が返ってくる。私が映画を好きになるきっかけの、映画だったから。それだけだよ、と続けて。


「そっか」

 信じてないでしょ。

「まぁね」

 そっか。

「真似するなよ」

 いや、反応が面白くて。まぁいいか。正直に言うよ。あなたの第六感を試したくなったの。第六感。あなたの見えている世界。そんなことを考えていたら、自然とこの映画のことが頭に浮かんでね。


「第六感? それはきみがこの映画を借りる時に、他意を感じた、ってこと」

 白々しいな。そんなどうでもいい勘の話じゃないよ。本当に気付いていないわけないよね? あなたの第六感が見せている世界、そこにしか私が存在していない、って。


「何のことか分からない」

 嘘ばかり。

「本当だよ。嘘をついているのは、きみだ」

 私は、あなたの第六感だけが認識できる。つまり幽霊だよ。気付かないふりはやめて、はやく認めたら?


「違う。第六感じゃない。僕の視覚が、きみの存在を確認している」



 卑怯者、と彼女の口調は冷たい。



 彼女の言葉が、僕を現実へと引き戻していく。


 彼女の死んだ三日後だった。一緒に暮らす相手がいなくなり、広く感じていた部屋の中に、彼女がいた。すこしぼやけた感じのする彼女の姿は、もう生者のそれではない、と気付きながら、心はかたくなに否定し続けていた。そんなはずはない、と。幽霊ではない。彼女は生きていたのだ。自分自身に言い聞かせ続けるうちに、真実のように思えてきた。まだ生きている彼女が、僕の目に映る。視覚によって。第六感が宿した幽霊などではない、と。


 ほっとした。

 そしてまだ彼女と過ごす日々が続いていくのだ、と嬉しくなった。


 だけどいま僕を見る彼女の目は、絶対にそれを許そうとしない意志を持っている。なんで、だよ。それでいいじゃないか。暗い現実と向き合うなんて、つらすぎる。


 気付けば、テレビの映像は消えていた。本当に『シックス・センス』を観ていたのかも分からない。


 なんで、あんなことしたの?


 違う。僕は何もしていない。だからきみはまだ生きている。そうだろう。第六感なんて、幽霊なんて、信じられるか。僕にとって、真実はつねに、この目に映る世界だけだ。絶対に認めない認めない認めない。僕は耳をふさいだ。これで何も聞こえないはずだ。だけど声は聞こえる。僕の指をすり抜けて、耳の奥に侵入するような。人間だろ。人間が、こんな人間っぽくないことするなよ!


 僕は机の上にあったシャープペンを手に取り、それを耳に突き刺した。

 これで聞こえない。何も聞こえるはずがない。



 卑怯者、とまだ彼女の笑い声が聞こえる。


 やめろ、やめろ、やめてくれ。


 そうやって、どこまでもずっと、逃げ続けるわけだ、

 私を殺した現実から。

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