晴れ渡った秋の昼休み。

 私は一人、中庭の芝生に座ってお弁当を広げていた。半分ほど中味を片付けた時、頭上をさっと影が覆う。

「あ、晴哉」

 晴哉が後ろに立ち、私を覗き込んできた。

「理瀬。お前、こんなところで何してんだよ」

「何って、お弁当食べてるんだけど」

「一人で?」

「今日は火曜日でしょ。麻友子は放送室だから……」

「でも、弁当箱二つあるじゃん」

 事実を指摘されて、私は俯いた。

「もう麻友子の分はいらないんだけど、うっかり二つ作ってきちゃったの」

 林檎の皮剥きの練習をしたあとも、私と麻友子は料理の特訓を続けた。

 そして約束の火曜日、麻友子は見事な出来栄えのお弁当を持って、緊張の面持ちで放送室へ行った。

 私の料理指導はそこまでだったけど、麻友子の努力はそれからも続いた。自分でレシピ本買って練習して、めきめき腕を上げたのだ。

 麻友子は自分のお弁当を、毎日自分で作るようになった。加えて、火曜日は篠倉先輩の分も作る。

 そんな日がしばらく続いて……あれは何度目の火曜日だっただろうか。

 昼休みの終わり、麻友子は顔をくしゃくしゃにしながら私に飛びついてきて言った。「大変!」と。

 その嬉しそうな顔を見て、麻友子と篠倉先輩がどうなったのかすぐ分かった。

 篠倉先輩は非の打ちどころのない人だけど、麻友子だって負けてない。可愛くて頑張り屋さんの麻友子が、勇気を出して告白したのだ。結果はおのずと見えている。

 麻友子と篠倉先輩の間に、私が入る余地などない。そんなことは分かっていた。だから自分の恋が破れた事実を知っても、狼狽えたりしなかった。

 もう、私が麻友子の分のお弁当作る必要はない。……なのに時々、こうして二つ作ってきてしまう。

 晴哉には『うっかり』って言ったけど、本当は少し違った。

 私は、麻友子がまた私のお弁当を必要とする日が来るのではないかと、心の中で思っているのかもしれない。

 篠倉先輩が麻友子のお弁当を必要としなくなって、麻友子が以前のように料理をしなくなるのを望んでいるのだ。

 自分のうちにある真っ黒な感情に気付くと、吐き気がする。

 そのたびに思い出すのは、あの日食べた『ふるさと風味の豆乳アイスクリーム』だ。

 晴哉の作ってくれたジャムとアイスは見事にマリアージュしていたのに、私の心の中のとろとろしたものを受け止めてくれる人なんて、きっといない。

 だって私は、本当のことを誰にも言えないのだから。

「弁当、余ってるなら俺がもらってもいいか? 自分の分だけじゃ物足りなくてさ」

 そう聞かれて、私は頷いた。

「いいよ。残ってももったいないし」

「じゃ、遠慮なく」

 晴哉は私の隣に腰を下ろすと、ギンガムチェックの包みを解いた。しかしそのまま手を止め、一つ溜息をつく。

「お前さぁ、好きだったんだろ――麻友子のこと」

 それはあまりにも唐突な質問だった。私は目を見開いて、晴哉を振り返る。

「……知ってたの?」

「見てりゃ分かる」

 驚いた。隠していたつもりだったのに。

 私は麻友子のことが好きだった。ずっと前から。

 でも、この気持ちを誰にも言うつもりはなかった。だって、麻友子は篠倉先輩みたいなかっこいい男の人が好きな、普通の女の子だから……。

「あれ、私って他の女の子と違う?」と思ったのは、幼稚園に入ったころだ。

 女の子と一緒にいるとなぜかドキドキして、上手く話せなかった。

 恋愛対象が同性であると気付いたのは小学校の高学年になってからだ。病院で診断してもらったわけじゃないけど、いわゆる性同一性障害とは違うと思う。

 私は自分が女子であることに違和感を抱いたことはないし、嫌だと思ったこともない。あくまで女性として、女性が好きなのだ。

 こんなこと、誰にも相談できなかった。言うつもりもなかった。そのまま高校に入って……私は麻友子を好きになった。

 麻友子は優しいから、表立っては拒絶しないかもしれないけど、同性の私に好きと言われたら、きっと困る。

 そして、告白してしまったら、もとの友達には戻れない……。

 だから私は麻友子への想いを封印している。これから先も、外に出すことは決してないだろう。

 麻友子は華奢だけど、胸から腰に掛けてはちゃんと丸みを帯びていて、柔らかい。同じ女の子なのに、どこもかしこも平べったい私とは全然違う。

 篠倉先輩と両想いになって、麻友子が幸せなら、それは私も嬉しい。

 だけどやっぱり時々、心の中がチクチクと痛む。

 我ながら女々しくて情けないと思うけど、特に『お昼の放送』で篠倉先輩の声を聞くと、放送室で仲良く過ごす二人の姿を想像してしまって辛くなるのだ。

 だから火曜日の昼休み、私は放送の聞こえない中庭まで避難するようになった。先輩の声から逃れるために。

「晴哉。私の気持ちに、いつごろ気が付いてたの?」

「んー、四か月くらい前だな」

「え、そんなに早く?」

 私が麻友子を好きになったのは、ちょうどそのころだ。

「理瀬のこと、何年隣で見てたと思ってんだよ。一目惚れだろ。一発で分かった」

「一発かぁ」

「幼馴染、なめんなよ」

 晴哉は唐揚げを一つフォークで突き刺し、口に運んだ。噛みしめるたびに、私にはない『アダムの林檎』が上下する。

美味うめぇじゃん。さすが理瀬」

「当たり前じゃない。いつも気合い入れて作ってたら、自然と上手くなるよ」

 いつもいつも、麻友子のことだけを想いながらお弁当を作っていた。

 麻友子が喜んでくれますように。麻友子が美味しいって言ってくれますように。麻友子が幸せになりますように。

 だけどその麻友子は、もう隣にいない……。

「しゃーねーな。今度二つ弁当作ってきたら、また俺が食べてやるよ」

 あっという間にお弁当箱を空にして、晴哉は言った。

「いいけど、五百円取るよ」

「うお、たけぇな。そこは幼馴染価格にしとけって」


 私と晴哉は顔を見合わせて笑った。

 頭上を、爽やかな秋の風が吹き抜けていく。





     (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ふるさと風味の豆乳アイスクリーム 相沢泉見 @IzumiAizawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ